第一章/13話 「答え合わせを進めよう」
看護婦らしき女性とも白衣の女性とも、俺は話せなかった。話しかけられなかったし、話を切り出すタイミングもなかった。ウェスターさんとアリダさんが、その2人と定型的な会話を少ししただけだった。
病院で聞きたいことがあった。だが、ウェスターさんにさえ聞けないままだった。日和さんの首元のことも、グリーズのことも、もっと詳しい魔法の話も、何一つ詳細なことは話せなかった。
疑問ばかり募っていく。はぐらかされているように感じていた。焦りを誤魔化すように深呼吸をした。まだ2日、そう思えたらどれだけいいだろう。
これすら思考混乱の魔法の影響だろうか。
病院では本当に何も話をしなかった。挨拶を交わして、何か1つでも聞き出そうと話をするところはないか切り出すところはないかと考えているうちに、まだ仕事があるから奥さんのことは頼むよ、と医院長だと名乗った女性が言った。2人は俺たちにアリダさんを預けると、すぐに院内に戻っていった。
その後、来た道を戻りながらアリダさん(オリバーさんの奥さん)を交え、他愛ない会話をした。この世界に来てあった綺麗な思い出を、俺に話して聞かせてくれているようだった。
それでも俺は、この場所に慣れ親しむ気は起きなかった。真面目に聞いてしまうのがどうしてもよくないような気がして、適当な相槌を打って流してしまった。
オリバーさんの店に戻ると、オリバーさんが店の片づけをしていた。アリダさんとハグをして、彼女の眼にそっと触れて労わるその素振りを見ていると、強く心臓が締め付けられた。
それからウェスターさんは、日和さんと颯真を起こして俺たちを宿舎に送ってくれた。またな、と手を振るウェスターさんにぎこちなく手を振り返した。
楽しい時間だった。
宿舎に戻ってすぐに日和さんを2階まで送った。その後、ソファーで寝ようとしていた颯真を半ば無理やりに寝室まで連れて行き、俺もベッドに座る。
颯真が眠ったのを確認して、ローブの中の包みを開ける。
小指の爪くらいのサイズの正方形のぷにぷにとした何かが入っていた。触った感覚はグミに遠からず近からずという感じだ。黄色、オレンジ、ピンクの3色のそれ、前世の薬のようなものを想像していた俺は少し驚いた。
ミサさんからのメモには走り書きで、“毎晩1つずつ飲め、飲み忘れると効かないから覚悟して。3つ飲み終えるころに魔法の効力は切れる。毎晩マシになっていくはず、悟られないためにも何も考えず飲め。あと感謝して”と書いてあった。
魔法をかけた相手に悟らせるな、ということだろうか。とりあえず思い切って1つを口の中に入れる。途端、しゅわしゅわと溶けた。
ここは素直に感謝しよう。抑えつけられたときは何事かと思ったが、悪い人ではないらしい。
一息ついて、ぼぅっとしてしまう前に白の法典を取り出す。
暗い部屋の天井を見上げた。
白の教典を開く、答え合わせを進めよう。
この世界のこの体は魂という認識で合っている。
白の法典に“貴方の現在の体は、元の体とは別の物です”と小さな文字が浮かぶ。
前世の障害や怪我はセカンドヘヴンの体に引き継がれるのか。
白の法典から“引き継がれません。ですが極稀に感覚が残ってしまうケースがあり、その影響が出ることもあります”と返答がある。
ずっと頼りにしていた心音はもしかしたら気のせいで、彼女の心臓はもうここにはないのかもしれない。白の法典に文字が浮かびあがりそうになるのを、かき消すように別のことを考える。
国の役員の選出基準はどうなっているのか。
“国により選出基準は異なります。貴方が現在いるヴェートでは現在、一般魔法のある程度の使用ができれば、能力や魔法の才能に関係なく、役員になる事が可能です”と白の法典は答えた。
グリーズの役員の選出基準はどうなっているのか。
白の法典に明らかにいつもより時間をかけて文字が浮かぶ。なんらかの障害とは思い辛い。白の法典を急かすように覗き込んだ。
“グリーズの役員の採用基準はいくつかのケースがあります。例として、セカンドヘヴンへ導かれた方々が最初に辿り着くグリーズの聖堂に残った場合が挙げられます”と白の法典は回答した。
一般人には伝えられない範囲、それがいくつかのケースに含まれているのは確かだろう。白の法典はグリーズで配布されているものだ。多少の情報操作は、想定できていた。
逆に、白の法典が詳細な説明を省くような質問をすればそれは鍵になる。時間をかけさせるような質問も、何かに繋がるかもしれない。それらが彼女を探すのに役立つかどうかはわからない。船のカフェでみたあのメモのこともここまでの違和感も、無視はできない。
次にオーベロンが言っていたことから感じた疑問の答え合わせをしなければならない。
この世界で、死を意味するのは成仏のことか。この世界から存在が消えるその原因となるのは成仏だけなのか。
“セカンドヘヴンはみなさんの前世への未練を解決し、成仏するための場所です”と白の法典は回答する。
曖昧だ。答えになっていない。だが、時間はかからなかった。これは元々用意された回答なのか。この含みのある言い方からすると、別にこの世界から存在が消える方法はある、そう考えるのが妥当だ。それは俺以外もそうだろう。そう捉えさせてもいいのか、それともこんな質問を白の法典に投げかけて、何かを問い詰めようとする人はいないのか。
なんとなく、みんなが聞いているのかもしれないな。
特例処置について考えようとした時、ウェスタ―さんがラズトにしていた忠告を思い出す。白の法典が信用しきれないものなら、あのことを聞くのは間違いか。やめようと思った時、白の法典がゆっくりと文字を浮かび上がらせる。最初の場所で同じことがあった。彼女のことを考えたときだ。白の法典は開いて回答ができる状況にしていれば、意識を読み取る。
最悪のパターンを想定するなら、これはあまりに危険だ。
“特例処置、についてはグリーズの役員の規定により詳細なことはお伝え出来ません”と白の法典は返答した。
文字を読み取り、咄嗟に白の法典を閉じる。体中に焦りが走っていく。もし白の法典が意志をグリーズにも伝えていたら、もし白の法典に回答するのがグリーズの役員の仕事の一つだとしたら。可能性は低い、この世界には少ないとは言い切れない人数が存在し、その全員が白の法典を持っているはずだ。だがもしも、この内容が伝わっていたら。いや何か都合のいいシステムがあるかもしれない、それ以上にもしラズトとウェスタ―さんの名前がもし白の法典に認識されていれば、俺もラズトもウェスタ―さんもグリーズに狙われることになるかもしれない。マズイ。巻き込んでしまう、グリーズに気を付けろとあんなにも言われていたのに。おかしい。思考混乱の魔法のせいか。いや思考混乱の魔法をかけられているのは知っていた、これは俺の過失だ。
もし、これで害を被るのが俺だけで済んだらいい。だが、グリーズがそんなに甘いだろうか。
そんなことがあると確定したわけではない。想像の域をでない、だが。いや、これは最悪のパターンの場合だ。
閉じた白の法典を握る手が震える。心臓の音がうるさいくらいに聞こえ始める。
一瞬、上の方から物音がした気がしてどことなく部屋を見回す。追い詰められる獲物のように体が縮こまっていく。
部屋の入口に気配を感じ、視界が何かを捕える。
すぐに意識が暗転した。