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セルツェ   作者: でるた
始まり
4/29

-4-

 ラットバに入ったのは、日が中天に上った頃だ。


 前哨として監視地点に移動するのは、夜間に徒歩でとなった優と海老原は、民家の一部屋を交渉の末に借り受けて長い仮眠を取っていたが、周囲の喧騒で起こされた。


「五月蠅いな……」


 丸めた防寒服を枕に寝ていた優は不機嫌を隠さず声にのせて呟く。


「銃撃受けたらしい」


 優よりも早くに目を覚ましていた海老原は、装具類を身に着けていない空身の状態で小銃のみを携えて、窓際に立ち外を眺めて言った。散発的な銃声と隊員たちの張り上げた声を、どこか遠い場所での出来事のように感じながら、優はのそのそと背嚢から双眼鏡を取り出して、小銃を肩から下げて窓から外を眺めた。


 十字にミルが刻まれた双眼鏡で一帯を観察した優は、すぐに交戦中の見方を視認する。車両の陰や壁に隠れながら機関銃と小銃で、数百メートル離れた砂漠上の敵と交戦している。201空挺歩兵連隊が撃ち出した小銃擲弾が敵から数十メートル離れた位置に弾着したのを見て、優はため息とともに海老原に双眼鏡を渡す。


「下手くそだな」


「小銃擲弾の訓練なんかどこの部隊もやってないからな。中てられなくても仕方ないだろ。それよりも、支援するか?」


「一応支援が必要かは確認したんだろ?」


「まあな。必要ないってよ」


 スリングで銃口を上向きに肩にかける吊れ銃(つれつつ)とは上下反転させて肩から吊っていた優は、小銃を床に置き、荷物の整理に取りかかった。


 恐らく、戦闘が落ち着いた頃には直ぐに出発することになるだろう。何時でも移動できる準備をしておく必要がある。寝床に敷いていたマットや防寒服を背嚢に収納したり、機材の点検等だ。戦闘を観戦している海老原と共に、二人分の荷物をまとめ、点検する。


 砂漠ではとにかく水の不足が命取りだ。水だけは、余分に用意してある。携帯口糧は減らして嵩張(かさば)らないカロリーメイトで代替した。着替えを一日分だけに減らして、その余剰分を水や器材などに充てる。


 水や各種器材で当初よりも重くなった背嚢は、優がレンジャー訓練で背負った背嚢の重みを思い出させる。


「うわ、(おも)っ。これ背負って歩くのか……。最後まで車で連れて行ってもらおう」


「それもいいかも。名案に思えてきた」


 苦笑を浮かべながら背嚢を背負った優は、座ったまま立てなくなっている海老原を引き起こす。


 戦闘が終息したのは、それから二時間ほどしてからだった。二人を運ぶ高機動車ともう一両の、一個分隊二両に送迎してもらっての出発だった。送迎の分隊は、昨日優にコーヒーを入れてくれた早瀬2等軍曹の率いる分隊だった。まさしく戦闘後といった様子で、彼らからは火薬の燃焼した香りが嫌と言うほど漂っている。頬には煤が付着しているし、77式7.62ミリ機関銃が旋回銃架に固定されている高機動車の車内には金属性の分離したベルトリンクや空の薬莢が散乱している。ガンオイルの刺激臭もする。


 誰か洗浄油で銃口通したな。


 無造作に座席の下に置かれている銃口通し(クリーニングロット)と真っ黒に汚れた裁断布を一瞥してため息をつき、シュマグで鼻と口を押える。


「臭いか?」


「ああ。洗浄油の臭いがな……」


「そういや、お前嫌いな匂いだったな」


「よく知ってる……前に言ったことあった?」


「いや、整備の度にあんな顔してれば誰でもわかるだろ」


 そういうものだろうか。いや、海老原はバディーをよく観察している。素直に見習わなければいけないだろう。


 トレーラーをけん引する高機動車が大きく揺れた。バランスを崩して海老原に寄りかかった優を、彼は女性を受け止めるように優しく支えてくれる。もしも自分が女であれば、思わずときめいてしまっていたかもしれないシチュエーションだ。


