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セルツェ   作者: でるた
始まり
5/29

-5-

例の狙撃手(101)が敵部隊の前縁とぶつかったらしいぞ」


「こっちのルートが正解ってことかしらね」


「どうでしょう。ただ、敵は少なくとも五十人以上はいるようですね」


「今は二人で遅滞工作をしつつ監視継続中ってところかしら」


 中隊指揮所に集まった小隊長たちが、たった今もたらされた情報を地図に書き込み、ホワイトボードにメモしながら、対応策について囁きあう中で、巴は部下の一人と声を潜めて内容を盗み聞く。


 夜が明けて、日が中天を通り過ぎた午後。十三時もまだ過ぎたばかりの頃にもたらされた一報は、事務的で淡々としていた。


「とりあえず、対応できるように配置についておいて」


「了解。街に入れないように構えるんですよね?」


 頷き、小隊長の元へ歩み寄る。中隊長から命令を下達された小隊長の元に、各分隊長が歩きながら集まる。全員が薬室に初弾が完全装填された小銃の握把から手を離さないのは、しつけ事項が習慣化された賜物だ。


「敵は二方面同時攻撃を仕掛けてきたようだ。戦車一個中隊と第4中隊(4中)が増援で来るが、時間がかかるだろう。ヘリで狙撃手の回収に来る戦闘偵察連隊も、余裕があれば戦闘に加入してくれるそうだ」


「我々の仕事はそれまでの時間稼ぎですか」


「主任務は街の防衛だ。撃退してもいいんだぞ?」


「さすがにこの人数では厳しいですよ」


「我々以上に厳しい戦いをしている彼らは?」


「うっ、それ言われたら言い返せない」


 そう。たった二人の戦争を彼らは強いられているのだ。


 分隊がいる国道沿いの検問エリアに戻ると、既に分隊は戦闘用意を終えて、警戒に当たっていた。最前衛を任された小隊の後方地域での待機任務だが、想定される敵進行経路上の幹線道路を警備する彼女らの任務は責任重大だ。分隊に配当されている二両の高機動車が道を塞ぎ、旋回銃架に固定された77式7.62ミリ機関銃と12.7ミリ重機関銃が地平線を狙い、積み上がった土嚢に無反動砲が鎮座し、隊員が耳目を働かせて警戒する。


 本国に置いては、対支那(シナ)を念頭に置いた西方防衛の任を担う第2空挺師団は、実際には第1空挺師団が国防省直轄の空中機動団へと改変されるとともに、大日本帝国陸軍に二個師団存在する一つとなり、帝国陸軍の先駆け、先兵となった。ちなみに、もう一つは北方に駐屯する第3空挺師団である。それまでは第1空挺師団が有事に置ける先鋒として、敵勢力圏に降下し、ゲリラ戦を展開して敵を混乱させ、主力部隊の攻勢に資する準備攻撃のための準備攻撃を行っていたが、改変し国防省直轄となり、その主任務が教導とプロパガンダと予備戦力として温存されるに至ったため、第2空挺師団がその任を引き継ぐ形になり、結果彼らは今、戦闘偵察連隊と共に先兵としてイラクへ派遣され、終わりなき戦争の尊い被害者となっている。


 つまり何が言いたいかといえば、そもそも軍人として望みもしていない戦争のために派遣され、悪戯に熱砂に生命を溶かすのはもううんざりだという事なのだが、いやはや見方によってはそうもいっていられないのである。イスラム教徒による列強へのパフォーマンス的エゴイズムが引き起こすテロリズムの脅威は、帝国にもその食指を伸ばしている。思想の表現技法のひとつとしてテロリズムが存在する以上、人間が思考する生物であるからには意思表示や表現に暴力を含むのは仕方ないことで、そんな抑制が効かなくなった感情から国家を守る戦いの一つが、今のイラクで蔓延る国家と宗教思想に侵された聖戦士たちとの戦いだ。


 争うことには意味があるものだ。どんな戦争も、それは思想がぶつかり合った末の暴力であり、それに従事する兵士とは、原因となった思想とはまた別に、各々が思う気持ちに駆り立てられて戦うのだ。つまるところ、戦いとは混沌とした感情の渦なのだ。


 ゆえに、相手の思想を自分の思想で上書きする以外に帰着することはない。


 つまるところ、宗教対国家の戦いとは、崇拝する神がもたらした偉大なる思想という渦に国家という利害が一致しただけの小さな思想の塊がぶつかっているだけだ。規則性を持った魚の群れに、シャチが単身突撃を仕掛けるがごとき。たとえ多数を屠っても、それを滅ぼすことはできないのと同じ。神という無形の存在は、たとえ何人であっても葬れない。思想は思想で塗り替えるほかにない。神を殺せるのは神だけなのだ。


 感情に任せて思考した結果言いたいことを見失いつつあるが、ようは私はこの戦争に戦う理由を見いだせずにいるのである。


「彼は何を?」


「101の無線を傍受させてます。周波数は分かってますから」


 巴が普段座っている高機動車の車長席(助手席)に座した上等兵が、自分が愛用している美尻クッションが使われていないか気が気ではない彼女は、手近に居た飛田3曹を呼ぶが、彼は巴の意図を汲み取ってはくれなかった。


