序章/2話 「血の眼」
やがてやってきた船に押し込まれるように乗り込む。各国を見下ろすように聳え立つグリーズから出発した巨大な洋風の船は、俺たちを乗せゆっくりと空を進み始めた。
ゆっくりと降下しながら進むこの船は、今はどこにも見えない四つの国々に俺たちを運んでいく。
さっきまで居た、屋根のないルーフバルコニーを連想させる広場のようなグリーズの船着き場にはざっと計算するに、100人くらいの人が集まっていた。そのほとんどが地上にある各国へ向かうため、その巨大な船に乗り込んだ。
そんな人数を詰め込んでも余裕があるこの船の左右には綺麗な幕が下がっていた。夜明けを連想させる背景、まだ夜が残る空のその黒に映える綺麗な星、右側の幕は明の明星を描いたもののように見えた。乗り込むときには右側しか見えなかったので、船に乗り込んだ後に左側の幕も見に行った。上から見ることができたが、何が描いてあるのかはよくわからなかった。船が向かってくるときには、微かに左の幕とは別の絵が描かれているように見えた。
豪華客船のような船内の一階部分には、基本的な設備にチェスやオセロができる広間、軽食が出るらしいカフェ、シャワールームや映画に出てきた列車を思い出させるような個室まで用意されていた。乗船口の近くに合った螺旋階段を上がった先は海賊の船を連想させるような雰囲気のデッキに出る。淵に沿ってつけられた木の椅子に座り辺りを見回す、まるで空に包まれているようだった。
一階で遊ぶ気は起きず、眠気も感じない。ずっとデッキに出て空を眺めていた。デッキに出ている乗客は他に二人しかいない。その二人も別々の場所でぼぅっと過ごしている様子だった。
一時間程の説明と受付で見せてもらえる写真とそれらへの補足くらいじゃ、普通なら納得できないだろう。混乱も少なからずあるはずだ。
当たり前だろう。もう死んでいるのだから、これからすることに本当はなんら意味もないはずなのだから。これから成仏に至るまでのことなんて今は考える気が起きないやつも少なくないだろう。そんなものに捉われず、魔法のあるこの世界とこれからに心躍っているお気楽な奴もいるだろうが。
だから目的を持てる俺はある意味、救われているのかもしれない。
「はぁ」
胸に手を当てて、鼓動を確かめる。
俺にとっては成仏なんてもの、どうでもよかった。
この世界には大きく分けて四つの国がある。
グリーズ(は国ではないので数には含まない)を中心地点として地図にした時、北西にあるのが芸術を重んじるブロンシュ。白を基調とした建築物が並び、前世ロンドンに合ったビックベンを白く染めたような時計塔が写真(受付で説明を受けたときに見たもの)に映っていた。ブロンシュでは魔法は芸術の為にあると考えられており、国民はその景観の美しさを重視し暮らしているらしい。
ちなみにブロンシュでのみ個人が生み出した創作物(絵や模型など)がこの世界に残せる(他の国ではその人が生み出したものは成仏した後、消えるらしい)。説明してくれたグリーズの役員曰く国全体にそういう魔法がかかっているらしい。他の国では残らないので注意してください、と言われた。
芸術家御用達な国の隣、グリーズから見て北北西に位置するのがヴィオレットという国だ。面積にするとブロンシュと変わらないが真っすぐに伸びるような地形のブロンシュと違い、丸い形をしている。ヴィオレットは魔法に重きを置く国だ。ヴィオレットの国民は三年以上魔法学校に通うことが義務付けられている。魔法の才能があればあるほど優遇される、と受付の女性は俺に耳打ちをした。血の眼の俺にピッタリの国だと思ったのだろう。
若干の嫌悪感を抱いた俺に魔法そのものの最前線を行く素晴らしい国ですと、白い法典は補足したが俺は面倒な国だなと思っただけで一切イメージは改善されなかった。
魔法に対しての適性の高さを活かすのなら選択するべきはヴィオレットだったかもしれないが、これから向かうのは違う国だ。というのもグリーズでの交渉の結果が出るまでの期間、ヴィオレットで過ごすことができない為だ。
ヴィオレットは融通も利かない国らしい。
俺がこれから臨時入国し、とりあえず滞在する予定の国がヴィオレットに覆いかぶさるように位置している自然に包まれた国、ヴェートだ。
属する国を決めた方がいいと、役員は散々俺に勧めた。だが目的の為には各国を周る必要があった。
俺がグリーズでした交渉は属する国の決定の先延ばしだ。その返事がヴェートに滞在している間にグリーズから届くことになっている。それとなく伝えた理由で通るのかは不安ではあるが、自由と自然の国と謳われるヴェートなら、少なくとも返事が来るまでの時間も効率よく行動できるだろう。俺は、そう考えている。
ヴェートは偏った芸術観念もなければ国家戦略のようなものもない。魔法の使い道が定められているわけでも生活上のルールが厳しく設定されているわけでも、他国のように出入りに厳しいわけでもない。ヴェートでは魔法の才能を一切重視せず、国民を受け入れ次の生へ向かう日まで助け合うように生きていくのが文化になっている。差別と争いの少ない穏やかな国らしい。
ヴェートには唯一、魔獣が生息しておりその魔獣も魔法を使って生きている。朝が来る地域もあればずっと夜の地域もある。その特徴から発生する問題もあれば前世と違う楽しみもあると、受付の女性は説明した。ヴェートは土地もかなり広く、山のような地形になっており、未開拓地もあるという。
