第一章/6話 「人間の持つ感情は、得てして人間には余る」
馬鹿だった。俺は弁解の余地もなく、選択の重要ささえも見ないフリをしていた。ラズトの件の後から考えることを避けていたところもあった。しかし、この件に関しては明らかに抜けていた。オーベロンが人の心が読めることを知っていたのに……。
俺は娯楽という言葉やオーベロンの雰囲気に騙されたのか。
必要以上に知ることを無意識に怖がっている。いつからか自分の何かがおかしい気がする。船に乗ってからだろうか。
オーベロンは俺の質問に答えるという俺が求めている好条件を何の戸惑いなく目の前にぶら下げた。俺はそれに腹を空かせた動物のように食いついた。読まれていたのかもしれない。
オーベロンが嘘をつかないという保証はない。契約について確かめる方法を俺は知らない。このゲームは明らかにオーベロンに有利なものだ。オーベロンにとって娯楽であるからといって俺にとってそうとは限らない。
たとえオーベロンが嘘をつかず、なおかつこれを俺にとっても娯楽になるようにプレイするとしてもなお不利は変わらない。勝ち負けがないゲーム(ゲームと呼んでいいのかもわからない)だが、俺にはたとえオーベロンの話に確信が持てなくてもこの機会を逃すわけにはいかない。けれど、心が読めるオーベロンにとって今ここで俺から絶対に聞きださなければならない情報はないように思える。あるとすれば、グリーズ絡みのことだろうか。いや、オーベロンにとっては考えさせた時点で勝ちなのかもしれない。質問の内容が答えやすいか答えにくいか、そんなことにオーベロンは縛られない。
項垂れ、考え込んでいた俺にオーベロンはこう言った。
「さて退屈凌ぎの遊戯を始めるかの?」
「退屈凌ぎ……?」
「そうじゃ、お主はどうしてそこまでこの世界で国々を周ることに拘る?」
きょとんとした顔で俺に尋ねたオーベロンの質問は明らかに予想していたものとは違っていた。
「……人を探しています」
これでいいのかと思う反面、まだ裏があるのではないか。そう思い始める。
「ほう、お主はその程度の回答で満足できるんか? お主が答えてほしいようにわしに答える必要があると思うがのお」
オーベロンの口角が上がる。それは手を差し伸べたその時の顔、そのままだった。
満面の笑みだった。
「その人は前世、交際関係にあった俺の彼女です。俺の、一番大事な人でした。俺よりも随分と早く死んでしまいましたけど」
彼女のことを語るのは想像以上に苦しかった。彼女の死をここまで来ても俺は受け入れられていなかった。沸き立つような感情のすべてを、ただでオーベロンに教えたくないとさえ思った。
独占欲だろうか。困ったな、前世なら嫉妬の一つもしたことはなかったのに。
「それは酷よのぉ、辛かったか」
これは、どんな言葉を用いても説明できない。唇を強く噛んだ。そして、何もなかったかのように力を抜く。
淡々とオーベロンが求めている最低限の形式で答えるべきだ。
そもそも一体、オーベロンは何を目的にこのゲームをしたのだろうか。
「彼女は俺に自分の心臓を移植するように頼みました。望んで自ら死を選んだ。普通ならそんなことはありえないけれど、訳あってそれが成り立ってしまった」
「ほう、主にはそれが未だ納得できぬというか」
「はい、だから俺はこの世界を周って彼女を探します。会いたい、それ以上にどうして俺にそんなことをして、自分の命を捨てたのか聞きたい。そう、思っています」
「ほう、満足満足。主は彼女はまだこの世界にいると信じて、彼女を探す。それだけということか。そんな訳とはグリーズも思っておらんやろの。はっは、そんな顔をせずともそれ以上は問わんよ、お主の番じゃ」
なんとも、意地の悪い王様だ。
「この間、どんな質問をしても嘘を付かず答えるのか。それを教えてほしい」
「それは、お主……それで1回の質問で良いんかえ? それでは前提の確認じゃ。それともわざわざ質問にせんとわしが信用ならんのか?」
おかしい、オーベロンは俺の心を読むことができるはずなのにどうして。
「急に黙ってどうしたんか、あきら」
「心が、読めるんじゃないんですか」
