番外/前世の話 ten.1 ミサ・ヴェティスト
番外編/前世の話 ten.1
半端な恋情 ミサ・ヴェティスト
ブロンジュからこっそり仕入れてもらった煙草を吸う。妖精の王に出会う前、あの酷い男に使われる日々のそれより前、ここへ来るずっと前のことを思い出す。
私は結局、彼女にそのことを言えなかった。それなのにまだ忘れられない。
大学で出会ったその子と一緒に暮らし始めたのは、どうしても彼女が危うく見えたからだった。背が高い私をカッコいいと褒めてくれた。彼女が私のことを煙たがらなかったことが酷く嬉しかった。背が高く目つきが鋭く、性格も男っぽい私の恋愛対象は気づけば女性に限られていた。
それでも付き合おうと思ったことは少なかったのに。
その子は今頃、天国に居るんだろうなって思うくらい普通の子だった。
家族構成も普通だった、進路も普通だった。田舎から進学してきた彼女の初めての一人暮らしは放っておけないところが多すぎた。そんな手の離せないところに、私が縋っていた。
「黒いパーカー、パジャマにしてるのかっこいいね」
よく私の容姿や行動を褒めた彼女のことを好きになったのは割と早い段階のことだった。
「お父さんがいないの? そっか、私に何でも相談してね」
自分が相談されたいのだと、言えはしなかった。
彼女が私を褒めるたびに、ずっとずっと胸が散りついた。結果、吸い始めた煙草の煙は言えない感情のその代わりに私の口から夜空へと出て行った。月に届きそうにはなかった。
大学を卒業して別々の会社に就職してからも、私たちは同じ部屋で暮らした。その頃には彼女の両親に挨拶をしに行った。友人としてのはずだったのに、どうしても緊張した。
彼女はよく私の中途半端な長さの髪をハーフアップに結った。毎朝のそれが、その間のコミュニケーションがずっと忘れられない。
何度も口を開こうとした、何度もなかったことにしようとした。そのたびに逃げるようにベランダに出て煙草に火をつけた。ライターの音に、何度もため息を吐いた。
私は弱虫だ。彼女を守る人にはなれない。
彼女が就職して少ししてから、帰りが遅くなるようになった。焦りを抱えながら早く帰るのが辛くて、彼女の居ない食卓が苦痛で、バイトを始めた。仕事を終えてコンビニでバイトして、疲れ切って寝る。そのルーティンと煙草の煙で誤魔化していた。
それから半年した頃に、彼氏との同棲を伝えられた。嬉しそうな彼女を、見ていた。
それからまた半年して彼女は結婚した。結婚式に出て、帰りの自分が運転する車で泣きかけた。車では気にして吸わなかった煙草を吸った。助手席に彼女がいないのが苦しかった。
かっこよくたって、私はどこまでも女だ。
異常な身長をいじられたことは何度も会った。キツい顔を、女らしくないと言われたことも何度もあった。低い声を認めてもらえないこともあった。
自分を嫌うように男の人がダメになって、気づけば女の子と居ることが多くなって。
それでも言い訳しきれないくらい……言えなかったこの気持ちが残っている。
煙草を吸って寝る、起きては働いて、また寝る。
私が死んだのは暑い日のことだった。食事のように煙草を吸っていたから、仕事を詰めていたから、言えない代わりに言わなくていい場所を作っていたから、認められなかったから認めたくなかったから。異常だという自覚があったから、一度だって言わないまま、否定したまま。逃げたまま。
あっけなく、一人道路で倒れてそのまま死んだ。
ヴェートの自宅、背中のベランダへの窓がキラキラと光る。ちょっとインチキな王様が登場する。
「また吸っておるんか? わしは人間の好むそれがよくわからんのぉ」
「王にはわかりませんよ」
「わしは、王じゃなかろうて。人間は愛いのぉ」
結局、言えなかった。
言葉にならない程度の軽い、こんな煙のような気持ちを引きずってこんなところまで来た馬鹿な人間のことなんてわかりませんよ。そう、王には言わなかった。言わなくても、少しだけはわかってくれるだろうこの人に甘える。
煙草の煙は、ずっとまだ残っていた。