第32.5話 戦国大名の収入源
大田勇介と藤田吉郎の対話コーナーの第33弾です。
今回のテーマは、戦国大名の収入源です。
本文中ではなかなか出てこない戦国大名の収入源について取り上げました。
興味ある方は、ご一読ください。
ナレーション
さぁ、始まりました!親友ふたりによる、夢のひととき。今回のお題は・・・「戦国大名の収入源」です!!では、おふたり、お願いします。
藤田吉郎
大名って金めっちゃ持ってそうなイメージあるよな。大名遊びしまくり!みたいな。
大田勇介
ヨシローが言ってる大名遊びって江戸時代の話やけど、まぁ地域で一番金持ってる存在ってのは間違ってはないかな。
ヨシロー
じゃあ、大名はどんな風に金持ちになったん?
マタスケ
いくつかに分かれて税金を集めてたんやけど、一番基本になったんは「年貢」とかの農業生産物への税やな。
ヨシロー
それやったら、聞いたことあるわ。米納めるやつやろ?
マタスケ
そやね。古代では「租(農産物を納める)・庸(労働力もしくは代納する農産物を納める)・調(布や特産品を納める)」という税を国家に納めたんやけど、戦国大名はこれらをひっくるめて「年貢」として農産物や銭で納めさせることが基本やった。
ヨシロー
せやから、戦国大名は土地の取り合いするんやな。
マタスケ
まぁ、土地への課税方法は個別の事情によって複雑やったから、「大名の領国=大名がすべて支配する土地」ではないんやけどな。あと、土地と言えば、他にも収入源としては、支配地の関所の通行税があった。
ヨシロー
関所って通行料とるんか?
マタスケ
大名だけでなく、この時代は朝廷や幕府、寺や神社まで関所をつくって通行料を取ってた。海でも海賊衆が支配海域で通行料を取ってたし、普通のことやった。ただ、関所はその土地の支配者には都合が良いけど、ほうぼうで金を巻き上げられる旅人や商人には迷惑な話やったから、後に信長は流通や経済を重視して関を廃止させた。
ヨシロー
本文見てたら、熱田とか津島が信長の収入源ってよく書かれてるけど、あれは何で?
マタスケ
この時代の商業が発達した都市の市場は管理する組合みたいな組織があって、その構成員以外は出店することはできなかった。大名はその組織を公認・保護する見返りに、運上と呼ばれる上納金を得ていた。
ヨシロー
一部の商人とズブズブの関係やったってこと?それって現代やったらマズイんちゃうん!?
マタスケ
今やったら、独禁法とかに引っかかるよな。こういう限られた少数で市場を支配する形になると、価格が高止まりしやすくなるから、経済発展が頭打ちになりやすい。後に信長はそれを解消するため、有名な「楽市楽座」を行って城下町の発展を促した。
ヨシロー
「楽市楽座」ってどういうことなん?
マタスケ
楽市と楽座という2つの政策を合わせたもので、楽市は市場で誰でも自由に商売ができるようにし、楽座は座(商品別の同業者組合のこと)に入ってない者も商品を扱えるようにした。
ヨシロー
楽市はよくわかるけど、楽座がよくわからんな。
マタスケ
当時は扱う商品ごとに同業者組合のようなものがあり、そこに属していない者はその商品を扱えなかった。例えば、当時の灯油であった荏胡麻油を京で扱う者は、大山崎の離宮八幡宮(石清水八幡宮)の油座に所属しなければならなかった。それが新たな城下町や商業圏を築くときに邪魔になったから、廃止する政策をとったんや。
ヨシロー
住民税みたいなもんはなかったんか?
マタスケ
段銭とか棟別銭がそれにあたるかな。段銭は田畑ごと、棟別銭は家ごとにかけられた臨時税。元々は朝廷が伊勢神宮の式年遷宮とか臨時に金が要るときに、全国へ課税したものやった。朝廷が衰えると幕府に委託されるようになり、幕府は各国の守護に委託した。本来は朝廷に納めるべきものやけど、しだいに守護たちが自分の財源にしてしまった。尾張では守護の斯波家が衰えたから、信長の家なんかがかわりに収入源にしてた。
ヨシロー
思いっきり横領やな。。。
マタスケ
ただ、守護じゃない者が段銭や棟別銭を徴収するためには、守護代官の立場を得なければならなかったから、守護に実力がないからと言ってなかなか簡単には追い出したりはできなかった。信長も守護や将軍を可能な限り尊重する姿勢を見せているけど、そういう事情もあったと考えられる。
ヨシロー
税金以外に収入源はなかったん?
マタスケ
大内家や細川家は外国貿易に投資して莫大な利益を得ていた。戦国時代後期には、武田家や毛利家などが鉱山開発に力を入れて収入を得ていた。
ヨシロー
大名というより大商人みたいな話やな。
マタスケ
前にも言ったけど、「大名=会社経営者」やからな。何するにも色々金かかるし、収入増やすためにあの手この手で収入源を確保したんや。
ヨシロー
ホンマ、この世の沙汰も金次第、やな。
ナレーション
お後がよろしいようで。




