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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ミーアの旅と終着点 - 初恋の勇者様は世界の異物でした -

作者: 物太郎


「ねえ、アサヒ。アサヒは勇者なの? 魔王倒せるの?」


 黒髪に青い瞳の六歳前後の少女が、青年の後ろから問いかける。


「皆がいうには勇者みたいだよ。……えーと、君名前は?」

「ミーア。ミーア・ラルダ」

「そっか。びっくりしたよ。黒い髪なんて今まで見なかったから……一瞬あと四人の内の一人かと……」

 彼は困ったように苦笑する。

「えと。他の勇者様の髪もみんな黒いかもしれないんだっけ?」

 「たぶ、ん……」と考えながらのようなあやふやな返事が返り、ミーアは首を傾げた。

 見上げた青年の背中は細く、その表情もどこか自信がなさそうだ。「本当にこの人は勇者なのだろうか」と疑問に思えてしまう。

「妙な色に染めてなければだよな」

 彼は独り言のようにぼやいた。

 警戒心がありつつ、だが好奇心には勝てずといった様子で、ミーアは歩調を早め青年の後ろから横に並ぶ。

 見上げた彼の髪は、彼女がよく知る自分の髪と同じように真っ黒だった。赤や青、緑や黄色の髪色もいるこの世界。同じ髪色の彼女を見つけ、彼は自分の同胞かと思ったのだと話した。

 彼は隣に来た少女へ微笑む。

「聖女様ってのがそう言ったんだよ。それぞれ、他の教会でも召喚されたって。皆同じ日本から来たって言ってたんだって。……けど、それにしたってな」

 アサヒはミーアを見下ろし苦笑する。

「こんなちっこい子が勇者として呼ばれるなんて流石にないか。……って思ったけど、何が正解かわからないし、可能性としては0じゃないのかもって。君とあってちょっと不安になってきたな」

「ねえ、それどういう意味? 弱そうってバカにした?」

 ムッとする少女に、アサヒは「ごめんごめん」と軽い謝罪の言葉を返す。



 ***



 私の部族は山のふもとにある聖域を守っている。

 聖域を守るための部族であり、そのために特別な神の加護も受けていて、皆魔力が高い。

 私が勇者の一人、アサヒと出会ったのは六歳になったばかりの頃だった。

 この周囲は聖域のおかげで魔獣の出没が少ないこともあり、外出への意識が他の地域よりも薄かった。

 だから私は、あまり悪いことだという意識もなく、一人で山の麓へ行ってしまったのだ。

 腰を悪くした祖母のために薬草を摘みに行ったのは、いつも母や祖母や友人たちとも行く場所だ。血筋柄、私も獣や魔獣を威嚇できる程度の魔法なら使うことが出来た。なので気を抜いていたのだ。

