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【改稿前】Fallen Heaven  作者: 甘宮るい
第一章/前編 Inferiority of life
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第一章/26話 「我に何を求める?」







 小さい頃、あの施設に入った後に母が一度だけ面会に来てくれた。久しぶりに母と顔を合わせたとき、母は妹を連れていた。見るのはそれが初めてだった。妹は普通に家で生活しているのだと聞いて、羨ましくなった。思えば、2歳くらいだったから、まぁその頃くらいは俺だって家にいた気がするし、と納得できたのは施設を出てからだった。

 研究職になれなかった父の後輩の(すす)めで俺が通うことになったその施設には、自由は欠片もなかった。もちろん愛情も感じることがなかった。だから、母が久しぶりに面会に来て、それはもう嬉しかった。嬉しかったんだ。

 ただ、母は俺の話をしなかった。俺の話も聞かなかった。その日、母がしたのはメヌエットの話だった。フランス民謡(みんよう)に由来する、バロック時代に独立した楽曲。ベートーヴェンがなんたら。諧謔曲(かいぎゃくきょく)がなんたら。

 その時に俺は諦めることを、本当の意味で学んだ。

 彼女に出会って忘れた記憶のだった。それを深く思い出したのは、彼女が死んだ後のことだった。彼女のことを諦めなければいけない現実が突きつけられてからだった。

 それ以降、俺は未だにソレを深く受け入れることも思い出すこともできていない。そんな気がする。







 畑仕事の手伝いを終え、クレインでしか取れない特別な果物で作ったマドレーヌ(のようだった)も食べ終えた頃、ウェスタ―さんが畑にやってきた。ここでの生活も都市と違って良さそうだろ、といつもと変わらない様子で言う。うーん、と悩み始めた日和さんに、ゆっくり考えてみてよかったらこの村に来てね、とマイさんが言った。俺が魔法を使っている間に、生活していく地域をこれから決めるなんてそんな旨のことを話したのだろうか。

 もう少し居ればいいのにというマイさんの言葉に、また来るよとウェスタ―さんは返すと、すぐ次の場所へ向かうと俺たちに言った。

 村を出る。やってきたその暗い道へ進む俺たちに、マイさんと村長そして畑に居た人たちは笑顔で手を振った。

 その時、やっと体中の緊張が解れかける。少しだけ足早に村から離れる。

すぐ後ろまで忍び寄っていた黒い手が遠いていくような、それでいて今度は冷たい刃物でも飛んできそうな、そんな表現し難い感覚が背中を()っていた。


 来た時よりも暗くなっているその森を、ゆっくりと進む。


「不気味ですね……」

「なんか出てきそう……」

「実はヴェートに住む魔獣は、害のある魔獣の方が多いんだ。肉食鳥類なんかよく見かけるし、ヴェート都市付近の妖精程度ならどうにでもできそうなもんだが、この辺のは厄介なのもいる。たとえば魔爬虫類(まはちゅうるい)、あと蛇とかな。まぁ、攻撃しなけりゃ平気さ」


 ウェスタ―さんの話を聞いて肩の力が抜けたらしい2人は、安心したように笑う。


「そんなに怖くないね!」


 その瞬間、足元で聞きなれない音がする。


「へび!?」


 明らかにウェスタ―さんの言葉に驚いたわけではないタイミング。寸前の音。颯真の足元を覗き込んで俺と日和さんの喉がひゅっと音を立てた。


「うわあああああああああああああああ」


 颯真の足は前世で見たこともないような色の蛇の尻尾を踏みつけていた。


「落ち着け! 叫ぶな! 他の蛇も寄ってくる。この蛇は10匹程度の群れで行動する習性があるんだ」

「で、でも!」

「落ち着け、音に反応する」


 バチバチと蛇の体がのたうった。足を上げたまま、体が硬直して動くこともできていない颯真は今にも死にそうな顔をしている。


「俺が、何とかする」


 ウェスタ―さんはそう言うと、勢いよく体制を崩し地面に膝をつく。手を地面につけるとどこからか白の法典を取り出した。開かれた白の法典は緑色に(ふち)どられている。


「ヴェートの民、ウェスタ―が命ずる。盟約によりヴェートの守り鳥“バーミリオンバード”よ、自然を愛する我が国の民をお守りください」


 ウェスタ―さんの手の周りに紋章のようなものが浮かび上がっていく。

 古代文字のようなそれが何重にも連なり、重なるように地面にも広がっていく。

 途端、俺たちの目の前に現れた大きな鳥が現れた。体に対して大きすぎる羽をわざと音を立てるように一度、羽ばたかせる。


「我に何を求める?」


 不死鳥のようなその鳥は、確かにそう言った。


「蛇を」

「こやつは怒り狂っているようだぞ? 先に害したのはおぬしらだと」

「お許しください、どうかこの場を収めていただきたいのです」

「仕方あるまい。こんな雑用、鹿に押し付けておけばよいものを」


 その鳥はそう言うと、地面に(くちばし)を付ける。途端、10匹ほどの蛇が草むらから音を立てて出てくる。それは先程まで俺たちを襲おうとしていたかのように、四方八方の草むらから出てきた。


