第一章/7話 「え?なんて言ったの」
とりあえず役所の一階に降りた俺は、すぐにリシュリューさんに声をかけられた。
「ミサから、大まかな話は聞けた?」
「ミサ……さん?」
「ちょっと硬いっていうか、キツイ雰囲気のある子だから難しいかもしれないけど、自己紹介くらいはしていたでしょう?」
「俺が話を聞いたのは、―――――という」
俺の喉から出た言葉に耳を疑った。
「え?なんて言ったの」
オーベロンという名前が音にならない。
「あの、俺は―――――に話を」
さっき俺は確実に前国王と言った。それでも、その言葉だけが音にならない。
「あぁ! ほら、ミサじゃない。適当に自己紹介でもしてたの?」
リシュリューさんの様子に、あの部下の話を思い出す。問題がないなんてよく言うものだ。おかしいと感じないわけがない。この異常な違和感……俺がいくらオーベロンの話をしようと相手に伝わることはない。
あのオーベロンの部下は誇張もなく、俺に注意をしたのか。
「あの子、背が高くてちょっと高圧的だけど昔は優しかったの。私の同期でね?」
「……同期って同じ時期にセカンドヘヴンに来たってことですか」
「うーん、ちょっと違うわね。時期は知らないの、同じ時期にヴェートの役員になったってところかな」
そこまで仲がいいってわけでもないんだけどね、と言うとリシュリューさんはえへへと笑った。
「……リシュリューさんはなんで、ヴェートの役員をしているんですか」
「ん? 私ね、どうやってこの世界で生きたらいいかわからなくて成仏とか未練とか言われてもね、私にはわからなかったの。急に知らない世界でしたいことなんて、見つからない。その時、あの面倒くさいパン屋に出会ってここを紹介された。私にはすごく向いていたなぁって今は思うの。この世界は義務なんてほとんどない、ほんとに自由。それが私には苦痛だったんだと思う。もしかしたら、ヴェートは向いてなかったのかもね。でも、私は自然が好きだし生き物が好きだから、ヴェートを選んだ。結局、この役所に居るばっかりだけどね。あきらくんはどうするかわからないけど……ヴェートはいい国よ」
表情が動かないからと、俺はこの人のことを誤解していたのかもしれない。もっと冷たい、サバサバした性格をしているのかと思っていた。
「さて、もう役所での用事は終わりと言ってあげたいけど貴方にはしてもらう必要のあることがあるの。ヴェート滞在中にヴェートの国民として一度、国民登録をさせてもらうわ。もちろん形だけ、役所側で安全確認くらいはできるようにしないとって話になったの。いくら素質が素晴らしいって言っても、ヴェートには多くの魔獣が存在する。その他にも、その赤い目だから厄介に巻き込まれることもあるでしょう。ウェスタ―に聞けば護身術程度の一般的な魔法は教えてもらえると思うけれど、ヴェート国民にだけ適用されるこの国が用意した魔法や国民を守るための結界なんかもある。ヴェートの国民として登録しておかないと適用されないの、それにこの都市にある病院さえ利用できない。ただ、貴方はやっぱりヴェートの国民ではない。すっごくややこしい身分になるけど一応、この期間だけでもって思ってね……」
「構わないです」
「申し訳ないわね……」
「気にしないでください」
「もう話は聞いたかしら、グリーズはね……この世界の人たちに数字を振っているの、前世でいうIDね」
グリーズもそうしておいたほうが管理はしやすいだろうな。
「名前よりもそのIDが国やグリーズでのいろんな登録に活用されるの。だから定まっていない、簡単に説明できる理由もないあきらくんはちょっと面倒くさいことに巻き込まれるかもしれないわ。私からは詳しい説明はできないのがほんとに悔しい……気を付けて。とにかく、グリーズで会議があったことは聞いたと思うけど、事情があるとはいえあなたの安全はここにいる限りヴェートが保証する。ヴェートの国民として登録っていっても普通の人と同じようなものじゃなくて特殊な場合に使われる仮登録なんだけど、私としてはあきらくんが納得する必要はあると思うの。ねぇ、状況は理解できた?」
「できました、大丈夫です。ありがとうございます」
「本当に?」
「はい、大丈夫です」
「じゃあ、そこの奥の黄緑色の小さな鐘がついてるドアの中で登録をしてくれる役員が待ってるから。受付で簡単に私が済ませてあげられると楽でいいんだけど、貴方の存在はグリーズの人にも重要視されてて……セカンドヘヴンに来たばかりで窮屈だろうけれど、そのごめんね」
リシュリューさんは失踪した例の男のことを多少知っているのだろう。どうしていいかわからなくても気遣ってくれているのだ。
「ありがとうございます」
「へ?」
「これだけ丁寧に説明していただけて、俺としてはとても安心できます。分からないことだらけで、白の法典に頼ろうにも不便なこともあって」
「役員だから、仕事だから……当たり前のことよ」
「助かりました」
「あっ、え、その、ありがとう。何かあったらいつでも聞いてちょうだい」
セカンドヘヴンに来たばかりで何も知らない分からない俺はこんな短い期間でさえ随分と助けられた。疑ってばかりで、普通の待遇を当たり前に思うのは違う。
冷静にこの世界を見よう、これじゃあ彼女を見つけられたってすぐに笑われそうだ。
「リシュリューさん、ちょっとこれどこになおしていいか分からなくて!」
向こうからリシュリューさんを呼ぶ声がする。
「そのドアね……私は付き添えないけど」
「わかりました」
「グリーズの役員で、この役所の役員として今ヴェートの調査をしている人なの。公になってる任務とかじゃないけれど……でも、当たり障りのない人だからいろいろ聞くといいわ」
そういってリシュリューさんは小走りで声の方へ向かった。
最後の言葉に疑問が生じる。グリーズからヴェートにやってきている役員、かつ公になっている任務ではない。
心当たりが一人居た。
ゆっくりとその扉を開ける。紺色の髪、深緑色の目が俺を睨む。
扉が閉まるその音が、やけに重たく聞こえた。