 そして、運悪くその日はめったに出ない魔獣が出てしまった。

 炎を背に魔獣に威嚇し、私は敵わない相手を前に途方に暮れていた。

「大丈夫か!!」

 そこに偶然居合わせたのがアサヒだ。

 駆けつけた彼は、猪のような魔獣を剣で退治してくれた。

 里の大人たちなら魔法で簡単に焼き殺せるサイズの魔獣だったが、退治し終えた彼は肩で息をしながら「やっと」という様子だった。

 ふと思ったのは「弱っわ……」だ。

 だが、無傷の自分を見て安心して気の抜けたような彼の顔と差し出された手に、私は情けなくも胸打たれていた。

 私は「里の外の人間に気をつけよ」という大人たちの教えを思い出し、とっさに出しかけた手を引っ込める。

「ありが、とう。けど大丈夫」

 尻もちをついたまま座り呆けてしまっていた私は、自分で立ち上がり服を払う。

 腰をかがめた彼の黒い瞳と目が合う。

 彼は私の目を見て「近くの村の子?」と尋ねた。

 頷いた私に、彼は「……だよな」と小さくつぶやき安心したように息をついた。



 私がこっそりと山の麓に行っていた事がばれても、この日はちょっとした注意で済んだ。そんなことよりも、大人たちの注目は珍しい客人に集まっていたからだ。

 私は摘んできた薬草を母に渡し、祖母のために湿布の作り方を教えてもらう。

「へぇ、勇者様? そっか。噂は本当だったんだねぇ。じゃあ町の教会に御用かしら?」

「そうだって。あの町の聖女様の話を聞きに行くって」

「あらあら。凄いわね」

「凄いのかな……。アサヒ弱そうだったよ」

 母はくすくすと笑った。

「人を見た目で判断するもんじゃありませんよ。それにきっと、勇者様だってこれからどんどん鍛えられていくわ。あっと言う間に、この里のだれも敵わなくなりますよ」

「そうなの?」

「ええ、きっと嫌でも。可哀そうなことに、彼はそのために呼ばれてしまったんですもの」

 母は微笑みつつも、本当に彼のことを憐れんでいるようだった。

 その日、アサヒは里長の家に泊まっていくこととなった。

 皆、この世界を救ってくれる勇者様には協力的で、役立つ魔術を教えようとしたり、家で作った魔法薬を分け与えたりしていた。

 感謝の言葉を返しつつそれらを受け取る彼の笑顔は、少し不安そうに見えた。

「アサヒ、勇者になったの嫌?」

 ちょっとした宴会が終わり、人がはけ始めたころ。私は彼に尋ねた。いつもなら寝ていてもおかしくない時間なのに、目がぱっちりとさえていた。

 両親も勇者様と話せるなんてめったにない機会だろうからと、私を無理に部屋にもどそうとはしなかった。

 先に彼へと群がっていた里の子供は、一人、彼の服にしがみついたまま寝ている子を除いて、皆満足して周囲をウロチョロしたり、寝に帰ったりしていた。

 だから今は、アサヒとゆっくり話すことができた。

 「嫌そうに見えたかな?」

「ほら、また」

「ん?」

「アサヒの笑顔はなんか困ってる。なんで? 勇者様になれるってすごいんでしょ? これからどんどん強くなれるんでしょ?」

「……みたいだね。俺も……嫌ではないよ。嬉しい。だってこんな……勇者なんて、いかにも物語の主人公じゃないか。だから戸惑ってるんだ。都合がよすぎて怖いっていうか」

「嫌なんじゃなくて怖いの?」

「うん。自分が選ばれたってことが怖いんだ。俺、カースト低い方だったしなぁ……。いざこうなった時の心構えっていうのができてなかったんだよな。情けない。……けどこんなんなるなんて、誰にも予想できないよな」

 彼はそう言って苦笑した。

「情けないの?」

「うん。少し」

「けど大丈夫だよ」

「アサヒ、今日ちゃんと魔獣倒せてたよ! 『弱っ!』て感じだったけど、ちょっと格好良かったよ!」

「『弱っ』て、思われてたのか……」

 私なりの励ましの言葉だったのだが、彼は凹んでしまったようだった。



 次の日、私は隣の町に向かう彼を、許された範囲まで見送りに行った。

 私だけではない。私の父もついてきてくれた。

 昨夜アサヒと私の話を聞いていた大人が、この周囲に珍しく魔獣が出たと知り里全体に注意の意識が広がったのだ。

 あの話がばれなければ、もう少し先までアサヒを送れたかもしれないと思と少し惜しかった。

「じゃあな、ミーア。送ってくれてありがとう」

「うん。また来てね」

「ああ、その時はもっとちゃんと強くなってるよ」

「本当? じゃあ次来た時手合わせしようね! 私もきっと強くなってるから!」

「勇者様と手合わせか。お前、なかなか贅沢な要求だな」

 父がそういって私のあたまをぐしゃぐしゃにしながら笑う。

 私たちは少しの立ち話の後別れた。

 彼との再会はそう遠くなかった。



 ***



「あ、やっと来た!」


 彼は 半年後にまた訪れた。

 この近くの町はこの国の中央に近い上、大きな教会もあるので、これからもよく立ち寄るだろうと両親からは聞いていた。

 だが、私はもっと短いスパンで来ると思っていたので、半年は予想以上の長い別れの期間だった。

 今回の訪問は二人の仲間連れだった。

「ミーア、久しぶり」

 アサヒは嬉しそうに笑い、二人を紹介してくれた。

 どちらもアサヒと同じ、召喚された勇者様だった。

 片方は銀髪の青年で、名前をホダカといった。はじめの印象は不誠実そうな怖い人だ。だが、話すとおちゃらけていて面白いやつだった。アサヒの年上だと言っていたが、しゃべってる内容が薄いせいか、ノリが軽いせいか、どうにもそうは見えなかった。

 もう一人は茶髪の女性だ。リエという名前で、大きな目と、髪を耳下あたりでぱっつりと切りそろえていたのが印象的だった。私はそれを見て、キノコの妖精みたいな人だなと思った。もちろん可愛いという意味でだ。

 三人は里に一泊し、私は約束通り手合わせをしてもらった。

 十代後半の彼らと、六歳の子供では全く相手にならなかった。

 私はアサヒとリエにあっさり負けただけでなく、ホダカに両足をつかまれぐるぐると振り回され遊ばれた。

 それが結構楽しくて、手合わせよりもそっちに夢中になってしまい、最終的にギブアップしたのはホダカの方だった。



 リエは少し魔法が使えるらしく、お風呂を出た後二人で訓練場に行って簡単な練習した。

 並べた的に魔法を当てるだけなので、座って雑談を交わしながらだらだらとした時間をすごした。

 私が子供のせいもあってか、彼女はかなり正直な話を聞かせてくれた。

 故郷に帰りたいこと。学校を卒業するため頑張っていた事。仲のいい恋人がいたこと。故郷がどんなところだったか。

「今も楽しいには楽しんだけどさー。帰れるのか帰れないのかもよくわかなんなくて、どういう体制でいたらいいかわかんないの。だからふと、故郷のことを考えた時にね、生殺しにされてるような気分になっちゃって。……ほら、帰れないならもう割り切ってさ、『さっさと世界救くっちゃって、新しい恋人作るぞー!』てなれるんだけど。もし帰れるなら、こっちで恋人作ったって別れがあるわけで、そもそもあっちに帰った時に彼氏にどんな顔したらいいかわからないなーとか」

