縄文時代の文化は超シュールだった? 極私的縄文文化論 縄文人は古代シュメール人と同祖だった?
縄文時代の遺物を見る時と
その後の弥生時代の遺物とを見る時と、、、
両者の
あまりにも違いすぎることにただただ驚くばかりなのである。
これが同じ日本列島の文化だったのだろうかと?
いいや
これは全くの別種の、、というか全く無関係の異文化なのではないだろうか?
それほどこの二つの文化は全く異次元なのです。全く別物です。
一言で両者のその違いを言うならば
縄文文化は、、もう、「超シュール」、、そのものです。
今現代の前衛芸術すら軽く超えているのです。
それほど時代を尽き抜けてるのです。
今現在のモダンなシュールな芸術です。。といっても全くそん色は在りません。
というかそれすら超越した汎時代的なこれはもう前衛芸術の極致ですよ。
まずあの火焔型土器ですよ。
これはピカソが今作った?といっても誰も驚かないでしょう。
それほど前衛的です。
そしてもう一つは土偶です。
その異様なデザイン、モチーフ
ジャコメッティもロダンも、これらの土偶の圧倒的なシュールさの前には脱帽ですよね?
だがこんな超シュールな縄文時代が終わり、、次の弥生時代になると、
あれ?
なにこれ?
っていうような実に貧弱な発想力の、、つまり芸術のカケラもないような
平凡な、、つまらなーい弥生文化に豹変してしまうのです。
なんの文様もない
のっぺりした弥生土器
あの燃え上がるような火炎の縄文土器はどこにいってしまったのでしょうか?
あのシュールな土偶はどこに消えたのでしょうか?
この格差
というか落差。
弥生土器には芸術のかけらもありません。つまらない単なる実用土器です。
いったいなにがあったのか?
考えられることとしては
縄文時代が終わり弥生時代になると、
たぶん朝鮮半島からの稲作文化の到来とそれに伴う渡来人の移住があるだろう。
縄文人のシュールな発想とひらめきみたいなもののかけらもないような
実務的なある意味プラグマティズムの弥生人の移住によって
それまでのぶっ飛んでいた縄文文化が否定・抹殺されたということだろう。
「芸術は爆発だ」みたいな縄文人に対して
朝鮮半島から来た弥生人たちは
「あんたたちね、バカやってないで、地道に稲作づくりをするんですよ」みたいな実務主義?
そういう実務主義によって、爆発的な、、シュールな現実離れした縄文文化を駆逐していったのであろう。
まあたとえはあまりよくないかもしれないが
縄文人は野生のヤマネコ
弥生人はおとなしい飼い猫
ってところでしょうか?
最近の研究によると
BC1000年ころに朝鮮半島から来た弥生人と
北方からそれ以前のずっと昔今から10万年ころには日本列島に来ていた縄文人とでは
DNAも、全く異なるそうです。
縄文人のDNAはなんとシュメール人などに似ているのだそうです。
今現在の中国人や朝鮮人にはないDNAがあるのだそうです。
縄文人のたどってきた移住経路は、おそらく
ずっと古い時代(今から20万年前)にアフリカを出たホモサピエンスの一族が
現在のフランスあたりに繁栄していたネアンデルタール人と混血して
今の東欧を経由してロシア平原に至りそこからシベリアを下って
樺太、、北海道に入ったものと思われます。
それが縄文人のルーツです。
そしてそれらとは全く別ルートでにアフリカを出たホモサピエンスの一族がネアンデルタール人との混血を経ないで、今の中東を通り
今のシルクロードをたどって
中国にたどり着き朝鮮半島に達したのが今の中国人と朝鮮人のルーツです。
このように同じホモサピエンスといっても
アフリカから出た時代が異なりたどったルートも違う
全く別種のホモサピエンスだったのです。
これはDNA調査でも実証済みですから疑いなきところでしょう。
確かにシュメール文化の残り香?というか
そういうオリエント芸術みたいなものが
縄文芸術にも強烈に感じられますよね?
と、、ここへきて
今まで「トンデモ学説」として笑殺?の対象でしかなかった
「日ユ同祖論」がにわかに現実性を帯びてくると感じるのは私だけでしょうか?
「日ユ同祖論」とは日本人とユダヤ人が
古代に同祖から分かれた同じ民族だという「仮説」?です。
でも今DNA的に古代シュメール人と同祖?だと確定された以上、
古代ユダヤ人と同祖というのも否定はできないでしょう。
私たち今の日本人は先ほど述べたように
中国大陸や朝鮮半島から来た「東洋人」と、
それより以前から日本列島にいた「縄文人」との混血ですが
今現在の日本人のDNAにも縄文人の痕跡が色濃く残り続けているのです。
だからでしょうか?
私たち現代の日本人が
なんというか感性や感情面で
中国人や朝鮮人に対して生理的な?「違和感」を感じるのは
そういうわけだったからなのでしょうか?