前編
学校の屋上なんて普段来る機会がない。
だから、こんなに寒いなんて思いもしなかった。
それでも俺がここにいるのは、とある人を待っているからだ。
「あ、上澤くん。ここ風が強いね」
そう言って、長い黒髪をなびかせるのは、クラスメイトの宮野さん。
成績優秀でクラスの人気者。
俺にとっては、絵に描いたような高嶺の花である。
六月の席替えで隣になったのをきっかけに、彼女とはよく話すようになった。
そして俺は今日、彼女に告白しようと思う。
「あの、宮野さん!」
「きゅ、急にどうしたの?」
「み、宮野さんのことが好きです。付き合ってくだしゃい!」
言った。
言ってしまった。
急だったかもしれない。
もう少し雑談をしてから言えばよかったかもしれない。
「ご、ごめんなひゃい!」
彼女は一目散に屋内に続くドアへ走っていってしまう。
「あ、そうですよね。俺じゃダメですよね」と言うタイミングすらなかった。
そんなに嫌われてるのかな、俺。
「フラれたのか」
少し風に当たっていると、段々それが現実であるという実感が沸いてきて、余計に悶える。
「告白、もうちょっと練習しておけばよかったなあ」
だって最後、おもいっきり噛んだし。
そんな時、俺の頭にあるものがよぎった。
――『ループ』。
朝食のトーストが焼けるのを待っている間に宿った、デタラメな能力。
時間を巻き戻す能力だ。
試しに今朝能力を使ってみたら、トーストが焼く前の状態に戻っていた。
さらに、家族も同じ会話をもう一度始めたので、効果は間違いないだろう。
「これを使えば、今度こそ自然に告白できるはず!」
善は急げと、俺はループを使うことにした。
「発動『ループ』」
おそらく、こう唱えれば――
○
「あ、上澤くん。ここ風が強いね」
そう言って、風で長い黒髪をなびかせるのは、クラスメイトの宮野さんだ。
「ん、どうしたの?」
どうやら、告白する前に戻ってきたらしい。
「あ、いや、何でもないよ」
彼女の目をじっと見つめる。
「え、上澤くん。ど、どうしたの?」
彼女は風が冷たいのか、耳を赤らめる。
「好きです。付き合ってください!」
今度は噛まずに言えた。
思わず瞑ってしまった目を少しづつ開く。
「ごめんなさい!」
またしても見えたのは、一目散に立ち去る彼女の後ろ姿だった。
いや、まだだ……。
方向性を変えれば、まだ、わからない。
「発動『ループ』」
○
全然駄目だった。
ちょうど百回繰り返した。
いろんな言い方や言葉を試した。
でも、途中で気付いたんだ。
「結局、俺の言葉が変わっても、向こうの気持ちは変わらないんだよな」
そう考えたら、この『ループ』という能力がとても無駄なものに思えてくる。
「あ、上澤くん。ここ風が強いね」
「ごめん、宮野さん」
俺は手を合わせて頭を下げる。
「俺の変な勘違いだった。屋上に用事はなかったんだ。わざわざ呼び出しちゃって本当にゴメン」
「へ? あ、そ、そうだったんだ。別にいいよ。屋上初めて来たし」
「ほんとゴメン。お詫びにジュース奢るよ」
「本当に大丈夫……いや、せっかくだからご馳走になろうかな」
これでいい。
俺みたいなのが、高嶺の花とこんなに話せることだけでも、喜ぶべきだろう。
彼女は夕焼けに照らされて、俺の少し先を歩いていた。
「いやー、ジュースご馳走様でした!」
「こっち見ながら歩くなって。転んでもしらないぞ」
「わかってるわかってる」
ほんとにわかってるのだろうか。
告白のことは綺麗さっぱり忘れよう。
努めてそう考えていたそのとき。
ブレーキ音が聞こえた。
鈍い音がした。
ガラスが割れる音が響いた。
目の前に彼女の姿はなく、あるのは歩道に乗り上げた大型トラックだけ。
辺りは誰かの悲鳴に包まれた。
炭酸ジュースの空き缶が、ゆっくりと俺の足元に転がってくる。
「発動『ループ』」
反射的に唱える。
考える暇なんてなかった。
○
「いやー、ジュースご馳走様でした!」
俺は返事をせず、彼女の元に走った。
改めてよく見ると、大型トラックが猛スピードでこちらに迫ってきているのが見える。
「どうしたの、上澤くん」
「宮野さん!」
俺は彼女に手を伸ばす。
戸惑っている様子だったが、彼女は俺の手を掴んでくれた。
勢いよく彼女を引き寄せる。
でもまあ、そうしたら当然俺のほうにくるわけで。
「上澤くん!?」
故意ではないとはいえ、宮野さんを抱きしめる形になってしまった。
あとで誤っておこう。
その後すぐに、ブレーキ音が聞こえた。
ガラスが割れる音も響いた。
辺りは誰かの悲鳴に包まれた。
先程まで彼女がいた場所に、大型トラックが乗り上げていた。
けれど、彼女は目の前にいる。
彼女を救えたというただそれだけで、生きててよかったと心から思った。
翌日の放課後。
俺は宮野さんに呼び出され、屋上のドアを開いた。
吹き付ける風は相変わらず冷たかった。
「あ、上澤くん」
彼女はどこかこわばった様子で、こちらを見る。
「あの、ね。実は私」
彼女は頬を赤らめて、言葉を探している様子だった。
まさか、要件って。
「上澤くんのことが好きです。よかったら、私と付き合ってください」