「こいびと……」

 彼女の話に、私はどう返したらいいかわからなかった。

 わからないなりに合わせたかったのだが、適当に合わせられるほどの物も知らない。

 そんな私の反応は、リエにとっては丁度よかったのかもしれない。彼女はちゃんとした返答が欲しいのではなく、ただ口にして、誰かに聞いてほしかったのだ。

 たぶん、今までずっと抱えていたのであろう、私には理解しきれないもやもやした感情を吐き出し切った彼女は、満足した顔でニッと笑った。

「でさ、ミーア。あんた、アサヒの事好きでしょ?」

 私は自分がどんな顔をしていたのか知らないが、ばれてほしくないことがバレて緊張したのと、顔が熱かったのは分かった。

 リエは満面の笑みを浮かべて私の頬をつつきだした。

 「わかりやすいなー」「かわいいなー」と、いかにもからかってますというセリフを言って、「なんであんないかにもドーテーを」とか「確かに良い奴ではあるよ」とか、アサヒをバカにしたりフォローしたりしていた。

 私がムキになればなるほど、彼女は楽しむ。そうやって疲れるのか楽しいのかよくわからない時間を過ごし、ある一つの確信を得て私は寝るころにはやけに心がすっきりしていた。

 リエはかわいい。そんな彼女は、アサヒには興味がないのだ。

 しかも恋人もいた。

 この二つは非常に大きな収穫だった。

 私は翌朝すっきりと目覚め、三人の勇者様の稽古に混ぜてもらい、昼食の後皆を見送った。



 さらにまた次来た時、仲間が一人増えていた。長い黒髪のおとなしそうな女の人だった。名前をサヤカといった。

 アサヒとは気が合うようで、私は少し気が気ではなかった。

 ホダカの髪は黒と銀の半分ずつになっており、髪染めの魔法薬があると聞いてテンションが上がっていた。

 リエは茶髪だったので、ホダカ程気になりはしなかったが、この話には興味を持っていた。

 二人とも、今までこの国にそういう類の物はないと思っていて、探しもしていなかったそうだ。

「二人とも勇者でしょ? そんなに詰めが甘くていいの?」

 堂々と二人にそう言ってしまい、私は後で後悔する。 

 髪染めの魔法薬を勇者様が欲しがっていると知った大人たちは、各々家に余っていたものを、二人へ分け与えに来た。

 今日は泊まる予定ではないというのに、二人はさっそくその魔法薬を試し、遊びだす。

「おらぁ! 生意気ながきんちょ成敗だ!」

「アサヒ! ミーアの責任はあんたの責任よ! 一緒に償え!」

 私とアサヒはホダカとリエに捕まって、青と黄色と赤というどぎつい色にされた。

 私が絶望的な顔で家に帰ったら、おばあちゃんが笑いながら元に戻してくれた。アサヒも、他の大人の手を借りて戻すことができたらしくほっとした顔で旅立っていった。



 この日はあまりサヤカとは話せなかったが、次来た時、その次に来た時と、話す機会はいくらでもあった。

 五人目の勇者様「タクマ」が合流してからも、彼らは頻繁に里に立ち寄って土産話を置いて行ってくれた。



 そんなことを繰り返す事、気付ば三年の月日が流れていた。

 会うたびに彼らの顔つきや体格は変わっていく。この頃には装備もしかっりしていて、どこからどう見ても勇者一行という感じになっていた。

 「神が勇者に授けし召喚獣」というのも、この頃の彼らはいつの間にか手に入れていた。

 移動も容易くなり、彼らが世界中を飛び回る中、「魔王との決戦の日も近いだろう」という噂が立ち始めていた。



 ***





 ある日、アサヒとサヤカの二人が里にやってきた。

 彼らはいつも通り里長の家に宿泊する事となった。三日滞在すると聞いて私は嬉しかったのだが、その日の二人の表情は少し沈んでいた。

 夜、窓の外を見るとサヤカが一人で里内を散歩している姿を見つけた。

 私はそのまま、窓際に吊るしていたサンダルを履いて窓から抜け出し、彼女を追った。

 彼女は私を見て驚いていたが、一緒に星を見に行かないかと誘ってくれた。

 召喚獣の背に乗って、眺めのいい、太くて安定した木の枝を見つけ、共に二人で腰を下ろす。

 里だけでなく、その向こうの町や、更に向こうの町や村の明かりまで見えた。

 「うっわぁ、すごい……」と私は感嘆の声を漏らす。

 サヤカが隣で小さく笑った。

「ミーアちゃんは高い所平気なのね」

「うん。アサヒがたまに乗せてくれるし、初めは怖かったけど馴れた」

「ふふふ。私も。始めは凄い怖かったな。落ちたらどうしようって」

「落ちたことある?」

「うん。けどあの子、絶対拾ってくれるの」

 空を自由に飛び回っている白いドラゴンを示し、サヤカは「最近は結構可愛いなって思えるようになってきたよ」と笑う。

 だが、その笑った顔にもどこか陰りがあって、私は尋ねた。

「寝れないの?」

「うん」

「喧嘩したの?」

「うん。……そうかな。喧嘩みたいな感じかも」

「なんで? 皆仲良くなかったの?」

 彼女は顔を上げ、迷うように口を開きかけて閉じる。

「仲は、良かったと思うの。初めはバラバラだったけど……」

 彼女は目を伏せた。長いまつげに影が落ちた。

「私たちね、魔王に勝っても帰れないんだって」

 その言葉に、私はしばし考えた。

「アサヒは、帰れなかったとしてももうどうでも良いかもっていってた。もう、時間が経ち過ぎたって。今更帰っても、シャカイフッキ出来る気がしないって」

 サヤカは苦笑して「それは私もだなぁ」とぼやく。

「サヤカも? じゃあ、帰れなくても悲しくない?」

 彼女は目を細める。

「うん。私とアサヒ君はね。帰る事に関してはダメージが少ない方だったの。多分タクマ君も、そこは割り切ってると思う。……はっきり聞いたことはないから想像だけど。……ホダカとリエはさ、結構ショック受けてて。そんな彼らに取ったら、私たちといるのは辛いみたい。私たちも、彼らにちゃんとした言葉をかけられなくて、全部『薄っぺらくてうざい』んだって……けど、それだけじゃないっていうか。色々あって、魔王倒したくないってあの二人は言いきっちゃって……」