「気を付けろよ」


「悪い」








「着きました。このあたりでいいですね?」


 車長席の早瀬2曹が振り返って告げた。優は腕に巻いたGPSで座標を確認して、地図上で自己位置を確認し、海老原に頷く。


「間違いありません。ありがとうございました、助かりました」


「ここから先は徒歩で?」


「ええ。車だけが移動手段ではありませんから。たまには足も使ってやらないと、へそを曲げてストライキを起こしますからね」


 冗談を言うだけの余裕がある海老原と巴が笑顔で握手を交わすのを、トレーラーに積み込んだ背嚢を下ろしながら見ていた優は、自分の背嚢を背負って、MICH2000ヘルメットに固定した暗視装置(NV)を起動させる。緑色で構成される暗視装置(NV)の世界。明るさを最低より少し明るい程度に調整し、89式小銃三型の四面基台被筒部レイルハンドガードに取り付けたPEQ-15のIRポインターがしっかりと作動していることを確認。


「準備よし」


 遅れて身支度を整える海老原の背嚢を支えて背負うのを手伝う。重量が一定を超えると、一人で背負うのは困難になる。余談だが座ったまま背嚢を背負って、引き起こしてもらうやり方もある。


「こっちもいいぞ」


 暗視装置(NV)を目線の高さに下ろした海老原が親指を立てる。優は頷き、201連隊の分隊員たちに向き直り、一言「ありがとうございました」と挙手敬礼を残して、夜の砂漠に歩みを向けた。背後で海老原も同様にして敬礼すると、彼は優を追い越して先頭に踊り出て、優を導く。


 背後で、高機動車のエンジン音が遠ざかるのを感じながら、優は歩いた。一時間ごとに小休止を挟みながら、その都度無線で現在地を報告する。ラットバから距離が開くほど無線の感度と明瞭度は低下していく。


「10こちら101、選定した監視位置(LP)到着、おくれ」


『そちら――此方10、おく――』


「10、10こちら101、101。監視位置(LP)到着、おくれ」


『101――――監視――了解』


 国道の交差点が一望できる監視地点としてあらかじめ地図上で選定していた座標の地点から多少外れた場所に設けた拠点の中で、優は忌々し気に舌打ちをもらして、無線機の受話器を投げ捨てるように置く。海老原の背嚢の中の無線機は、昨今調達が本格化してきた広帯域多目的無線機だ。日本が打ち上げた無数の軍事衛星を使用した衛星通信で長大な通話能力を有する。今は衛星を介さずに、すでに通達距離を超えた距離を、短波で通話しているわけだが、さすがに無理がある。今の時刻帯なら、現在地上空付近に人工衛星は不在だ。次の衛星の通過は日が没した頃だろう。


 忌々しい無線機め。


「通じたか?」


「一応。けど、通信状況は最悪だ。多分もうすぐ通じなくなる。衛星は今のところ不在。アンテナ代えても変わらないし、クソ以下の状況だな」


「寧ろ衛星無しで通じてるのが奇跡だろ。これ以上は贅沢だぜ」


 六百メートル以上離れた国道の交点に、爆薬や地雷を仕掛けて帰った海老原は、しばしば離れた場所に擬装して設置した無線機のアンテナの角度を微調節して、優の隣に伏せる。


 浅く穴を掘って、その上に橙色の布を天幕のように敷いた上から土を被せた仮拠点は、簡易的であるが影さえ気を使えば実に優秀な擬装効果を発揮している。遠目に見れば石や地面の隆起にしか見えない程だ。その中にマットを敷いて狙撃に必要な必用な諸々を最低限用意しただけの拠点だが、居住性はさほど悪くはない。湿った土に悩まされることも、虫に刺されることもなく、寧ろ本国の演習場よりも快適である。


