第一章/11話 「大丈夫、俺もできるだけ協力するよ」
ヴェートの森新聞屋さんが嵐のように去って行った後、ソファーで日和さんと颯真の話に耳を傾けながら白の法典と睨み合っていたはずだった。けれど、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「そろそろ、ウェスタ―さん来るかなぁ」
「遅いな」
「人気のパン屋さんみたいだし、忙しいのかも」
「あのサンドイッチもう一回たべたいなぁ」
時間は経っているはずなのにどこにも時計がないから時間感覚がズレはじめている気がする。時間や義務に縛られない、日々の生活に縛られないヴェートではそんなことなんて気にしていない2人の様子のほうがきっと正常なのだろう。
鼓動は秒針の音よりも重い、比べるものがなくなれば尚更。
「ちょっと、この辺りを見て回らないか」
「珍しいですね! あきらさんからそんなこと言うなんて!」
「そうか……?」
「うーん、あきらさんは反応薄いかも。それにいつも何か考えてて、ちょっと辛そう」
そう小さく日和さんが零した。
長い睫毛が少し下を向く。
「でも! セカンドヘヴンって、前世のもやもやっていうかできなかったことっていうか、そういうのを叶える場所だと思うから、きっと大丈夫!」
「ねぇ、ひよちゃんはここでしたいことってあるの?」
颯真のその言葉に一瞬、日和さんは言葉を失くしたように見えた。優しい緑色の瞳が揺れる。
「わかんない、かな。体が弱かったから、走ったり魔法が使えたら空を飛んでみたり、可愛い動物と一緒に暮らしたりしたい、かな。ほとんど病院に居たから、動物園とか遊園地にも私、いったことないんだ」
「わ、悪いこと聞いたかな……」
「そんなことないよ。だから、そうくんも一緒にいろんなことしようね」
大きく頷く颯真を見て、ふと思う。前世の世界の命の価値や理由と、ここの世界での命の価値や理由はすべて繋がってしまうのかもしれない。成仏にかかるまでの距離はここでの寿命を示す。新しい命を授かったわけではない借り物のような存在なら、その魂はいつか自分の空気の総量を自覚できない風船のようにわからないまま急に消えてしまうのだろうか。
「大丈夫、俺もできるだけ協力するよ」
早く成仏できるといいな、なんて自分の意志に大きく反した言葉は出なかった。
そうなってしまったら、ここでできた未練は一体どうなるのか俺は知らなかったから。
宿舎の外に出て、役所と宿舎周辺の短い距離を3人で探検(というのは大袈裟かもしれないが日和さんがそう言うのでそうとしておく)した。街灯を見て盛り上がったり、ウェスタ―さんのロズのように魔獣を連れている人とすれ違っては騒いだりする日和さんと颯真は、無邪気すぎた。
きっと俺はこの2人に自分の持っているグリーズへの疑心やオーベロンのこと、そして昨晩の本当のこと、そのすべてを絶対に話さない。
話さないままにしておきたいと思った。
俺以外のここへやってきた人達は、ここでの自分の存在を他人の送る時間をどういう風に捉えているのだろうか。
颯真と日和さんの後をついていきながら、役所周辺の食堂のような場所(白の法典のヴェートのページによればヴェートの住民ならだれでも利用できるらしい)や雑貨屋(対価となるものを俺たちはまだ持っていないので中には入らなかった)やヴェートの各地域の果物を置いている店(ここも雑貨屋と同じ理由でよく見なかったが、店の前にカラフルな果物が並んでいた)など、いろんな場所を見て周る。
宿舎と役所の中間地点(といっても役所の方向とは少し違う方の小道の先)に小屋のようなサイズの店が商店街のように横に並んでいた。綺麗なタイルで整えられた道に沿って等間隔で並ぶ街灯、背の低い優しい色の木々、すれ違う魔獣を連れて歩く住民たち、美しい半異世界の景色がそこにあった。
ウェスタ―さんが訪ねてくるのを思い出して引き返す頃には、俺はようやくこの世界に来たことを本当の意味で自覚できた気がしていた。
俺たちが早足で(宿舎が多く並んでいる中の自分たちの)宿舎の前に戻ってきたころには、ウェスタ―さんが到着してしまっていた。太陽が見えないのに段々と暗くなっていく中でウェスタ―さんとロズは一際、目立って見えた。
「ごめんなさい! ちょっと散歩してたら夢中になっちゃって!」
身振り手振りで謝る颯真にウェスタ―さんは小さく首を振る。
「来たばかりなんだから仕方ない。気にしなくていいさ」
そう言って昼間は連れていなかったロズの背中を撫でる。ロズはウェスタ―さんの左手から水を飲んでいて、休憩中に見えた。
「やっぱりロズちゃん可愛いなぁ、私もペットが欲しいです……」
「住む地域を決める頃にきっと相棒を探すことになるさ。ヴェートの人たちはほとんど魔獣を連れているからな。なぁに地域を決めるのだってそんなにはかからないさ、あっという間だよ」
その時、隣の宿舎の玄関が開いて女性が出てきた。その女性はヴェートの役員の人が羽織っている羽織と同じものを身に着けていた。
「さて、移動するか! 時間も時間だ、飯を食ってから役所の周りか隣街くらいに顔を出すとしよう」
ロズの背中に乗せてもらって楽しそうな日和さんとその横を歩く颯真とウェスタ―さんについていく。
気づいたときには隣の宿舎から出て行ったはずの女性は見当たらなかった。
なんだか俺はその女性のことが妙に引っかかってしまって、ロズの体にぶつかりかける。らしくないと笑われて、なんだか少し恥ずかしくもこの雰囲気が居心地よく感じ始めていた。