「私のクッションは?」


「あー、あいつは使える兵士ですけど気は使わないんで……」


「あんたもね」


 深いため息が漏れるのを隠しもせず、飛田3曹の頭を鉄帽越しに叩き、車長席の上等兵を窓越しに突き飛ばす。


「汚れた服でクッションに触るな!」


「え?ちょ、なんすかっ!?」


「クッション!触るな!」


 座席から上等兵を引きずり出しと足蹴にし、多少砂で汚れたクッションを(はた)いてから、座席を占領する。


「蹴ることないじゃないっすか!」


「は?なめてんの?」


「手が出る前にやめとけ。格闘指導官(指導官)相手に勝てると思うなって」


 全くもって、飛田3曹の言うとおりである。兵士が下士官に口答えするなど言語道断で、それが例え理不尽だろうとも、叱責されても仕方がない。


 普段内地では徽章を着けていないため、部隊の隊員も忘れがちであるが、彼女は空挺レンジャーであると同時に格闘指導官資格を有する格闘レンジャーでもある。近年各種資格や職種の性別に関する規定が大幅に緩和されたため、女性でのレンジャーや基本降下修了者は増えつつあるが、格闘指導官はまだ少ない。


 巴が格闘指導官持ちと知るや、上等兵は殊勝に態度を改めて、すごすごと引き下がる。


「現状を維持しつつ交代で休憩しなさい」


「了解です」


 触らぬ神に祟りなしと言うように逃げて行く飛田3曹は気の毒だが、巴は彼に優しくするつもりはない。


「手厳しい……。少しは優しくしてやれよ」


 回転銃架で77式7.62ミリ機関銃を構えていた渋谷3曹が言う。


「バカ言わないで。優しくしても調子に乗るだけよ。一回飴を与えたら十回鞭で叩きなさいって、ママに言われなかったの?」


「うちの母親はそんなに教育熱心じゃなかったんでね、おかげで俺は陸軍でクソみたいな戦争をしていられるわけだ」


 操縦主席に乱暴に88式鉄帽を脱ぎ棄ててブッシュハットをかぶった巴は苦笑をもらす。


 巴の両親は存命だ。申し訳程度に首都に帰属した都民であり、適度に山間部に接したベッドタウンにローンで建てた一軒家は存外バカにできない住みやすさがある。都会の雑然とした喧騒がなく、排他的で無関心なご近所付き合いが、下手な田舎の無駄な結束力が肌に合わない彼女には距離感としてちょうどよかった。


「教育熱心なママが居ても、私はこんな場所で戦争しているわけね」


 そして、彼女の母親は存外娘に対して無関心だった。誕生日は一応祝われたし、七五三も一応やった。入学式も卒業式も一応出席してくれた。だが、それだけだ。そこに愛があったかと言えば、あったのは母親としての最低限の義務と世間体だろう。必要以上な干渉も、過剰な愛情も、全ては弟に注がれたわけだが、それはそれで程よい家族の距離感だったし、そういう家庭と思えば不思議と不快感はなかった。唯一良かったことは、お小遣いが月五千円でアルバイトが許されたことと、ベッド付きの自室があったことか。


「つまりママが悪いわけじゃないってことだな」


 そのせいか、母親にあまりいい印象はない。母親が平和主義者を語る非戦論者だったことも、輪をかけているのだが。


「じゃあ何が原因だと思う?」


「性格だな」


「性格?」


「ああ。粗暴で喧嘩っ早い。俺もお前もな」


「あら?私は粗暴でも喧嘩っ早くもないわよ?ただそれしか手段を知らないだけで。ママはそれ以外を教えてくれなかったもの。やっぱりママが悪いんじゃないの?」


「そのようだ」


 些細な会話だが、時間の間隙に軽口を挟むことは重要だ。取り分け小部隊ながら指揮官をしている人間は存外その重責に知らずと疲労を蓄積させる。会話による息抜きは、娯楽の少ない環境ならば、食事や睡眠同様、それを軽減するには比較的軽易な手段と言える。


 しかし、矢張張り積めた緊張が漂う戦場においては、食事と睡眠こそが最良の息抜きだ。それがどんなに粗末な料理で、悪環境だとしても。


「よろしいですか、早瀬2曹」


 食後のコーヒーを楽しんで、うたた寝していた巴を起こしたのは、分隊最下級の一等兵だった。成人もまだ迎えぬ一等兵は、巴が飲み終えたカップを回収しつつ、防弾チョッキに固定した無線機(ラジオ)ポーチの受話器を指す。


「無線呼び出してますよ」


 背中側の脇に固定した携帯無線機二型には小隊系の無線周波数が入力されている。標準で付属するイヤホン型のマイクではなく、使い馴れた手持ち受話器からは、確かに小隊長が自分を含めた各分隊長を呼び出していた。


 小隊系なら車載無線機にも入っているはずだが。


 車輌無線機を一瞥し、周波数が正しく入力されているのをみとめつつ、受話器を引ったくる。渋谷3曹がさりげなく、車輌無線機に繋がったスピーカーの音量つまみを回しているのには気が付かず、彼女は疑問に思いつつも、受話器に息を吹きかけた。