 彼女は抱えていた膝を引き寄せ、更に身を小さくした。

「魔王を倒したくない?!」

 私は驚く。

「タクマは? 師匠はなんて言ってたの?」

 アサヒが五人目に紹介してくれた勇者、タクマは魔導士だ。魔法の知識や技術に富んだこの里とは相性が良かった。

 出会った頃もそれなりに強かったが、この里の魔法を学び、旅先でもいろいろと吸収し、彼は気付けばこの里の誰も敵わないくらいの立派な魔導士になっていた。

 今はこの里に来ると、私やほかの子たちへ魔法を教えてくれる側だ。だからこの里の子供達は、私を含め彼を「師匠」と呼んでいた。

「彼は、よくわからない……。『少し考えたい』って。私たちの話を聞いて、一人で出て行っちゃって。少しして戻ってきてね『別行動する』って。『お前らも落ち着くまで、少し勇者活動から離れてみたらどうだ』って言って、さっさとどこかに行っちゃったの。本当、必要な時にいつも言葉が足らないの。困っちゃうよね。……で、彼の言葉で今に至るってわけ。だから私たち、これでもいま休暇中なの」

 師匠の相変わらずの自由気ままさに私は呆然とする。

「休暇……全然楽しそうじゃないね。いや、ていうか魔王……倒さなかったらどうなっちゃうんだろう」

「本当にね……。でなくても最近、悪あがきって感じでやり方が大胆になってるっていうのに」

「この里は凄い平和な方なんだよね?」

「うん。聖域の近くの他の数個の里もね。ここは本当に少数派……他の町や村の皆は、とても苦しんでる。餓死したり病死したり、魔獣に食い殺されたり……倒さないでいたら、きっとこういう場所もすぐになくなっちゃう」

「そっか……なくなっちゃうのか……」

 私は呆然と里や町を見る。倒して欲しいのに、何で倒したくないなんて話になったんだろう。それが不思議で仕方なかった。

 サヤカが「大丈夫」と弱弱しく笑う。

「あの二人も、倒さないなんて言ってられないの分ってると思うよ。ただ……ただ……」

 彼女は言葉を言い終える事無く、膝の上に組んだ腕の中へ顔をうずめてしまった。



 その三か月後、サヤカから手紙が届いた。

 中には「仲直りしたよ。魔王倒すよ」と書かれていた。

 そしてさらに半年たった頃、世界中を飛び回っていた彼らが決戦前の準備とやらで里に来た。

 今回はこの村にある聖域に用があるらしい。

 喧嘩していた事など無かったように、皆変わりなく元気だった。

 ホダカの髪は虹色になっていて私はそれに目を丸くし、そのあと爆笑した。

 ホダカの思惑は成功したそうで、「もうこの髪色には用はない。次の町行くまでに黒くする」と満足そうに言っていた。

「なんで?」

「そりゃあお前、次の町の宿のお姉さんは黒髪が好みだからだ」

 ホダカは悔し気な視線をタクマへ向け、威嚇するように「いー」と歯を合わせて見せた。

 このパーティーの中の年長者がこれ何だよな、と私が呆れながら笑っていると、彼は私へ目を向けて、ふと細める。

「サヤカから喧嘩の話聞いたんだって?」

「……? うん」

「不安にさせてごめんな。魔王、倒すからな!」

「うん! ……けど、そんなに不安でもなかったよ。どうせ皆仲直りするだろうなって思ってたし」

「なんだよそれ! このやろう~、粋な事言いやがって」

 ホダカ悔しそうに私の頭をぐしゃぐしゃに掻きまわした。

「うっわ! ホダカ大人げない! 一番おじさんな癖に!」

「なんだとこら! また髪色変えるぞ! お前らのためにキラキラピンクを準備してんだからな! これは強力な魔力籠ってるからそう簡単には落ちねーぞ!」

「うげー、キラキラって何?」

「待って、ホダカ。今『お前ら』って言わなかった?」とアサヒが口を挟む。

「おう。お前も連帯責任だ! ほら、このちびの代りに詫びろ」

「うわぁ! 勇者のおじさん大人げない!」

「ああ?! お前また言ったな!」

「ちょ、ミーア、お願いだから余計なこと言わないで!」

 アサヒが慌てて私に口を閉じさせようとする。

 ホダカとアサヒの反応が面白くて、私は二人から逃げ回りながらホダカへ揶揄いの言葉を投げかけて遊んだ。

 その後、里長に捕まった私はホダカに土下座をすることとなった。


 

