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セルツェ   作者: でるた
幽霊
29/29

-19-

 白昼の平壌郊外は、意外なほど人が少なかった。学生や会社勤めの社会人を除けば、街に居るのは子供か主婦か。平日のベッドタウンは、意外と静かで、聞こえて来るのは少ない自動車の行き来する音と、道路工事で掘削機がアスファルトを捲る音くらい。


 平和な街並みと平和な生活を営む人々。ニュースを騒がせるテロ事件や抗争等とは無縁に見える平和な世界。当たり前に保障された平和を噛み締める時が来るとしたら、人々はきっとその時に理解するのだ。平和とは如何に尊く、かくも脆いのかと。


 所詮自らの自由と平和は、自らが保障しなければならないのだ。


 そして、如何に保険を掛けたとて、継続的に確保出来ない保障は、保障足り得ないのだ。


『出てきた』


 街並みの中に溶けるがごとき五階建てマンション。その入り口を、遠方のアパートの屋上から監視していた小室伍長が言った。


 骨伝導のイヤホンマイクは、意外なほど快適に声を発信する。タイムラグは許容範囲の気にならない最低限。度々迷走する陸軍の装備調達事情の中に在って、現行採用している無線機は、意外にも必要な性能を満たしている。


「護衛は?」


『四人。車が来た。二両。少なくとも護衛は七居る』


「了解。狙撃は可能か?」


 マンションが立つ通り沿いの貸し駐車場に無断駐車していたライトバンのエンジンが始動し、黒い目出し帽(バラクラバ)で顔を隠した英次以下四人の乗員が、脳内のスイッチを入れる。


『不可』


「警察に引き継いで撤収。セーフハウスへ迎え」


『了解』


 貸し駐車場の前を、二両のセダンが通過した。愛人宅に隠れていた金龍の幹部を乗せた車両と、その護衛だ。連日の工作により幹部を悉く暗殺された抗戦派は、事実上壊滅状態だ。今回の幹部が、確認されている限りは最後の一人であり、同時に講話派が誰一人知り得なかった唯一の情報である、(キム)泰愚(テウ)の行方を知るかもしれないただ一人の人物だ。SISは確実に彼の身柄だけは拘束したいらしく、剱持大尉は念押して英次に生きたまま捉えるよう言い付けた。


 「逃げ込んだ先を突き止めたのも、穴蔵から引き釣り出す切っ掛けもSISがお膳立てしたのだから、最後に捉えるのもSISが自らの責任でやればいい」とは、英次にとっては旧知の妹分である青井美空が漏らした呟きだったか。その彼女は、ライトバンの助手席で、喜色満面とばかりに、サプレッサー付きの単機関銃(MP5A5)に弾倉を差し込む。木村穂波の面倒を見ていた青井は、待機中の隊員に仕事を押し付けてこの場に来ている。彼女は初任務が子守りでは不満だったのだ。


 現場は民間人が多い住宅街。


 龍山区のクラブでの一件から、国内工作に関しては警察が横槍を入れ、過激な手段を控えるように、剱持大尉を通じてSISから通達が下った。マンションの入り口を出てきた時点で襲撃すれば手っ取り早かったのだが、同行する公安の岸がそれを許さなかったうえ、情報を警察にリークしたため、彼らは警察との合同任務に着かなければならなくなった。待機場所兼移動手段のライトバンの中にも、少ないながら刑事課の私服警官が混ざっている。


「誘導できるんだな?」


「主要道路に出るまでは工事で通行止めにし、検問で全ての車を止めている。空港までは渋滞だ」


国外逃亡(高飛び)してくれた方が、こちらとしては楽だがな」


 英次に答えた岸は、くつくつ笑う下山を睨む。博愛的善人の警察官には、愛国的狂人は理解できないだろうが、軍人は誓って皇国に対しては誠実に忠実な愛国集団である。尽くすのが、民か国かの違いに他ならない。


「予定通り、渋滞に紛れて接近する。対象を四両の覆面パトカー(覆面)で囲んだら拘束だ」


「市民の前で銃撃戦なんて御免ですよ」


「正規の手続きに基づく逮捕だ。抵抗しなければ此方から撃つことはない。それに、銃撃戦にすらならないだろ。トンネル内で直ぐに片が付く」


 小室が車を発進させる。


 京城府警が立案し英次が加筆修正した作戦は、対象を誘導して取り囲み、車両を包囲制圧する、至ってシンプルなものだったが、同時に京城府警にとっては過去に例を見ない作戦だ。民間人が多数存在する公道にて、特殊部隊による急襲的な制圧は、民間人を巻き込む危険を多分に孕んでいる。しかし、標的の警戒心から、通常の手段での逮捕は不可能と判断した京城府警は、意外にもこの決断を即座に下し、陸軍の作戦指導にも柔軟に対応してみせた。過去に数回逮捕を試みたが、成果を挙げられない京城府警の苦渋の決断だった。


 市民を危険から守る警察は、犠牲を伴う最大多数の安全確保を優先したのだ。これは今後、朝鮮の治安維持に大きく影響する一手だろう。


 本国では既に、神奈川県警や福岡県警や警察庁といった、治安の不安定な地域においては、警察力の過激な行使は珍しくないが、日本の占領地における警察機構が、公衆の目の前で拳銃以上の銃器を使用する前例となる本作戦。警察の気合いもより一層だ。


