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セルツェ   作者: でるた
幽霊
28/29

‐18-

「反対勢力の八割を排除しました」


『順調に事が運ぶのは矢張いいですね。ここしばらく、牛歩のようだった進捗が嘘のようです』


 電話の向こう側で、蒲原は笑っているだろう。


 無理もない。長らくSISが悩まされていた案件のひとつが、ようやく一段落を迎えるのだ。


 作戦が無事に終わり、隊員の損失なく隊に戻れれば、剱持も肩の荷が降りる。大尉に昇任後初めての作戦責任者を無事に終わらせれば、自分を推してくれる上官の期待に応えられる。


 だが、現実はそれ程甘くない。


「残りの二割も近日中には片付く手筈です」


『わかりました、期待しています。ですが、焦って失敗するような事がないよう、くれぐれも慎重にお願いします』


 電話の相手、SISの情報工作官は、剱持の心境が分かっているのだろうか。この焦りと苛立ちを、彼は感じているのだろうか。


「そうですね。部下にも徹底します」


 いや、きっと彼には分かるまい。SISにとっては、所詮陸軍は便利な暴力装置出しかなく、その疲弊や消耗は他人事なのだ。だから、彼はああも平然と電話越しに明かるい声音で話す。


 通話を終え、苛立ちに震える心を深呼吸で正し、気持ちを切り替えて、部屋の白板を見る。今日までに部隊が行ってきた工作活動が書き込まれた時系列表(クロノロジー)と、主な金龍の反対勢力の主要人物の写真と相関図、その人物達が活動している地域の地図。部屋の壁は一面が作戦の為の掲示板状態だ。


 ここ一週間で大量にばつ印が書かれた写真。残すは大幹部二名と金泰愚(Mr.ドラッグ)の三枚だ。Mr.ドラッグから線が引かれて組織の相関図から外れた位置に、彼の妻子の写真もある。妻の写真には青色でばつ印が、娘の写真には青で丸印がそれぞれされている。


 娘は部隊拉致して、今も青井が着きっきりで監視している。SISは金泰愚を逮捕したいのだ。そのための人質であり交渉材料が娘の木村穂波であり、SISが作るアジアの制御された麻薬ビジネスの生け贄でもある。


 SISはアジアの麻薬流通を完全に撲滅することは不可能と結論を出し、流通量の制御(コントロール)による有効利用へと、2000年代から方針転換をしていた。派手には活動せず、地味ながら交渉による静かな工作活動は、担当者が蒲原に引き継がれてから、過激な武力による制圧に変わった。結果だけ見れば、蒲原の方針は間違っていないが、過程で生じた損失や被害は目を覆いたくなる。特に陸軍が使われてからは特にそうだ。


 今作戦など正にその実例足り得ている。


 帝国陸軍は優秀だ。剱持を含め、厳しく規律訓練された精鋭達は、陸軍設立から変わりなく維持されている。国家の暴力装置であり、命令一下即動必遂、確実に任務を完遂する。しかし、その手段が過激になったのは、経験による成長なのだろうか。インテリエリート集団でありながら柔軟性に富んだ参謀本部は、目的のための手段が如何に卑劣だろうとも、成果が損失を上回る限りに置いては、正解として断行する。その性質は部隊単位でも同様だ。陸軍の、延いては政府の暗部たる特殊戦闘作戦部対外作戦班は尚更顕著に、その性質を受けていた。


 市街地での民間人を巻き込んだ戦闘や、非戦闘員の未成年拉致監禁、民間人の被害度外視の破壊工作。


 テロリストと何ら変わりない活動内容にあって、テロリストとは明確に違う点と言えば、国家理念を実現させる政治的活動の延長であること。


 剱持は至って理性的で善良な帝国軍人だ。敵を倒すことに抵抗は薄いが、関係のない民間人に被害が出るのは許容できない。自分が電話で指示すれば、対外作戦班の隊員は遅滞無く娘を始末するだろうが、この状況も自分にはストレスの要因でしかない。


