ねらわれたまご8
黒いスーツを着た男性が、玄関を出た私から2メートルもない距離で立っている。
私が住んでいる学生向けアパートは、玄関を開けると前に屋根のついた外廊下があり、建物の両端に階段が付いている。アパートの建っている敷地の入り口には監視カメラがあって、「勧誘強くおことわり」と警察官の絵が描かれた看板があるため部外者はほぼ入りにくい環境になっている。実際私がここに越してきてから、入居者の関係者らしき人影以外は一度も見たことがなかった。
そこへ来て、スーツの男性。色白で背が高く、黒い髪の毛を七三分けに撫で付けている。眼鏡をかけ、シャツをきっちりと着てネクタイを締め、ジャケットも崩さずに着ていた。左腕に黒いバッグを持っている。
普通のビジネスマンっぽい人だ。年齢が分かりにくい顔立ちだけれど、学生の就活にしては年をとっている。
「……」
駅に近い側の廊下に立たれているので、進行方向を塞がれている状態だ。
かといって、狭い廊下でわざわざ知らない人に近付いてそこを通っていくというのもちょっと躊躇う。
無視してそのまま反対の階段から降りて行きたいけれど、明らかに私をじっと見ているというのもなんかおかしい。
そのまま行くべきか迷っていると、サラリーマンが口を開いた。
「すみません、こちらで売ってもらえると聞いたのですが」
サラリーマンが発した言葉を聞いたとき、何かが私の中で引っ掛かった。イントネーションだろうか。
よくわからない違和感でちょっと考えていると、男性が動いて鞄の中から何かを取り出した。
札束だ。一万円札の。
「こちらと交換でよろしいでしょうか」
ピンと来た。ピンと来てしまった。
この人、卵、買いに来てるよね。
じっと私を見ながら札束を差し出す男性を見返しながら、私はどうにか頭を横に振った。
なんで私が托卵されたことを知ってる人が外部にいるのか。
というか、ここ日本。迷宮じゃない。なんでそんなとこに卵を欲しがる人がいるんだろう。まじょばちゃんが魔女ってことを考えたら、地球にも迷宮関係者がいてもおかしくないけど、それにしても昨日の今日で情報が広まるなんてことあるだろうか。
ていうか札束いらないし。ぶっちゃけ卵もいらないけど、札束はもっといらない。
混乱と不気味さから、とりあえず首から上のみのジェスチャーで拒否を続けていると、男性が私をじっと見ながら少しだけ首を傾げた。その動きにまた何か引っかかる。
男性がさらにもう2つ札束を取り出して重ねて差し出そうとしてきたけれど、私はバッグを抱えるようにして受け取りを拒否した。
「売ってくれないのですか」
サラリーマンの声と合わせて、機械音のような高い音が聞こえた気がした。
一番近いのは、インスタントカメラのフラッシュを焚いた音だ。軽くて、音が高くなりながら消えていくアレ。去年何度も聞いた音なので、ただの空耳かもしれない。
けれど、そうじゃないんじゃないかと思わせるような雰囲気が、目の前のサラリーマンにはあった。普通の見た目で、どこにも変なところがないはずなのに、なんだかおかしい。
モヤモヤとした気持ちで一歩下がる。すると、サラリーマンはまたじっと私を見ながら首を傾げた。なんかその動きが普通じゃない気がする。普通の首の傾げ方って、どうだったのか思い出せないけど。
「売ってください」
また軽い機械音のようなものが聞こえた。
どこから出てる音なんだろうと思ってサラリーマンを見つめていると、男性の顔が一瞬ものすごく気持ち悪くなった。
「えっ」
目が真っ黒になっている。
ホラー画像とかでよくあるような、白目もない真っ黒で不気味な目。
ひっと自分の喉が鳴ったのに気付く。この光景、画像で見るより300倍くらい怖い。自分の日常に入ってきた異物感がすごい。怖いけど、目を逸らせない。
動かなくなった黒目のサラリーマンを見ていると、なんだか色々とおかしい気がしてきた。
日本人の皮膚の色って、普通こんな色だっけ?
疑問に思うと他のものも色々と気になってくる。まず顔の作りが不自然に見えてきた。スーツの素材も、ネクタイも、手の長さも、なんだかちょっとずつ、普通とはちがうような。どこがって言われたらちゃんと指摘できないけど、なんだか、うまくいえないけど、よく知らない人が見様見真似で作ったんじゃないか、というような感じがする。
そう思ってしまうと目の前の存在が全体的に怖い。
固まったサラリーマンに釣られるように動けないままの私の横で、窓がガラッと開いた。
「?!」
うちの、窓である。
廊下と面している、コンロの近くにある小さな窓だ。
普段は換気扇を回しているので、この窓は夏の暑い時期以外は防犯のために内側から鍵をしている。それが何故か開いた。
なんで。
思わずそっちに顔を向けると、作り付けられたアルミの柵の間から、ヌッと曲がったクチバシが出てきた。その付け根には水色の頭。丸い目の中で、丸い瞳孔がキュッと締まる。
「えっ……?」
「キタヨ〜」
柵の間からワキワキと上げた片足を出して動かしながら甲高い声を出したのは、どう見ても迷宮にいるはずの鳥だった。