「114」


『小隊各位、こちら11。増援の戦車中隊が到着。分隊に一両の割合で戦車が増加されるため、各分隊長は掌握し、有用に活用せよ。また、航空支援についても可能である。敵との接触は二時間後を予定。ここまでよいか、送れ』


 各分隊長が了解を送信するのに合わせて、最後に彼女も短く「114、了」とだけ送る。


『なお、101を回収後は戦闘偵察連隊が増援として派遣される』


「こちら114、航空支援は攻撃ヘリ(AH)の認識でよいか?送れ」


『航空支援は攻撃ヘリ(AH)である』


 背後の市街地からギャラギャラと履帯キャタピラが地面をめくる音が地面を揺らし、程なくして高音の戦車特有のエンジン音が空気を震わせる。


「114了解。こちらについては、戦車を視認した」


『11了解、終わり』


 受話器を定位置にしている左胸に固定すると、彼女は車両無線の傍受を1等兵に任せて、来援の戦車四両に向かう。


「第1小隊か!?」


「そうです!1小隊4分隊!」


 現れた戦車はレンガのようなブロック状の爆発反応装甲を車体のあちこちに貼り付けて、金網上のスラット装甲で四周を防護した現地改修モデルの74式戦車だった。一個小隊の先頭車両によじ登り、車長用のハッチから顔を出した少尉に詰め寄る。


「小隊長ですか?」


 会話する相手が近くにいるのであれば、戦車のエンジン音とは声を張り上げるほどではない。顔を突き合わせた戦車小隊の小隊長は頷いた。


「そうだ。そちらの小隊長はどこだ?」


「この先の検問所に居ます。そちらから戦車一両を借用するように指示されています。どの車両を頂けるのですか?」


「最後尾の四車だ。一両を残して前進する。そちらの周波数は?」


「小隊系ですか?」


「そうだ。中隊系は知っているが小隊系は現地で聞けといわれた」


「なるほど」


 戦車小隊長からメモ帳を借用して、そこに周波数と規約を走り書きすると、小隊長はさっそく無線機にその周波数を記憶させる。巴は部下の一人を呼ぶと、その他三両の戦車長にも小隊で使用する無線の周波数を教えて回るように指示し、自身は戦車小隊最後尾の四号車によじ登る。スラット装甲があるせいで左右からは上りづらい戦車の正面からよじ登り、操縦手用のハッチの蓋を踏みつけて砲塔に上ると、装填手と車長がひょっこりと顔を覗かせた。


「分隊長の早瀬2曹です」


「四車長の吉成2曹です。我々はどこに配置すれば?」


 街の外縁に配置されている分隊の周囲は、遮蔽物が少ない。戦車を裸で置いておくのは控えたいところ。


「此方を援護出来る位置で、そちらの都合がいい位置にお願いします」


 餅は餅屋とはよく言うが、分からないなら専門職に投げればいい。空挺歩兵連隊に所属しているものの、巴の職種は騎兵がベースの機甲科だが、機甲といえども戦車のことなど何一つ知らない偵察職種の人間だ。歩兵部隊と偵察についてならば並み以上の知識と技能を有しているが、さすがにそれ以外は門外漢となってしまう。その点では、ベテランらしさが感じられる戦車長は、まさに戦車屋といった雰囲気が感じられる。信用がおける人物だろう。


 細かな打ち合わせは車輌を配置したあととしよう。


 一両を残して道路を耕しながら前進してゆく戦車小隊を見送り、1等兵にコーヒーを二人分用意させ、高機動車の荷台に地図を広げて待つ。


「早瀬2曹。狙撃組の撤退が完了しました。敵の第一陣を撃破、残党が第二陣と合流したようです。敵の数は概ね六十前後です」


「了解。引き続き傍受して」


 車両で中隊系無線を傍受していた渋谷3曹の報告は、つまりすべては滞りなく計画通りに進んでいるという吉報であった。狙撃組の回収も無事に終了していることはなんとも喜ばしい。そう思い、安堵の息をついた直後の渋谷3曹の一報に、思わず咽て咳き込む。


「早瀬2曹、狙撃組に負傷者一名!」


「――っはぁ!?」


「細部不明ですが、負傷者の救急搬送要請が出てます」


「そう……、まあいいわ。こっちには影響ないでしょうし」


 ため息をついて咽たことで乱れた息を整えつつ、彼女は短い間ながら共に道中を共にした戦闘偵察連隊の二人の狙撃手を思い出して、舌打ちをもらした。鼻筋が通った凛然と整った顔立ちの狙撃手スナイパーと、長身で鍛え上げられた隆々とした体躯の観測手スポッター。アンバランスでいて、しかしそれが自然体となっていて、良いチームだと感じた彼らのうちどちらかが負傷している。知らない間柄ならばよかったが、少しでも会話をした人物の顔はなかなか忘れない。


 ああ、忌まわしいかな。どうか彼らに祝福あれ。


 彼らが居るであろう西の空を見て、巴は信じぬ神に祈った。

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