 彼等は用を済ませるといつもの如く旅立っていった。

 ホダカの虹色の髪は里の村の子達に好評だった。彼らが去った後、子供たちが髪色を真似しようとし親に止められる、という一連の流れが暫く里で流行ることとなる。



 ***



 決戦が近いと言われる様になってから一年がたっていた。

 民衆の声は急いていた。

 まだ勇者様は魔王を倒してくれないのか、と。

 だが、勇者達はまだ準備に駆け回っていた。

 彼らがこの世界に召喚されて、五年の歳月が経っていた



 私は十一歳になっていた。

 この頃になると、アサヒが好きという気持ちは自分の中ですっかり定着していた。

 だから、もう言ってしまう事にしたのだ。


「私、アサヒが好き! 結婚したい!」


「え、今?! しかも結婚って……」

 夕食前に稽古をつけてもらう中、私は勢いのままに告白した。ムードも何もあったもんではない。二人っきりの今の内だと思ったのだ。

 恋人という段階も勿論頭にあったし、この時言いたかったのは「結婚を前提にお付き合いしたい」という事だった。それが急くに急いて言葉が短縮されて「結婚したい!」になってしまった。

 あたふたするアサヒの後ろ、リエのいかにも「こちらに来ようとしたが、この光景を目撃してしまい慌てて壁際に隠れました」という姿が見えた。

 私はそちらへじっと目を向ける。彼女も壁際からがっつり頭を出しこちらを眺めていた。

(リエ、隠れられてないから……)

 私は呆れる。

 アサヒに目を向けなおすと変わらずの困り顔だった。出会った頃のなよなよしたアサヒがまだ残っているように感じて、私にはそれが少し嬉しかった。

「ミーア、……ごめん。俺は二十三歳なわけで、君は十一歳。流石に一回り以上年の離れてる君を女性として見れないっていうか……なんか犯罪じみてるというか、ちょっと罪悪感っていうか……」

「この国にそんな決まり無いよ? 全然犯罪じゃない!」

「そうなんだけど気持ちの問題なんだって! ミーアは、オイズに結婚してって言われたらどう思う?」

 オイズとは、四歳の近所のちびだ。

 私は想像してお遊びや無知ゆえの告白だと思うだろう、と感じ「はっ」とした。

「……アサヒ、私のこの気持ち、まだまだ子供だからとか思ってる? 出会った人の数が少ないから、それで自分なんだって。……違うよ。私はアサヒだから好きになったんだよ? 初めて会った時の弱弱なアサヒがかっこいいと思った。他の勇者様も知ったし、他の町の男の人とだって話した事ある。けど、優しい薬屋の兄貴でもなくて、定食屋のジョンでもなくて、面白いホダカでも、魔法が上手でイケメンのタクマ師匠でもなく、優しくてヘタレで勇者様達の中で使いパシリみたいに扱われてるアサヒが良いと思ったんだよ?!」

 アサヒは違う意味で困った顔をしていた。

 胸に手を当てて「……なんか抉られるな」と呟いた。

 私は「もう! 本気なんだから!」と彼の腹へ拳を当てる。

「だから……だからちゃんと聞いて。忘れないで。……魔王倒して世界が平和になって、アサヒが勇者じゃなくなっても、私、またアサヒに告白するから。付き合いたいって言わせてやるから!!」

 アサヒはいつもの、優しい笑顔を浮かべた。

「ありがとう、ミーア。気持ちはすごく嬉しいよ。……俺、女の子に告白されたの初めてかも」

「……え? 二十三年も生きたのに? アサヒってそんなにモテないの?」

「いや、だからそんな無遠慮に抉らないでくれるかな……」

 彼は胸を押さえてうめいた。

 そして気持ちを立て直すと、私の頬を軽く引っ張る。 

「ミーアも、そんなデリカシー無いと将来俺みたいにモテなくなるぞ。……世界、ちゃんと平和にするから、だから魔王がいなくなった後はお前も頑張ってくれよ」

 引っ張られた頬を撫でていると、くしゃりと頭に手を乗せらた。

 私はフラれれたのに、どこか清々しい気持ちだった。



 夕食後は魔導士のタクマ師匠が魔法の練習に付き合ってくれた。

 里の子達に向けた練習は日中に行っていたのだが、私が稽古場に一人でいるのを見つけて声をかけてくれたのだ。

「ミーアは練習熱心だな。ここの人たちは確かに魔法の平均値高いけど、他の女の子とかはもっとお洒落な趣味とかに夢中だろ。魔法の練習だって、大きくなってからは『髪や服が乱れるから』って、来なくなった子もいるってのに」

 私は自分の短い髪をつまむ。

 アサヒと会ってから髪を伸ばすのをやめていた。

 彼と会ってから、「可愛くなりたい」というより「強くなりたい」という思いが強かったので、この髪はその表れだ。

「私も、強くなれれば皆を助けられるでしょ?」

「助ける? それって俺たち勇者の事か?」

 タクマは面白そうに目を細める。

「うん。タクマ師匠はあった時から強かったけど、アサヒはよわよわだったんだよ。だから、私も強くならなきゃかなって思ってたのに……」

「今じゃ完璧に教えてもらう側だもんな」

 彼はクスクス笑った。

「仕方ないじゃんか! 私はまだ子供だから。けどもう少し大きくなったら、その時はもう魔王なんていないだろうから、平和になった世界の立て直しを『皆』と一緒に手伝うんだ。だから、私が今してるのはその時の準備」