「次は盟約の褒美くらいは、頂くぞ」


 その鳥の言葉と共に地面に浮かび上がった古代文字のような紋章が消えていく。蛇たちは颯真が踏んでしまった蛇と共に森へ、そしてその鳥も目の前から飛び立った。


「噛まれたりしなかったか?」

「大丈夫です……」

「よかったぁ」


 颯真が上げたままだった足をそっと降ろす。


「ヴェートの国家契約魔獣ですか」


 ウェスタ―さんが唱えた呪文は知らなかったがその内容に俺は心当たりがあった。


「さすがだな、アキラ。白の法典に聞いたか?」

「はい、初日に少し」


 船の中で白の法典が俺に解いた内容の一つだった。ヴェートの魔獣に関する知識だ。まずヴェートでは国として一部の魔獣と盟約を結んでいる。その盟約に従い、国民は危機的状況に(おちい)った時、国家と契約した魔獣に助けを求めることができる。そういえば、この前リシュリューさんも同じようなことを説明してくれていた気がする。


「ヴェートの国民は魔法がよく扱えない人の方が多いんだ。この国の自然を必要とする生物と共存していくために、魔獣との対話や自衛の術などのために国が魔獣と契約を結んでいる。ヴェートの国民と魔獣にはお互い犯してはいけないルールがあるんだ」

「うぅん……」


 難しい話になると困ったような顔をする日和さんは今回もついていけないらしく首を傾げている。


「ヴェートの国民はさっきみたいに国家で契約している魔獣に助けてもらうことができる。焦ってすごいのを呼んじまったけど」

「ご、ごめんなさい」

「颯真が気にすることじゃない。ちょっとした事故だ。それにここらにはちょっと特殊な魔獣も生息してる。大丈夫かと思ったんだが、説明しておくべきだったな」

「特殊?」

「意思疎通ができることを悪用し民に害をなす魔獣や元々、人間に対しての敵意が強い魔獣がこの辺には多いんだ。この国は自然を開拓していく中で魔獣との共存を誓ったが、それでもそれに納得していない魔獣がいて、そんな魔獣をまとめている派閥がある、魔獣のな。そんな理由で、他の魔獣と違って本能ではなく意志を持って襲ってくることがあるんだ」

「さっきのも……?」

「そうだなぁ。普段は暗くなってから動くんだが目を付けられていたのかもしれない」

「また何かされるかも」

「多数生息している蛇じゃない。さっきのは蛇の中でも阿修羅蛇(あしゅらへび)と呼ばれている蛇でな」


 なんて物騒な名前だ。


「そうだなぁ、8年前くらいに起こった出来事の影響と肉食鳥類が魔法耐性を持ち始めた異常をきっかけにヴィオレットの人間が襲撃に来たんだ。この辺りの森にな。ヴィオレットの魔法学校の中の治安維持ギルドか何かだったと聞いてる、そいつらが魔法で空からな、あまりに無理なやり方だった。人間にも魔獣にも害が及ぶ、本当に手荒なやり方だったよ。頭の固い国だからどうしようもないが、迷惑を被るのはヴェートの国民だ……。そんなことがあってから魔獣の中でもより賢い類の魔獣の中で一部人間との共存を許容できない魔獣が増え始めた。阿修羅蛇はヴェート国家研究者によると、ここらに以前から生息していた和柄蛇(わがらへび)っていう蛇の一部が変化したものらしい。たまにこうして群れで人間を襲うことがある。今回は、運よく颯真が先に気づいてよかったが、気づかなかったら大変なことになっていたかもしれないな。もちろん俺たちを襲おうと最初からしていたかどうかは判断できないが……。ともかく他にも地形変動だったりグリーズの無理な開拓、その他もろもろの事情があってな、ヴェート国民と魔獣の関係は実はそこまで良好とは言い難いんだ」


 8年前に起こった出来事、それが及ぼした影響が今でも残っているとしたら大きすぎる爪痕だ。


「ウェスタ―さん、8年前の出来事って」

「それがなぁ、俺も説明できるほどよく知らないんだ。内容も惨くてな、話すのも(はばか)られるような話だ」


 これ以上は聞かせない、というような口調だった。口を噤む。


「それでも、ヴェートは平和でいい国だよ」


 その口調は、ヴィオレットを責め立てているようにも聞こえた。



 歩き始めたウェスタ―さんの後を、俺たちは静かについて歩いた。

 歓迎の花園へ戻ると俺たちを出迎えるように、また一面に花が咲いた。それを見ても、本当に歓迎されているようだとは感じなかった。


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