新学期、新生活19
階段を上っていくと、新学期の騒がしさは開いた窓から微かに聞こえる程度になった。色褪せたような色彩の廊下を通って、コンコンとノックする。
そっと開けると、甘い花の香りが漂っていた。
「こんにちは」
デスクチェアに座った女性が、微笑みながら頷いている。今日の机の上には穀物が散らばり、そしてスズメがちょんちょんと動き回っていた。私を見て数羽が窓から飛び立っていったけれど、残りの数羽は気にしていないかのようにエサを啄んでいる。
そういえば神社にもスズメがいたな、と思い出した。スズメを従えているということは、あの自称おじいさんではない神様は農業の神様なのかもしれない。
「あの、ピーちゃんたちを預かって貰いに来たんですけど、大丈夫ですか」
恐る恐る尋ねると、柔らかそうな白いコットンブラウスを着たその女性が頷いて机を示す。お食事中に驚かせないよう机の端にそっとバッグを置くと、茶色いスズメたちはパタパタと羽ばたいてバッグのフチに留まった。中を覗き込んでチュンチュン鳴くと、ヒナたちもピーピーと鳴き返している。
「よろしくね」
ぽわぽわトリオを手に乗せてスズメたちに見せると、チュンと返事のように鳴いてくれた。ちょっと心配だったけれど、仲良くしてくれるようだ。
別のバッグの中で「ソイツラ性格悪イデ……」と呟いているシノちゃんはさりげなく隠しておく。
「今日はすぐ終わると思うので、少しだけお願いします。あの、何時ごろ来たらいいとか都合はありますか? もしお昼とか食べに出られるんでしたら、お昼過ぎに来ます」
私がそう言うと、女性は微笑んで立ち上がり、スッとスマホを取り出した。
その画面には、メッセージアプリが表示されている。
スマホ、使えるらしい。現代の人間じゃないひと、侮れない。
連絡先を交換したら、むちむちに膨らんだスズメが「よろしく」という4文字を背負っているスタンプが送られてきた。スタンプも使いこなすらしい。
かわいいスタンプなのであとで私も入れとこう、と眺めて気付く。名前が表示されている。
「あ、あの……蝋梅さん、でいいんでしょうか」
女性がこくりと頷く。
やはりあの木はロウバイで合っていたようだ。花は季節外れだったけれど、それもたぶん、何かしらの力が働いているからなのだろう。
「これからよろしくお願いします」
改めて挨拶すると、蝋梅さんも微笑んでお辞儀してくれた。丁寧で美しい仕草に見惚れていると、ふと蝋梅さんが宙を見上げる。いつも浮かべている微笑がないせいで、なんだかちょっと近寄りがたい雰囲気になった。
「あの、大丈夫ですか?」
「ネ〜ハヤク行コ〜学科ノガイダンス始マッチャウダヨネ〜」
「あ、うん」
スマホを見ると、プリントに書いてあった時間に近付いていた。
様子が心配だったけれど、そろそろ失礼しますと声を掛けると蝋梅さんの視線が私に戻る。それからそっと近付いて来て、退出を促すように優しく背に手を当てられた。
「あ、あの、迎えに来る前にメッセージ送りますね」
私の言葉に頷いた蝋梅さんは、背中に当てた手で廊下に出た私の向きをそっと変えた。
前にも通った、さっき通って来たばかりの方向ではなく、反対側へと明らかに押している。
まるで来た廊下は使ってほしくないと言っているようだ。
「ネェ〜ハヤク行クワヨッ」
「うん」
キャンパスバッグから頭だけ出したシノちゃんにも促されて、私はそのまま歩き出す。振り返ると、蝋梅さんが少し心配そうな顔でこちらを見ながら手を振っていた。
「行って来ます」
手を振り返して廊下を進み、階段を下りる。
こっちの端から降りるとガイダンスがある校舎まではちょっと遠回りだけれど、蝋梅さんがこっちを通ってほしそうだったので従うことにする。
「ホラチャキチャキ行カナイト置イテクヨネ〜」
「いやシノちゃん自力で歩いてないし」
ツッコミつつ1階まで降りて、ちょっと迷ったけれど廊下ではなく外を歩くために校舎を出た。外は相変わらず賑やかで、振り返った旧館も特に変わった様子は見られない。
「……」
振り返りつつ歩いていると、サークル勧誘の人にビラを押し付けられそうになった。シノちゃんが「私鳥愛好会サークルの会長なんでいらないですぅ〜」と私の声真似で強気に追い払ってくれた。
何だったのか少し気になるけれど、確認している時間もない。
シノちゃんに手伝ってもらいながら勧誘の間を潜り抜け、友達と再会を喜んだりシノちゃんがバレないかヒヤヒヤしながらガイダンスを受けているうちに、そのことについてはすっかり忘れてしまっていた。