「衛星アンテナも設置した方が良いだろうな」


「設置してくる」


「ほらよ」


 背嚢から折り畳まれたアンテナを取り出して、空中線(アンテナと無線機を繋げるケーブル)を渡した海老原に監視を任せて、這い出した優は、からっとした暑さに滅入りながら、気だるげにアンテナを設置した。


 地面に突き刺さった無駄に長いアンテナと違って、脚によって立たせる形の衛星通信アンテナは大きい上に目立つ。擬装の工夫も困りものだ。


「引いてきた」


 匍匐で潜り込むように拠点に戻る。海老原は地図上に、交差点に設置した爆薬や地雷といった障害全般の位置をマークしていた。


 黒いビニールテープで防塵処置をコネクター部分に施した空中線を海老原に手渡して、優は地図を見る。


 対人地雷――パチンコ玉よりも小さな鉄球を爆発によって無数に弾き飛ばし、敵を殺傷する指向性散弾をそのまま小さくした対人兵器が十字砲火を食らわせるように設置され、路肩には即席爆弾のように遠隔信管により離隔された地域から起爆させることができるTNT破薬がキログラム単位で道路ごと敵を吹き飛ばすように設置されている。想定としては、TNT爆破薬によって敵を道路ごと爆破して前後の退路を寸断し、混乱したところで対人地雷により無差別に殺、残った人員の中の狙撃目標――指揮官や通信手や通信機材等を狙撃により破壊する。ただしこれは、敵勢力が見積もりを大幅に上回っため、遅滞戦闘を命ぜられた場合に限る。いわゆるプランBだ。


「撤収が面倒だな……」


「撤収のことは考えてないからな。たぶん、俺らはここで遅滞戦闘することになるだろうな。こっちのルートできた場合は、ラットバあたりが主戦闘地域の前縁(FEBA)になるだろうから、バグダッドで待機中の部隊がヘリボン展開して陣地構築するまで間の時間稼ぎはしなきゃならないからな。最低でも、移動の足を挫く必要はあるだろ」


「ずっとここで狙撃して遅滞戦闘ってなったら最悪だ」


「敵に砲兵が居ないだけ良い。去年の訓練検閲の時みたいに第2歩兵連隊(連隊)の連隊長を一日中、野戦砲と迫撃砲が雨降らせる中で、スキー履いて位置変えながら狙ってたのに比べればいいだろ」


「そんなこともあったな……」


 地図と共に海老原が取り出していた、スナイパーレンジカードを記入しながら、当時の事を思い出す。真冬の道北、上富良野演習場は、優にとって印象深い。一歩積雪に足を踏み入れれば、冬季遊撃課程を体が思い出す。


「そういえば、珍しいこともあるもんだな」


「何が?」


「201連隊に敬礼しただろ。普段なら絶対しないし」


「そんなことない。いつも通りだろ」


「嘘つけ、絶対変だった」


「しつこいな……。帰ったら海老原が女に色目使ったって言いふらしてやる」


「早瀬2曹のことか?色目なんか使ってないだろ。仕事上の挨拶だったじゃんか。お前こそ昨晩はどうだったんだよ。二人きりにしてもらったんだろ」


「やっぱりお前の差し金か。余計な事を……」


「で、どうだったんだよ。高城3曹にも協力してもらったんだぜ?」


「コーヒーもらっただけ。美味しかったけど」


「それだけ?lineとか電話番号も交換してないの?」


「しないだろ……。てか、作戦行動中にスマホなんか持ってないからな」


「衛星電話あるだろ」


「官品だバカ」


 くだらない話をしつつも、二人はやるべきことは確実にこなしていた。そろそろやることが少なくなってきたころ、二人は交代で夕食を取る。日は沈み、頭上を星空が覆った頃だ。暗順応を十分にとって夜闇に目を馴らした頃になって、頭上を通過した衛星を使って無線を確保し、定時連絡と細部現在位置の座標を送ると、彼らは交代で仮眠を取った。


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