「そっか。俺たちの手伝いをしてくれるんだな。頼もしいよ……じゃあ、」

 彼は片手に光を灯す。

 突然なんだろう、と私はその光を覗く。

 彼がちょいちょいと指を振り、私に手を出すように促した。

「これは俺達からの餞別だ。秘密のまじない。使えるのは魔王がいなくなってから。一人で展開できなかったら、聖域に行って魔力を借りればいいだろう」

 私の左の手の甲に、小さくて精密な魔法陣が光って消えた。

「なんの魔法?」

「展開してからのお楽しみだ。……どうするかも、その時のミーア次第だな」

「私次第?」

「ああ。託したぞ」

 彼はとんとん、と私の頭を撫でて里長の家へと帰っていった。

 私は片手を持ち上げ、明るい月の光にかざして首を傾げた。



 ***



 空にはここ数ヶ月、太陽が昇っていなかった。変わりに、太陽に似た紫色の丸い光が昇っていた。

 勇者たちが魔王を倒す準備をしていた間、魔王側も、勇者たちを倒し、五つの教会を潰す計画を立て準備していたのだ。

 紫の太陽は魔獣の身体能力や魔力や知能を上げた。人々に不治の病を流行らせた。

 絶望の色が世界に濃くなった中、遂に決戦の日が来た。

 城に集められた騎士や兵士が、行列を作って魔王城へと向かった。

 それを先導するのは五人の勇者たちだ。

 報せを聞いた者達は皆、あの紫の太陽が消えるのを願いながら新しい報せを待った。



 進軍の知らせから翌日。

 世界の人々に魔王が倒された事が知らされる。

 それは紫の太陽の消滅と、何種かの魔獣の消滅によって報された。

 消滅したのは、魔王の活性と共に不自然に増えた魔獣たちだった。

 そして、紫の太陽の消滅と共に、不治の病も消えた。床に臥せていた人々は涙を流して喜んだ。

 数日の間、城や教会から、あらゆる手を使って世界中に「魔王消滅」の報せがバラまかれた。

 世界は魔王のいない世界を手に入れたのだ。



 ***



「お父さん! 空が! 魔王消えたんだ! 皆勝ったんだよ!!」

 私は喜んだ。拳を振り上げ、ぴょんぴょんと跳ねる。

 「そうだな」と父は微笑み、私の頭に手を置いた。

 大人達は皆、感激しているようだったが、喜び方は静かなものだった。

 祖母が家から出てきて、地面に膝をついてお祈りをし始める。

 他の大人たちも皆、祖母と同じように祈りを捧げ始めていた。

 皆が祈りを捧げているのは、魔王城のある方角だった。

 キャッキャと燥いでいた子供たちは、大人たちの姿にぽかんとしている。両親に倣い、ともに祈る子もいた。

「みんな、何してるの?」 

「勇者様たちに感謝しているんだよ」

「そっか」

 私は祖母の隣に膝をつく。

「早くみんなに会いたいね。いっぱいごちそう作って、お礼しなきゃね」

 ちらりと隣りを見ると、父は硬く目を閉じていた。

 顔を上げた祖母に目やると、彼女は静かに目を細めた。

「ミーア、いらっしゃい……。話があるの……」

 扉の前で祈っていた母は立ち上がり、目に涙をためて私を手招いた。



「勇者様……ありがとうございました」

 魔王の間の外、戦士の一人が小さくつぶやいた。

 そこに居る戦士たちは、魔王の間の外で魔獣を抑える役割の者達だった。

 勇者たちは魔王を弱らせ、魔王が作り出した世界の歪みを正し、魔王自体を消滅させる役目を担っていた。

 その邪魔が入らないよう周囲を守っていた者達は、静かになった魔王の間を前に膝をついて深く首を垂れていた。

 この隊を率いていた騎士団長が立ち上がり、「行くぞ」と周囲に告げた。

 戦士達は、彼の指示に従い数人がかりでその大きな扉を開いた。

 その中の光景に、彼等は顔をゆがめる。

 騎士団長は濃厚な血の匂いに、腕で顔を覆った。

 辺りには、真っ赤な血と肉片が飛び散っていた。それは醜い魔王の遺体を囲って五つ。

「リ、エ……」

 騎士団長は目に涙を浮かべ、その内の一つの血だまりの前、敬意を払うように膝をつく。



『一行の遺体……回収し終えました!』

 通信用の魔法陣から声が上がる。

「そうか。一片も残ってないだろうな」

『はい!』

「よし、では撤退の準備をする。速やかに戻れ」

 そういって魔法陣を手元から消すと、外で待機していた別の騎士団の長は息をついた。

「私たちにできる唯一の恩替えしがこんなものとは……」



 ***



 母からの言葉を聞いた私は愕然とした。

 「なんで……」と小さく溢し、頬に涙が伝った。

 この世界から魔王が消えた。


 同時に、この世界から勇者達も消えていたのだ。


 帰ったのではない。

 魔王と共に消滅したのだ。

 彼らは聖女や魔導士達の力によって、無理やりに引っ張り出されてきた存在だった。世界にとっては魔王と同じ異物だったのだ。

 彼らを呼べたのは、ある意味魔王のおかげでもあった。

 魔王が世界をゆがめた。その歪みのおかげで、彼等をこの世界へ召喚することができ、存在することもできたのだ。

「勇者様がね、前に来た時、長に話したの。魔王を倒せば、自分達も死ぬらしいって」

 母と父、祖母が悲し気に説明する。

 私は真っ白になりそうな頭で、その言葉を耳に入れていた。

 全部を聞き終わってから、感覚のない体を自室へと向けて歩かせていた。

 彼らは自分たちが消滅してしまうことを知っていたのだ。それでもこの世界のために戦って死ぬことを選んだのだ。

 ベッドに倒れ込んで、最後に会った時の五人の顔を思い出す。

「……なんで……なんでなんでなんでなんで……おかしい、よ……おかしい、……おかしい!!!

