ありがとうの意味、その1。
これは俺が中学二年生の時の記憶だったと思う。
ある朝、担任が見たことのない一人の少年を連れて教室に入ってきた。
「はい席に着いてー。今日は転校生を紹介します。飯田君ここに来て挨拶してくれる?」
「はい……。 飯田脩一です。よろしくお願いします」
身長はたぶん俺より少し高いくらい。
俯いているからか伸びた前髪が目を隠してしまっていて、なんだかふて腐れているように見えた。
「じゃあ、飯田君は一番後ろの空いてる席に座ってくれる?」
「はい」
隣の席の北畑が俺に小声で話しかけてきた。
「あいつ何か暗くね?」
「うーん、緊張してんじゃねーの?」
担任に示された席に向かうため、飯田が俺と北畑の間を通って行く。
あ、やばいな、と思った時にはもう北畑がすかさず足を横に出していた。
「……ッ!」
「アブな!!」
俺は咄嗟に飯田の学ランの裾を掴んいた。
そして俺たちは二人して、見事にすっ転んだ。
「何お前まで一緒になってコケてんの?」
北畑がニヤニヤしながら言うから、頭にきた俺はその襟元に掴みかかった。
「お前マジいい加減に――」
その瞬間、横から腕が伸びてきて拳が北畑の頬にヒットした。
飯田だった。
俺は唖然として飯田を見つめた。
「これで許してやる」
そう呟いた後、飯田は何もなかったように自分の席に着いた。
「二人とも怪我はない? ――――よし、大丈夫ね? それじゃあ三人とも昼休み職員室ね」
職員室でこっぴどく怒られた俺たちは、教室に戻る途中で思わず吹いた。
「さっきの担任の顔見た?」
「顔真っ赤にして怒ってたよな」
「あそこまで怒るか?」
「そもそもお前が全部悪いんだろ、北畑」
「おれは飯田が緊張してるみたいだから和ませてやろうと」
「よく言うな」
「それにしても飯田もいきなり殴ってくるとかマジで驚いたって」
「そうそう。でも何かすげーよ。大人しそうな奴かと思ったら」
それまで黙っていた飯田がぼそりと言った。
「ありがとう」
「ありがとうって何が?」
「いや……、なんでもない」
「?」
昼休み、ひとしきり俺たちを説教した後に、担任が俺にだけ聞こえるように耳打ちした言葉が気になった。
「飯田君と友達になってあげて」
「? たぶんもう俺たち友達ですよ?」
「おーい、シューイチー! お前またこの間のテスト学年一位だったんだって? マジすげーな」
「別に凄くねーよ」
「すげーって、今度一緒に勉強しよーぜ」
「ああ」
「シューイチ!! サッカー部入らねー?」
「サッカー部?」
「お前すげーセンスあるのにもったいねーって。一緒にやろーぜ」
「シューイチ、お前って高校どこ受けんの?」
「第一志望○高だけど」
「うわー、すげーな。……俺も今から頑張ったら何とかなんねーかな?」
「シューイチ、この間お前が選んでくれた参考書、ちょー解りやすいわ。すげーな。マジでサンキュー」
「ありがとう」
「? なんでシューイチがありがとう?」
「……なんでもない」
ありがとう―――。
俺がシューイチの「ありがとう」の意味を知るのは、まだ先の話だ。