そもそも各国で使われる魔法のエネルギーは基本的にその国の土地から供給され、より土地が広い国の方が土地の魔法エネルギーの貯蓄量や発生量が多くなっている。その性質からより土地が広い国の方が国内の情勢なども安定する傾向にあるという。魔法エネルギーが尽きたことはまだないらしいがその傾向は以前から今まで変わらないそうだ。
最後にヴェートの隣に位置する国が、グリーズを中心に北東にあるブルクレーだ。その国はほかの国と違い、国全体に魔法がかかっており人々が歳を取る。寿命で人々は前世の死の訪れのように消えていく、そうして転生していくのはブルクレーにしかない仕組みだ。
ブルクレーには家族が存在し、この国での兄弟や姉妹が作られ、その輪の中で生活する。ブルクレーはその魔法を国全体にかけている影響で、ほかの魔法や他国とのつながりはないらしいが前世の家庭や小さな村を想像させる温かみのある国らしい。
国家規模の家族ごっこなんてものには興味はない。ただここに来た他の誰かには需要があるのだろう。
「お隣、いいですか?」
物思いに耽っていると急に声をかけられた。
視線を向けると金髪のその少女は驚かせてごめんなさい、と笑った。
「かまわないですよ」
「ありがとう……えっと、その……なんだか、心細くって」
少女の手が震えている気がして手を取ろうか迷ってやめる。ずっと昔、妹にしていたような行動を初対面の相手にとってどうする。
「どこの国にいくんですか?」
「ヴェートですね」
「私も! 私もなんです、そのよかったら一緒にいきませんか。それから、えっと」
「……いいよ、どうしたの」
「お友達になってもらえませんか」
一瞬、間を開けてしまう。異性の友達なんて前世できたことはなかったな。
「いいよ、よろしく」
そう返すと一層、嬉しそうに少女は笑った。何となく握手を交わした。
それからその少女と、他愛のない話をした。話しやすく楽し気な少女だった。
「でもよかった! 話しやすそうな人がいて」
「俺も助かっているよ、話しかけてくれてありがとう」
「優しい人に出会えてよかったです」
日和と名乗ったその少女は、背も小さく表情も豊かでかわいらしい。名前に似合う笑顔を浮かべ、明るい声で話す。空から降る陽で光る髪がゆるやかな風で揺れる。
「あの、あきらさんって本当にヴェートに?」
「目が赤いから?」
「はい……」
目の前の少女は焦りを浮かべて、目をきょろきょろとさせた。
「別に気にしない」
俺が“前世への未練”を強く持っているからこそのこの色を、本当は気にするべきなのかもしれない。ただ、今は本当にどうでもよかった。
「魔法の才能があるってことなのに、どうしてかなって。勿体ないなって、その……そういう人ってみんな魔法の学校がある国へ行くんだと思ってたから」
「人を探しているんだ。どこの国にいるか見当もつかない、だからどの国にも属すつもりはないんだ。とりあえず、融通が利くヴェートに行くんだよ」
「その、よくないこと聞いちゃったかも……ごめんなさい」
隣に座る日和さんはそれ以上のことを聞こうとはしなかった。気を遣ってくれたのか、俺がそうさせてしまったのかはわからない。逸らすように見上げた不自然なほど船を覆う空から視線を戻すと、日和さんは俯いていた。やってしまったと焦るがその直後、少女の体が俺の方へ寄りかかってくる。
途端、違和感が体中を気味の悪い速さで走った。
「日和さん!」
体を揺らしても意識が戻らない。息を飲む。さっきまで進む船を覆っていた鬱陶しいほどの青は消えて、周囲は霧に包まれていた。気づかなかった、一瞬のことだった。
日和さんを抱えてなんとか2階のデッキから1階へ戻ると、階段を降りてすぐの広間で数人が倒れこんでいた。声をかけるが返答はない。少し速足でカフェへ向かう。全員、意識を失っている。カフェの店員すら、体を揺すぶっても反応がない。日和さんを椅子に座らせ、カフェを離れる。勘を頼りに操舵室を探す。白の法典を開くが、応答はない。日和さんの白の法典も開こうとするが、開かなかった。周囲を見回しても地図はない。とにかくこの船の端を目指す。
急に後ろのドアが開く。物音に驚き振り返ろうとしたとき、肩を叩かれる。その瞬間、体が崩れ落ちる。意識が遠のき、視界がぼやけていく。
「珍しい、才能に恵まれすぎたやつもいるもんだな」
沈んでいく意識の中で、そんな誰かの声が聞こえた。
目が覚めると一階のロビーのソファーに座っていた。いや、座らせられていたというのが正しい。
窓から外を見ると、白い建物が見えた。汽笛が鳴って、ブロンシュに到着しましたとアナウンスが流れる。隣に同じく座らされている日和さんは俺に体を預けたまま眠っている(日和さんのことはカフェの椅子に座らせた覚えがあるが、なぜか彼女も俺の隣につれられて来ていた)。少女の膝の上に白の法典が2冊、置いてあった。アナウンスで目が覚めたらしい数人が、船を降りて行った。その物音で、周囲の何人かが目を覚まし動き始める。
船内に混乱のひとつも見当たらず、何も変わりはない。けれど、俺の中には酷い違和感がこびりついていた。自分の中に疑心だけが、確実に残っているのがどうしても解った。