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セルツェ   作者: でるた
始まり
8/29

-8-

 派遣期間が明日で終わる。


 隊は引き継ぎの人員への申し送りで大忙しだ。戦闘が終わったのが三日前。手空きの隊員達が荷をまとめて、逐次発送の手続きを終えて空軍の輸送便に積み込む中に、青井(あおい)美空(みそら)3等軍曹も居た。個人の物品が大量に詰まった収納箱を二つ積み、受け渡し表にサインして、後は一任する。日本まで最短で運んでくれる空軍輸送機は、みんな大好きな最新鋭のC-2輸送機だ。ライトグレーのペイントが美しい大型機は、その大柄な体躯に見あった積載量で、隊員の私物品を運んでくれる。


 砂漠迷彩のブッシュハットを目深に被った青井は、ようやく自由な時間を手に入れると、その足で真っ直ぐ医務室に向かった。医務室とは言うが、つまりは病院のようなものだ。診察室と少ない病室からなる、庁舎の一フロアが医務室となっている。負傷した隊員の治療のために軍医が常時詰めている医務室には、戦闘偵察連隊の隊員もよく世話になるのだ。青井も何度か、不足した薬や救急品をもらいに行っている。


 空軍との共用のため、空軍の看護師や軍医とすれ違うことも多い。衛生兵仲間で知り合うこともあり、顔見知りは多い方だが、その中でも特によく話す空軍の看護師が、今日は当直に着いていた。


「お疲れ様です、三沢3曹」


 そう声をかければ、准看護士資格を保有する空軍衛生兵の三沢は、青井に笑顔を向ける。


「お疲れ様。お見舞い?」


「それもありますが、入院患者の帰国手続きに来ました」


「そっかー。もう帰国だっけ」


「はい。直前になってしまってすみません。こちらが必要書類です」


「仕方ないって。不備はないわね、確かに受け取ったわ。そうだ、関係ないけど、篠崎2曹紹介してよ。彼って今フリーなんでしょ?」


「気難しいんでオススメはしませんけど、陸軍の女性兵士(WAC)に嫌われてもいいなら紹介しますよ。結構狙ってる人多いですから」


「もしかして青井も狙ってるかんじ?」


「その情報は高くつきますよ」


 答えは出さずにはにかんだ青井は、先日の戦闘で負傷した海老原2曹の居る病室に向かう。四人部屋だが、他に人が居ないために事実上の一人部屋となっている病室は、毎日足を運んでいるが、今日も静かだった。


「今日も来たのか」


「来ちゃダメでした?」


「こんなところ来る暇があるなら仕事しろ」


「毎日来てるのは篠崎2曹も同じじゃないですか。それに、これも仕事です」


 どんなに病室が静かだったとしても、海老原の寝台脇には、いつも先客が居る。共に任務に就いて負傷している篠崎2曹(バディー)は、いつも無言で傍らに居るだけ。はじめはバディーを心配して居るのだと思っていたが、どういう訳かそうではないらしい。


「具合はどうですか?あれだけ傷だらけだったのに、二日でけろっと仕事してて。軍医(先生)も私も安静にしてるように言ったじゃないですか」


「デスクワークぐらいならできる。それに、皆が荷運びやら撤収準備してるのに一人だけ遊んでる訳にもいかない。何より気が引ける」


 普段冷嘲(れいちょう)を憚らず(てい)でも語る袒裼裸裎(たんせきらてい)な篠崎2曹だが、以外や以外。彼も中々殊勝な一面を持つ。普段からそれができていれば、恐らく敵も少なくなるであろうに。


 好き嫌いが激しいところさえ直せばいい人なのだけれど。


「海老原の帰国の手続きか?」


「はい。必要書類は提出したので私の作業は終わりましたけどね」


 手続きと言っても、事前に作成した僅かな形式的な書類を提出するだけだ。提出したら、後は受領者側が勝手に処理してくれる。これが死体ならまた面倒な手続きが増えるのだが、幸い海老原は存命だ。不謹慎だが、既に書類を提出した後なので、青井の手を離れたのだから、彼が今息を引き取っても、彼女の仕事には差し支えない。


 しかし、海老原が居ないと物悲しくあるのは事実。


 帰国前夜の食堂や隊の談話室、帰国中の輸送機内、久方ぶりの樺太駐屯地。何処にいても、海老原の不在は目立った。部隊のムードメーカー的存在の不在は、直接士気にも影響する。