 また、目から涙があふれ出した。

「なんでみんなが死ぬの!! 死ぬために戦わなきゃいけなかったの?! 折角平和になるのに、何で皆がいないの?! ……告白、するって言ったの……ホダカだって、好きな人がいるって言ってたの……エリは騎士の人と結婚したって、サヤカとタクマ師匠はただ穏やかに暮らしたいって……、みんな、みんなだって……皆にも、平和な世界で生きる権利あるはずでしょ……おかしい、おかしいおかしいおかしい!!!!」

 寝具に顔を押し付けて私は叫んだ。

 いつかの日を思い出す。



 喧嘩したといって、二人でこの里を訪れた時。サヤカは何かを言いかけてた。

 もしかしたらあの頃、勇者パーティーは自分たちの死を知り、そのせいで魔王を倒す決意が揺らいだのかもしれない。

 そしてその後の彼らの様子。

 サヤカは仲直りしたといった。

 ホダカも、魔王を倒すと言いきっていた。

 アサヒも、リエも、タクマも。皆、皆、自の死を受け入れて決意を固め直していたのだ。

 別れた時のアサヒの顔を思い出す。

 何の迷いもない、希望さえ抱いているように見えるあの目―――



 『託したぞ』


 ふと頭を過った記憶の声に、私は勢いよく顔を上げた。


『これは俺達からの餞別だ。秘密のまじない。使えるのは魔王がいなくなってから。一人で展開できなかったら、聖域に行って魔力を借りればいいだろう』


『展開してからのお楽しみだ。……どうするかも、その時のミーア次第だな』


「師匠……」

 私は自分の左手の甲を見つめる。

 確信はなかった。だが、タクマのあの言葉と、決戦の日は近いと言われてから、やけに長引いた勇者たちの準備期間が引っかかった。

 私はサンダルをひっつかみ、窓から飛びだして聖域へと走った。

 外は明るかった。数時間前まで紫の太陽が昇ってたなんて信じられない位きれいな空だった。

「師匠、これ、希望だったりしますか? 皆、諦めていたわけじゃないって、思っていいですか? 私、わたしは、また、みんなにあいたい……」

 聖域に駆け込んだ私は、中央にある石碑に左の手のひらをぺたりと付けた。

 魔力を感じた。

 石碑を通じて、自分の体へここに漂う魔力が集まっていた。

「お願い……」

 私が手の甲に意識を向けると、そこにあの時の魔法陣が現れる。

 魔法陣からは金に煌めく光の糸が出てきた。

 私はその様子をじっと見つめる。眺めていたのは数十秒だっただろう。目の前にはずらりと光の文字が展開された。

 一見、それは箇条書きで何かの段取りを書いたものようだった。

 私は涙をぬぐい、それに順々に目を通していく。



「そう、か……」

 そこに描かれていたのは、勇者たちを生き返らせる方法だった。

 この世界の体を作り、そこに彼等の魂を入れ込む方法。

「また……みんなに会える。あえるんだ……みんな……」

 私の視界が、また涙で歪んだ。

 希望が見えた。

 私は自分の傍らにある、展開しきれなった魔方陣を見た。

 これは自分の力が足りないがゆえに、かけてしまった魔法陣だ。

 自分がもう少し大きくなり、多くの魔法が蓄えられるようになったら展開できるようになるらしい。

 金の糸の、最後の一文を見る。


『この魔法陣は信頼できる数人へ託した。俺たちは君たちを待っている。どうかよろしく頼む』


「信頼できる数人」

 自分だけではない。その事実が少し残念でもあり、嬉しかった。

 きっと、自分が駄目だったとしても他の誰かが達成してくれるかもしれない。けど、出来る事なら達成するのは自分でありたい。

 私は涙の残る目をぐしゃぐしゃと袖で拭い、魔法陣へ笑いかけた。

「待っててねみんな。……待ってろアサヒ。告白してやる」



 ***

 


 魔王が消えて数年。

 ミーアは十六歳になっていた。

 里の大人たちに事情を説明し、彼女は旅に出る準備を整えていた。

 手の甲の魔法陣を展開できるのは、魔法陣を託された本人にしかできなかった。魔法陣に描かれていた手順を人に伝えることが出来ても、魔法陣の中に入っていた魔法陣を展開できるのはミーアだけだ。