「検問確認」


「対象を視認。我の後方三十メートル(三十)の位置」


「検問侵入します」


「通過後はトンネルの確保予定位置で待機」


 車内がにわかに色めき立つ。淡々とした報告をあげる小室と英次は、興奮を秘めた警察官達を瞥見する。


「浮き足だってないか?」


「対象を撃たなければ何でもいいっすよ」








 その部屋の入り口には、外から鍵が掛かっていた。


 金属製の扉。剥がれたモルタルの壁面。古びた机と椅子が置かれた部屋に窓はない。


 情報と文明から隔絶された部屋に一歩踏みいると、虚無感をたたえた表情の少女が一人、床に直置きしたベッドマットの上で、座敷わらしの様に膝を抱えている。彼女は目が合うと、瞳にいっそう悲壮感を浮かべて、顔を落とす。


 ある日突然、自分の意思とは関係なく拉致された彼女の、暗く落ち込んだ表情を見ると、流石に同情も沸いてくる。


「交代よ。食事、用意してあるから食べてきて」


 殺風景な部屋の中に唯一置かれた机で読書していた監視役の小林に告げる。


 無言で席をたち、脇を通って出ていく。


 この部屋の中では、必要以上に会話はしない。捕獲や人質に不要な情報を与えない措置だ。


 二人分の食事が乗ったお盆片手に入室した巴は、入れ替わりで小林が温めた椅子に腰掛け、足を組む。


「食事よ。食べなさい」


「……いらない」


「食べなさい」


 膝を抱えて空虚に虚空を見つめる木村穂波は拒否するが、拒否権など存在しない。ため息を漏らして穂波の元まで歩み寄り、腕を掴み上げて無理やり立たせる。


 抵抗はしなかった。


 無理やりながら立たされた穂波は、巴に背中を押されて、促されるままに椅子に座らされる。机を挟んで向かい合い、巴が箸を取って食事に口をつけると、穂波も不承不承(ふしょうぶしょう)に一口。ここに来てから、食事は隊員が自炊で作っている。今日の当番の一之瀬は、武骨な見た目に反して、野外炊飯に関しては一門の人だ。普通の料理を普通の味で。訓練中や作戦行動中の食事など贅沢が望めない中にあって、普通とは贅沢すぎるもの。そして監禁対象ながらに温かな食事を提供される穂波も、味は兎も角として立場を考えれば贅沢だ。


 穂波の食事は常に不定期に与えられている。一回の食事で与えられる量は最低限で、数時間で空腹感を与えながら、しかし食事の間を半日以上開けているときもある。入浴も不定期。望んだモノも外界の情報が入手できない物のみを与え、時間感覚を破壊する。既に穂波の体感時間は昼夜を忘れている。


 今も時刻にしたら昼過ぎだが、穂波の感覚では寝起きだろう。


 彼女の行動や発言を記録した申し送り簿にも、小林が(したた)めたばかりの欄に、巴と交代する直前に起床した旨が記されている。


 お世辞にも達筆とは言い難い記録の後に追記すると、巴の右上がりの角文字が美しく映える。


 無言の食事を終えて、紙パックの緑茶で口直しを済ませると、彼女は自然とベッドマットの上に座り、空を見つめる。こんな環境だ。やることなど限られてくる。事前に収集された情報によると、どうやら穂波は勉強ばかりで趣味らしい趣味も無かったようであるから、暇の過ごし方を知らないようだ。簿冊には、今まで穂波が要求した物品も、日時と共に記録されている。趣向品も始めこそ多かったようだが、外部と連絡が可能であるためや、日時が判断できてしまうため過半数を却下され、与えられていない。否定的な返答が続いたためか、最近では日用品を除いて、要求は微々たるものだ。


 よくもまあ、お人好しの小林が監視など出来たものだ。彼なら間違いなく、居たたまれなくなって、話し相手になろうとするだろう。いや、それを見越した一之瀬辺りが、喋りすぎないように釘を打ったのか。


「何か欲しいものとかある?」


 話し相手になるつもりが、話しすぎて情報を探知されたなど笑い話にもならない。少なくとも、素人相手には無言でいる限り、情報の漏洩は起こり得ない。


 一人納得し、同時に自分はそんな愚かな真似はしないと、穂波に話しかける。


 それは無意識の同情だった。


 穂波は意外そうにしながら、首をふった。


「何もしないと暇でしょ」


「好きで暇してる訳じゃありませんから」


「時間があるんだから勉強なり運動なりしたら?」


「何もかも取り上げておいて……!身一つで何しろって言うんですか」


「現状を言い訳にしてるだけでしょ?勉強道具くらい用意出来るんだから、請求してみたら?英語なら教えるわよ?」


 ため息をもらしつつ言う巴を、穂波は強く睨み付けた。巴からすれば、弱く力ない眼光で、迫力に欠ける。


「時間は有効に使いなさい。何もしないのは、時間を有効に使っている人のためにある贅沢よ。本でも読んでみる?少しは気が紛れるわ」


 自分が時間潰しのために購入したハードカバーの書物を差し出す。穂波は受けとるが、しばらくは表紙すら見ようとしなかったが、流石に暇に耐えかねた様子。パラパラと数ページ読み始める。


 学生には酷な状況だ。


 報告によれば、穂波は何処にでも居る善良で平凡な女学生。父親の本職を知らず、殺意と暴力が支配する荒事の世界とは無縁な人生を送ってきた。優しさと愛に満ちた世界が、ある時ひっくり返ったならば、その衝撃たるや如何程か。


 学生を辞めて自らの意思でSISに入局した当時の自分ですら、耐えられずストレスで嘔吐した。一時的にだが、強要されて暗がりの世界に落とされた穂波は耐えている。


 精神(メンタル)の強さを誉めるべきか、労うべきか。


 不憫な娘だ。





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