 帰国してしばらくして、海老原の訃報が報らされた。気が重い中、中隊長から篠崎2曹へ伝えるよう一任された青井は、隊に通知が来るより早く、彼に事の顛末を話す。


 きっと彼は悔やむだろう。


 青井から見ても、二人は仲のいい狙撃組だった。常に二人で仕事をして、どんな困難も二人三脚で乗り越える。ある意味夫婦の様でもあった。


 しかし、反応は青井の予想の反対。


 篠崎2曹はただ一言、「そうか」とだけ言うと、ため息を漏らして、しばし黙し、「ありがとう」と言い、仕事に戻ってしまった。


「何であんな……あれじゃあまるで薄情じゃないですか」







 海老原の訃報を聞いた時、優にあまり驚きはなかった。


 ああ、矢張な。


 それが素直な感想。想定した通りの結果。


 あの場で彼を救護した優が、何よりそれを理解していた。過去に幾度となく教育され、学び、実践してきた人の殺しかた殺されかたと、彼のそれは同じだった。


 部隊葬で、涙する隊員達の中にあって、冷徹なほど淡白な感情で過ごせたのも、葬式で彼の家族にお悔やみを述べるときの波紋すら立たない様も、我がことながらまるでロボットの様だと思っていた。ただ、棺で眠る海老原を見ると、自然と頬が僅かに湿って、それに安心する自分がどうしようもなく許せなく、人の死に慣れすぎた自分がどうしようもないほど哀れだった。


 一部手足が欠損して縫合の痕が痛ましい、色白になった海老原の棺に、彼の恋人が項垂れるように泣き崩れている傍らで、優は無言で黙祷し、立ち去った。


 失って、初めて思い知るバディーの存在。当たり前に隣に居た人物が居なくなって知る存在感。


 初めて感じる喪失感に戸惑い、無気力に休暇を過ごしていた時、中隊長から呼び出されたのは、優にとって僥倖(ぎょうこう)だった。


「休暇中に呼び出してわるいな」


「いえ、暇を持て余していたところです」


 帰国して直後に捩じ込まれた叙勲式の準備で忙しいのだが、優はおくびにも出さない。ただただ無愛想な無表情で言う。中隊長からの印象はあまり良くないが、春には転属が決まっている中隊長などどうでもいい。


「単刀直入に言うが、参謀本部から貴様に償還があった。特殊戦闘作戦部への転属に関する面接だ」


 そうですか。


 いかにも軍人然とした中隊長は、春から陸軍大学への入校が決まっている、将来の参謀将校だ。


「特殊部隊への希望を出した覚えはありませんが?」


「先方から名指しで勧誘が来た。貴様の功績が向こうの目にとまったのだろう」


「いつですか?」


「叙勲の三日前だ。参謀本部で実施される」


「わかりました。命令は出ているのですか?」


「物が物だけに中隊に報せも閲覧もさせていないが、ここにある」


 手渡された秘密指定の命令を受け取り、閲読する。日時や持ち物や服装、参謀本部内の見取り図付きの細部場所の説明などが記された命令は、優が読み終わると、中隊長の手ずから裁断機に入れられた。


 特殊戦闘作戦部とは、大日本帝国陸軍が公に認める三個特殊部隊の上級部隊だ。特殊作戦群、特殊作戦教導隊、特殊作戦支援隊の三個部隊のみを日本軍は公式に存在を公表している。戦闘偵察連隊は特殊作戦教導隊で実施される特殊戦技教育を履修しなければならない性質上、教導隊との関係はなかなか深く、特殊作戦群よりも先だって敵地に潜入する戦闘偵察連隊は、偵察地域の引き継ぎのために特殊作戦群と接触することも多々ある。唯一関係が希薄なのが特殊作戦支援隊だ。


 ゆくゆくは、陸軍士官学校へ入校し、陸軍大学校を経て参謀本部勤務をわずかに夢想していた優にとって、特殊戦闘作戦部の事務方で勤務し、参謀本部の覚えをよくするのもやぶさかではないかと、皮算用でそろばんをはじき、命令を受理した。僅かながら、バディーを失ったことで戦闘偵察連隊に居心地悪く感じていたのも事実。


 これはこれでいい転機かもしれない。


 自分のスキルアップとともに、将来の出世コースを構築しておくのも悪くない。


 幸いにも、特殊戦闘作戦部で食べてゆくために必要な資格は各種取り揃えている。冬季レンジャー、空挺、スキー指導官、射撃は特級だし格闘の成績も優秀、語学も英語とロシア語と少しばかりの中東系言語もたしなんでいるし、特殊戦技教育も出ている。数日後には功五級金鵄勲章が加わる。どうせ、自分が行くのは支援隊か教導隊の事務方勤務であろうから、仕事の合間に少し勉強してさっさと陸軍士官学校に進学。勤務成績次第ではすぐにでも参謀将校への道が開けるだろう。そうでなくとも、特殊部隊での勤務経験は、どこに転属しても厚待遇間違いなし。年齢的にもまだまだ将来の展望は遠くまで見渡せる。


 ただ不可解なのは自分の過去の経歴を見て、果たして特殊部隊の人事に弾かれないのかと言う点だ。特殊部隊からの指名の場合、恐らくここまで話が来る時点で書類選考は通過していると考えていいだろう。


 まあ、何にしても、先方から指名があったことは経歴に記載される。頂きを目指すうえで、多少経歴が華やかなのはプラス査定に働くだろう。


 中隊長室を出た優は、表情に出そうになるニヤケ顔を必死に抑えていたが、表情を殺して歓喜していた。










 帰国してようやく落ち着いた一昨日、休暇を迎えて暫く事務処理や片付けで忙しかったが、ようやくそれらも落ち着いてやっと遊べるようになると、最初に向かった場所は行き付けのバイクショップだった。派遣前日に預けた愛車のCBR600RRは、ショップのオーナーが大事に管理していたおかげか、快調なエンジン音を奏でる。派手なオレンジボディーの愛車は、出国前と何らかわりなく動く。