 彼女は、里長はや両親、里の者達の賛同を得て勇者復活の旅を前にしていた。

 以前に展開できなかった魔法陣を展開できるようになった彼女は、聖域で皆に見守られながら旅の第一歩を踏み出そうとしていた。

 魔法陣は、どこかへ転移するための物だったのだ。入れるのはミーアだけ。一緒に行ける者は誰もいない。

 陣に片足を踏み込み、みんなを振り返る。

「行ってきます」

「行ってらっしゃい、ミーア」

「気をつけてな」

 母と父が心配と信頼の入り混じった目を彼女へ向ける。

「勇者様、連れてくるからね!」

 彼女の威勢の言い声に、里の者達からちょっとした歓声が上がる。彼女はその声を背に魔法陣へ飛び込んだ。



「なんだ? 誰だね君は」

 ミーアの前に、陰険な顔の老人が立っていた。

 辺りは「人里離れた森の中」という感じだ。円形に綺麗に木が無く、その中心にぽつりと小さな木の家が建っていた。

「え……、あの。ここ」

 老人は彼女の手の甲を見て「ああ、やっと来たか」と呟いた。

「勇者に願いを託されてきた者だろ。来なさい」

「は、はあ……」

 彼女は招かれるまま家の中へ入る。



 中に入り椅子に座り、隣りの部屋へ去っていった老人を待つ。

 家の中は外で見た外装よりも明らかに広かった。

 大きな暖炉に、弧を描いた大きく高い本棚。本棚の上は遥か遠く、ドーム型のガラス張りになっているのが小さく見えた。

「知らない文字だ」

「読めない本を読むほど、君には時間は無いぞ」

 近くにあった本に触れようとした彼女はどきりと肩を揺らす。

 隣の部屋から老人が戻ってきていた。手に持つのは小さなクリスタルだ。

「時間がないってどういう」

「ここに居る時間だ。君も、すぐに戻らないとあの勇者たちのようになるだろう」

「は?」

「押しつぶされて肉片になるのさ。なりたいかね?」

「いえ、絶対嫌です」

「ふむ。そうか。ならこれを持ってさっさと行きなさい」

 彼はクリスタルを適当な巾着に入れて彼女へ手渡した。

 ミーアは不思議そうに手の中のそれを眺める。

「それが彼等の魂だよ。彼らが死んで肉体から魂が離れたら、その石の中に入る様に『私が』してやったのさ。あちらの世界の神聖な石だ。魂には所属もないしな。もう彼らが異物とみなされることはあるまい」

 自分がやった事を強調し、彼は「凄かろう」と薄く笑う。

「魂を……回収。あの、貴方は一体何者ですか?」

「なんだ? タクマという小僧から聞いてないのか。ある世界の賢者だよ。ここと君の場所とは行き来しやすくてね。彼もそれで、偶然ここに来たことがあるのさ。彼らの魂を回収できたのもそのおかげだな。運と私に感謝すると良い」

「ありがとうございます!!!」

 ミーアは慌てて頭を下げる。

「じゃあ私は肉片になりたくないのでこれで」

「ああ。そうすると良い。……っち。あと少しで時効だったんだがね」

 ミーアが外の魔法陣に戻ろうとする中、彼は小さく、厭味ったらしくぼやいた。

「後一年、誰も来なければその魂のも彼らの神具も、好きにしていいといわれていたのだが……残念極まりない」

 ミーアは金の文字で示されていた必要なものを思い出す。

 自分がまず手にするべきは彼らの魂だった。そしてほかに集めるべきは、五人分の体の材料と、聖女達の手によって、彼等のために作られた神具と呼ばれる武器だ。

「意地悪なのね、賢者様」

「君は知識人が皆人格者だと思ってる口かな? 悪人でないだけ充分だろう」

「は、はあ……」

 彼女は曖昧に頷く。

 彼はやれやれと溜息を吐くと、虫を払うように片手を振って、彼女に「さっさと行け」と示した。

 促されるまま、ミーアは魔法陣へ踏み込む。

 帰る寸前賢者を振り向くと、高く上った日の光を受けて、彼の片目が青く光っていた。その青は無感情にミーアを見ている。

 彼のもう片目は茶色く、優しい眼差しだ。

 彼は茶色い瞳の方に手を触れ、愛おしそうに笑った。

「素敵な瞳だろう。私の宝なんだよ」

「たから……?」

 ミーアの体が、魔法陣へと吸い込まれる。

 


 魔法陣から出ると、そこは入った時と同じく里近くの聖域だった。

 見送りの人々はすでに帰っていた。

 すとんとその場に座り込み、彼女は手の中の巾着を握りしめた。

 夢ではない。

 確かにこの手の中に、五つの石の感触があった。

 先ほどの賢者だという老人との会話を思い出す。色々と謎は残ったが、必要なものは手に入った。

 みんなの楽しそうな声や、彼の笑顔を思い出す。

「待っててね。絶対……」



 ミーアはそれから五年の旅をした。

 その歳月の間に彼女は少女から女性となり、旅の合間で魔法の腕を磨き強くなっていた。

 勇者に思いを託された他の者達も、賢者の居場所に行くのに遅れは取ったが、彼等を蘇らせるべく準備をしていた。どうやら、賢者の場所に行くあの魔法陣を展開するためには、魔力以外にもいくつか条件があったらしい。その条件を偶然にも全て満たしてたどり着けたのがミーアだったのだ。

 あの賢者と出会ってからは、転移用の魔法陣は開けなくなっていた。彼が役目を終えて道を閉じたのか、もともと一度しか通れない魔方陣だったのかは不明だが、もうあの場所へ行くことは叶わないようだ。



 強気な笑みを浮かべ、ミーアは元魔王城を見上げていた。

 彼等の復活に必要な最後の地。

「アサヒ、もう歳の差を理由にはできないよ」



 そして彼女は足を踏み出し―――



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