「ほう、それじゃあ娯楽にならん。そんな力を入れずともよい、わしが心を読んでおるとお主が随分と不利になるじゃろ?」
「いや……」
「はっは、そないに興が削がれるようなことはせん。それにのぉ、わしの心を読む能力は別にこの世界の物じゃない。勝手に聞こえてくるもんでもない、そないに構えんでも読むも読まんもわしの思い通りじゃ」
この世界の物じゃない。セカンドヘヴンでついたものじゃないと、オーベロンは言っているのか。前世から、まさかオーベロンには心が読めたのか。
「わしのことに関して以外に聞くことがあるじゃろて。わしは今、心を読んでおらん。さあ、問うてくれ、お主の力になろうとゆうちょる」
俺にはオーベロンの言葉の意味が理解できない、俺の味方をする理由がオーベロンにあるとは思えない。
「愛情は罪よのぉ。人間の持つ感情は、得てして人間には余るのぉ。ほれ、さっさ問うがええ」
オーベロンの描いたその円がゆっくり消えていっているのが視界にはいる。時間の経過を示しているようだ。俺には確認する術はないがそう感じた。
「腑に落ちない……」
「素直じゃの。ただ、わしに関して知るにはお主は未熟じゃて。そうじゃなぁ、次話すときにでも詳しい話をしようかの?」
オーベロンの言う通り、俺はオーベロンのことを聞いている場合ではない。この時間がいつまで続くかさえわからない。次に俺が質問する番が回る保証はない。
「俺が探している彼女は、この世界にまだ存在しているのか」
「ほぅ……わしの知る限りでは、まだ居る。じゃがこれは生きているかと言えば、そうではないかもしれんの」
「どういうことだ」
もし彼女が死んでこの世界にいないのなら、オーベロンは存在していないと答えるはずだ。成仏しているのなら成仏していると、そう答えるはずだ。この世界の死と生は一体なにを指すのか。生きていると言い切れない状況に置かれている。成仏しているわけではなくセカンドヘヴンにまだ彼女が存在しているのだとすれば意識がないのか、いや自由がないのか、誰かに操られている可能性もあるかもしれない。
「今のお主にわしが答えられるのはそこまでじゃ」
そう言うとオーベロンは目を伏せた、彼女の心臓が焦りを訴え始める。耐えきれなくなって声をあげる。
「オーベロン、俺に教えてくれもっと具体的に彼女のことを……」
どうして、と喚きたくなった。前世、一度もこうして駄々(だだ)をこねたことはなかったなと心の隅で思い出した。
「取り乱すのは勧めん。お主はわしと遊戯をしとるんじゃ。しかし……うむ、これは依怙贔屓かのぉ」
「……」
何を言えばいいのかわからず押し黙った。
執着心を客観視すると、それはあまりにも汚い。ただ自分がなぜ死んだのかさえも思い出せない俺には、その答えは何より受け入れ難かった。
自分の都合のいいように曲解したくなる。彼女はきっとどこかで生きていて、オーベロンが探知できないだけだと。
「彼女は形としてこの世界に居るということじゃ。時間の問題、としてしまえばそこまでじゃがわしはお主なら容易い壁と見える」
「彼女は今どこに」
「さあ、わしの番で良いか?」
これ以上の質問はできない、そう示すようにオーベロンは俺の言葉を遮った。オーベロンが答えられないことを聞くこともルールを破ることも勧めない。そう諭すような表情だった。
彼女がまだこの世界から去っていない、この事実を得られただけでも十分だ。こんなところで拾えると思っていなかった収穫だ。満足だ。
顔を上げた俺を見て、オーベロンが口を開く。
「落ち着いたかの?」
「あぁ、申し訳ないな」
「はっは、わしにそのようなことは言うべきでない。人間は尊いのお」
「オーベロンは、人間じゃないのか」
「聞いてみたらどうじゃ?」
心底楽しそうにオーベロンは笑う。
そこまで悲観することはない。彼女がたとえこの世界の片隅にいてもすぐに見つければいい。
「俺の答える番ですね、質問してください」
俺がそういうと、オーベロンは何時から手に持っていたのかわからない赤い花に目線を流したまま、ゆっくりと口を動かした。
「お主の父と母、前世の両親はどのようにお主を育てた? お主は子供として幸せだったか」