 US仕様のCBRを騒音公害と速度超過で東京まで走らせる。


 第201空挺歩兵連隊が駐屯地する熊本駐屯地から一日と半分。早瀬巴は疲労でぐったりとしつつも、どこか清々しい様子で、実家の駐車場に愛車を停めた。


 夕暮れ時。恐らく二年ぶりに帰る実家は、相変わらず田舎と都会の中間に位置する多摩地区の、長閑で絶妙に微妙な時間の流れの中にあった。二階建ての量産型の一軒家。似たような家が並ぶなかに、早瀬の標札。


 鍵が閉まった実家の玄関にため息を漏らす。


 自発的に帰って来たくはなかったが、帝都で叙勲式と会食に出席するにあたって、立川の実家に帰らないのも薄情と言うもの。何より実家が帝都に有ると知って、叙勲者の宿泊先に政府が確保してくれたホテルの予約を、部隊が勝手にキャンセルしてしまった。


 気乗りしないが、一応呼鈴を鳴らしておく。鳴らして出なければ、ホテルを確保してそこに泊まろう。家人の不在を期待しつつ、しかしインターホンを三回鳴らすと、家の鍵は彼女の意に反して開いてしまう。


 仕方がない、腹を括るか。


「どちら様~?」


 若干苛立たしげな渋面を浮かべて出迎える弟は、そろそろ大学二年生だろう。まさにキャンパスライフを謳歌している様子。狐につままれたように巴を眺めてから、彼はドアを勢いよく開いて、彼女を迎えた。


「暫く会わないと姉の顔も忘れるのね……」


「ね、姉さん!?」


「久しぶり。お父さんとお母さんいる?」


「母さんなら居るけど……え?何で?今までろくに帰って来なかったのに!てか、イラク行ったんじゃ!?」


「何よ。帰ってきたら不味いわけ?まあいいわよ。どうせまた数日したら居なくなるし。それより、中入れてくれる?熊本からバイク飛ばしてきたから疲れてるのよ」


 弟を押し退けて玄関に入ると、家の奥から母親が出てくる。


 履き慣れたデニムにライダース姿で、色気とシャープさを同居させた巴を認めると、一瞬目を剥き、しかし直ぐに笑顔になって、彼女をひしと抱擁した。


 突然の事に理解が追い付かず、すっとんきょうな感情で母親を受け止める巴は、すすり泣く母に気付き、そっと腕に力を込める。


 小さく、思いの外軽い母親。長らく感じることのなかった母の体温。朧気で、最早忘れてすらいた母の顔は、記憶の中よりも老けた様だ。


「よかった……生きて帰って来て……本当によかった」


 高校中退以来、両親にはあまり連絡をしていなかった。年に一度だけ、差出人住所不明で、簡単な生存報告程度の手紙を送る他、一切の連絡は絶っていた。戦地に派遣される時も、遺書は(したた)めたが、特別報せはしていない。イラク派遣隊員の家族宛に、軍が発刊する便りで、娘が戦地に赴くのは知っていたのだろう。


 戦地で家族を思う隊員は多いようだが、巴はまともに家族の事を思い出すことはなかった。左翼的で非戦論者の母と、反戦支持者の父からすれば、戦地に向かった娘など裏切り者以外の何者でもないだろうと、勝手に決めつけていた。いやはや自ら腹を痛めて産んだ娘は、どんなに親不孝でも、情は沸くらしい。


 泣き笑いながら「お帰り」と言った母に、しかし「ただいま」の言葉は、喉の奥につかえて出てこなかった。


「お母さん変わったわね」


 促されるままにリビングに通され、急いでお茶を用意する母の背を見ていると、学生時代を思い出す。お世辞にも素行が良かったとは言いがたい巴にとって母親とは、過度に干渉しないが、小遣いと朝食を作ってくれる都合のいい人だった。


「確かに、姉さんが家を出ていってからは少し寂しそうかも」


 いや、そういうことではないのだけれど。


 弟の早瀬(はやせ)幸助(こうすけ)が一冊のリングノートを渡してきた。コンビニでも売っている無印良品のありがちなリングノートだ。


「姉さんが高校やめて陸軍入ってから、母さん新聞とかネットとかで、陸軍の事すごい調べてたから。イラク行ったって知ってからは、いっつも新聞の陸軍の記事切って保管してんの。姉さんが頑張ってるところだからって」


 ソファーに浅く座る巴は、ネットの記事や新聞の切り抜きが張られ、所々マーカーが引かれ、付箋やノートの隅に書かれたテレビニュースのメモに、熱いものが込み上げてきた。


 意外にも、母は自分を愛していたらしい。


 過去を省みて、反抗期だったのかなと反省しつつ、今後も心配をかけると思うと、少し後ろめたくある。


 常々、親不孝な女だ。











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