第1話:希望と絶望
――第14次星皇歴710年4月12日 惑星ジ・アース:成層圏近くにて――
「星皇様。アリス=ロンド様と『ゆりかご』との接続を確認しました。アリス=ロンド様のクリーンアップとデフラグを開始します。それが済み次第、予定通り、アップデートへ移行します」
「報告、ありがとう、ミシュランくん。さて……、ハイヨル混沌はアリスの邪魔をしてくるかどうか? そちらの予測は立てれていますか?」
「すいません。地上との通信妨害は未だ続いており、アリス様のバイタルをモニタリングするのが精いっぱいです」
地上に贈ったベッド式カプセル型エネルギー補給器:通称『ゆりかご』に乗り込んだアリス=ロンドの状態まではモニタリング出来るが、それ以上は無理だと通信士であるミシュランが星皇に正直に報告する。星皇:アンタレス=アンジェロはふむ……と息をつき、何かを考える様子を見せる。
その仕草を数秒続けた後、星皇は椅子の背もたれにずっしりと体重を乗せて、身体から力を抜く。
「高望みをするのはやめたほうが良いというこでしょうか? アリスのアップデートが終われば、これまで以上にアリスはハイヨル混沌にとっての脅威となります。それを黙って見過ごすほど、向こうも甘くないはずですが」
星皇はアリスが『ゆりかご』で眠っているうちに、アリスの武装を大幅に強化するためのアップデートを行おうとしていた。アリスの戦闘力が増せば、ベルの生存率も比例して上がるはずである。しかし、裏を返せば、アリスを脅威だと認識したハイヨル混沌がベルともどもアリスも排除しようとする動きを強めることになりかねない。
「二階から目薬とはまさにこのことです。この歯がゆさを解消するためにも、私自らが地上へ向かうべきなのですが」
星皇:アンタレス=アンジェロが乗る天鳥船の周りはいくつもの大きな光点と黒点が現れ、次の瞬間には消えていく。天使軍団とハイヨル混沌軍団が今でも死闘を繰り広げているために起こっている爆発だ。天使も悪魔たちも花火のように破裂し、その命を散らしていく。
その最前線維持を放棄して、ベル=ラプソティを星皇自らが地上へ迎えに行くことなど、出来るはずが無い。星皇が成層圏近くに居るからこそ、ギリギリのところででハイヨル混沌軍団に属する高位悪魔たちが惑星:ジ・アースに大挙しないように出来ているのだ。
「淫蕩、暴食、強欲。そして怠惰、憤怒、傲慢。彼らは嫉妬を奪われ、その奪還に呪力を注ぎ込んでくるでしょう。私はベルにとんでもない大罪を背負わせてしまったのかもしれません。ですが、アリスならば、ベルを護ってくれるはずです」
星皇は自分の判断に悔いの感情を持ちつつも、『希望』をベルに託したつもりである。ベルが『絶望』しないためにもアリスを遣わした。それがどう作用するかは、未だにわからない。だが、ハイヨル混沌軍団がベルを狙う理由を作ったのは星皇自身である。
「ベルは真実を知った時、私を激しく責め立てるかもしれませんね」
星皇の独白めいた言葉に対して、天鳥船のブリッジにいるクルーたちから、何かしらの応答はなかった。真実を知っているのは星皇と創造主:Y.O.N.Nのみだからだ。姉であるミカエル=アンジェロにすら、そのことを告げていない。
ベル=ラプソティがハイヨル混沌軍団に狙われている理由は、彼女が『聖女』であり、『救世主』を産む聖母だからだ。それは理由の半分に当たるが、もう半分は違っている。
「私は誰を恨めば良いのでしょうか? まさか、創造主:Y.O.N.N様でしょうか?」
星皇の独白は続く。しかし、それに応答する者は誰もいなかった。創造主:Y.O.N.Nと星皇が立案・企画した『天地再創造計画』の全貌を知るのは、まさに創造主:Y.O.N.Nと星皇のみが知っていることであった。
「姉を巻き込んでおけば、少しは私の肩にずっしりと重くのしかかっている荷が軽くなっていたのでしょうか? でも、姉なら、それこそ妻と共有しろと叱責しそうですね」
星皇はひとり苦笑する。ピンク髪ショートヘアーの男の娘が運んできたミルクティが注ぎ込まれたティーカップに口をつけ、ズズズ……と軽く音を立てて、その中身を一気に飲み干す。
「ありがとう、ジャンヌ。キミもなかなかに腕をあげましたね」
「ハイ。妹に負けぬために腕をあげていマス。アリスはお小水を混ぜていましたが、ワタシはおちんぽミルクを混ぜていマス」
ジャンヌと呼ばれた少女がそう告げるや否や、ブリッジにいる皆が一斉にブフーーー!! と口に含んだミルクティを噴き出す。そして、盛大に咳こみながら、一気に天鳥船のブリッジ内は混乱の境地へと陥っていく。
「ハハッ! 数日前に似たようなことがありました。あと、ジャンヌ。直接的表現すぎます。やんわりとした表現じゃないと、皆が混乱してしまいますよ?」
「すいまセン。アリスに対抗しようとしたために、言葉選びを間違えまシタ。今度からは違う表現をシマス」
天鳥船のブリッジに居るクルーたちは、表現を変えるだけかよっ! と総ツッコミを入れかけたが、ついには実行することはなかった。ジャンヌ様が淹れてくれたミルクティは飲む振りをするだけに留めようと思うだけであった。
「では、出撃してきマス。より多くの悪魔の首級を刎ねてきマス」
「くれぐれも無茶をしないように。アリスくんが居ない今、この最前線を支えるひとりがジャンヌ=ロンド、キミなのですから」
星皇はそう言うと、ピンク髪ショートヘアーの男の娘の左頬に軽く接吻をする。ジャンヌ=ロンドは耳まで赤く染め、ティーカップとティーポッドを乗せていたお盆を両腕で抱き込んで、ブリッジから走るように消えていく。その後ろ姿を目を細めて見つめていたのが星皇:アンタレス=アンジェロであった。
「彼女のバックアップをお願いします。ミシュランくん。アリスの調整もあり、忙しい身だと思いますが、ジャンヌの方もお任せしますよ」
「はいっ! こちらブリッジ。認識番号『ZGMF-X19A』。コードネーム『虚無と痛みを知る正義』が再出撃します。天使射出口の作業員たちは急いでくださいっ!」
通信士であるミシュランが天鳥船の後部ハッチ付近で忙しなく働いている作業員たちに告げる。しかしながら、その作業員たちの主任である天使が怒鳴り声を返してくる。
「なんだとぉぉぉ!? ジャンヌ嬢ちゃんは1時間前に戦闘から戻ってきたばかりだろっ! 休息と食事はしっかり取らせたのかっ!?」
主任の天使の怒りはごもっともであった。ジャンヌ=ロンドは戦闘から戻ってくるなり、満足に休息も取らずに、ブリッジに居るクルーや星皇たちにおちんぽミルク入りのミルクティを配っていた。それが大惨事を引き起こすことになったが、それを今、主任の天使に向かって放言する時ではなかった。
「え!? ジャンヌ嬢ちゃん、星皇様特製のレーションだけで腹は満たされたって!? ったく……。おい、お前ら、ジャンヌ嬢ちゃんを送り出すぞっ! 後でジャンヌ嬢ちゃんにまともなメシを準備してなかった星皇様を俺様が叱りつけておくわいっ!」