その質問は彼にとって特別な意味があるようで、オーベロンは1つ目の質問の時よりずっと真剣な表情をしていた。
「なぜ、わしがそのように聞くのかわからぬか」
「俺にそれを聞いて何があるのかさっぱりです」
「わしは本当のところグリーズ側の人間でもヴェートの人間でもない。わしは、この世界の事情にはほとんど関与しておらん。詳しくは話さぬが、部外者というわけじゃ」
「意地悪ですね」
「わしはいつの時代も悪戯好きなところが抜けんくていかん。要はこれも、わしが知りたいだけじゃ」
「グリーズの人間というよりはよかったです、正体は知れませんが」
「さて、お主の父と母のことを教えてくれぬか?」
「前世、俺の家庭は俺にとって幸せとは言い難いものでしたね。金銭的には恵まれている方でしたが」
「ほう」
「父は研究者に憧れていました。大学していた研究は思うように運ばず、父はその道を途中で諦め、その夢を叶えられるほど賢い人物になるよう俺にそれを強要しました。母はプロのピアニストとして生きていくことを望んでいましたが夢は叶わず母は諦め、同じく母も俺に音楽の才能を求めました」
「子への愛とは言い切れんのお」
「だからこそ俺の気持ちを聞こうとしてくれた彼女に、救われました」
オーベロンの口角が上がる。落ち着いて彼の表情を見ると、彼の顔は自分のことのように嬉しそうに笑っていた。
「お主の番じゃ、わしに問うといい」
「これだけでいいんですか」
「満足じゃ」
「彼女は今、どの国に居るんですか。ヴェートですかヴィオレットですか、ブルクレーですかブロンシュですか? それともグリーズですか」
俺の質問を聞いたオーベロンはため息を吐いた。
「それらの国にはおらん」
わしにはグリーズのような人を探知する方法はないから絶対とは言えんがの、とオーベロンは小声で付け加える。
「海……ですか?」
「そうとも言えぬ。じゃが……うむ、次の行き先はヴィオレットにするとよい。手掛かりがあるはずじゃ、わしはこれ以上は話せぬ」
この世界に存在している。どの国にも居ない。ヴィオレットに居るわけでもない。彼女の状態から考えて、悠長にしている時間はない。
何も情報がない状態からここまでの進歩なら、上出来だ。ただ、間に合うだろうか。
「わしを一度、信じてみよ。お主を無下にはせぬ」
どこまでも読めない爺だ。厄介だが、敵じゃないなら心強い。
一度、信じてみるか。
「お主は、疑うことを知りすぎとる。疑うものと疑わず信じるもの、そしてわしのことのように諦めることも知らねばならんのぉ?」
「諦めて頼っておけ、ということですか」
「そうとも言えるかの……人間は我儘じゃ。嗚呼、実に面白い」
「次は」
途端、薄暗くなっていた部屋が元に戻る。
「時間切れじゃて」
オーベロンは意地悪く、口角を上げる。
コンコンとノックの音がする。いつの間にか部屋の隅に居るあの背の高いオーベロンの部下らしい女性が、じっとこっちを見ている。
「さて、あきらの案内は任せてわしは戻ろうかの」
「わかりました、王」
「うむ、その癖そろそろどうにかならんかのぉミサ」
「ですが王!」
オーベロンは宥めるような顔をして、わかったわかったと頷く。
「さてまたその時が来たら話をしようかのぉ、あきら」
「はい、ありがとう……ございました」
「では失礼します、王」
小さくオーベロンの笑い声が聞こえた。
そのまま部下の女性に手を無理やり引かれて部屋を出た。扉が閉じるその瞬間、オーベロンの周りに小さな妖精のようなものが見える。驚いてする瞬きの間に、いくつものドアが閉まっていくような音がした。
ノックの音が確かに聞こえたはずなのに外には誰もいなかった。外は役所の二階、階段から繋がる廊下のその下を見下ろせば見覚えのある場所が広がっていた。オーベロンのいたあの部屋がどうしても役所の中ではない、どこか他の場所だったように感じ始める。
「あの方のことは、他の人に話さないのが賢明かと思います」
機嫌の悪そうな隣の女性がそう言う。
「何か事情があるんですか」
「……何もありませんよ? ただ、それがおかしいと感じるはずなので」
聞き返そうとした途端、その女性は軽く会釈して足早にどこかへ行ってしまった。