 右手に握ったスマートフォンが、その質量に反して重く感じる。


「大尉?」


 剱持の深く沈痛なため息に、その場に居合わせた早瀬巴が、(うれ)わしげにして、コーヒーを差し出す。


 芳醇な香りの淹れたてのコーヒー。達成感に浸れたならばさぞや美味だったろう。タイミングよく淹れてくれる優秀な美女を同席させて、今頃部室で待機名目の怠惰な余暇をもて余している篠崎優を呼び、上機嫌で午後のコーヒータイムを楽しめただろう。しかし、マグカップから立ち上る芳醇な香りの湯気が、今はただただ空虚に感じる。


 そんな気分でも、コーヒーは変わらぬ旨さだった。


「ん?ああすみません、考え事です。ありがとう」


「あまりいい豆ではありませんから、期待はずれかもしれませんが。……大丈夫ですか?」


「淹れてもらえれば何でもいいですよ」


「いえ、顔色が優れない様子でしたので……」


「ただの考え事です。大丈夫」


「何かあったら言ってください」


 社交辞令的に言ったであろう挨拶を残して退室しかけて、早瀬巴2等軍曹は、部屋の壁に張った資料を見て、足を止める。行き足をドアではなく壁に向け、腕組みして情報過多な壁を注視した。ボディーラインがハッキリとした白い半袖シャツから透けて見える黒い官能的なブラジャーに支えられた胸を寄せて思案する巴は、秀麗な相貌もさることながら、うなじが隠れる黒髪も、流れるような肩のラインも、細く引き締まったウェストとヒップラインと長い足を引き立たせる亜麻色のパンツに至るまで、洗礼された美しさと色気がある。


 資料を前に思案するさまは、陸軍と言うよりSIS工作員に見えてくる。いや、彼女のルーツは工作員だったか。


「そう言えば、小林3曹の具合はどうですか?」


「あの程度なら問題ないでしょう。プレートに弾がめり込みはしましたが、ソフトアーマーが衝撃を分散していますから、暫く痣が残る程度です。分かっているから、作戦の継続参加を許したのでは?」


「体は大丈夫でしょうが、心は目に見えませんからね。身近な君達の方が、分かると思いまして。彼はまだ若いですし──」


「老若は関係ないのでは?それに、彼は弱くはありませんよ。それより、あの敵は何だったんですか?よく訓練されている印象でしたけど……中国軍?」


「恐らくは、現地の民兵ですね。金龍に買収された傭兵とも言えます」


「…………」


 資料に向いていた彼女の視線が、冷ややかに此方を向く。彼女の眼差しには、無言の中に嫌味が含まれる。


「早瀬が言いたいことは分かります。何故撃たせなかったかですね?撃てば、我々は────」


「私だってそれくらい分かります。分かりますが……」


 感情が道理を受け付けない。それは自分も理解しているし、身に覚えがある。若かりし剱持も、早瀬巴と同じ思いを抱いた。今の立場になって分かる。上級組織の要求は、時に現場を厳しい状況を要求するが、指揮者は上級組織の要求(ニーズ)を汲まなければならない。かといって、部下の要望を無視できない。上下の妥協を追求しなければならない中間管理職は悩ましい。








 携帯アプリのニュースサイトが、今日も速報を伝える。


『マニラ市街で爆弾テロ。死傷者多数』


 物騒なニュースの速報は、しかし日本人にはあまりに馴染みが薄い事件。マニラで爆弾テロがあったから、本土に住む日本人に、一体何が影響するのか。


 連日の様に報道される爆弾テロの報道に、ニュースはあまりにも無関心に過ぎた。


 自分達の同国人が積極的に起こしたテロなのにだ。


 いや、国民は知らないのだ。テロの実行者が日本人ということも、その日本人がどんな組織人かも。


「やり過ぎだろ」


「何が?」


「マニラの件です。事務所を爆破なんてしなくても──」


「そうか?民間に被害ゼロだぜ?」


「そう言う問題じゃなくて、もっと穏便に出来ないのかって事で──」


 警察官の松岡に答えた善良な軍人の一之瀬だが、常識とは所属する組織によって変化する。首をかしげて、コーヒーに口を付ける。


「そもそも殺さなくても、逮捕するんでもいいんじゃ」


「銃を持って抵抗してくる複数の相手を、生きたまま短時間で捉える事出来るのか?勿論交渉とかは無しだ。お前ならどうする?」


 携帯のニュースアプリで国際ニュースを閲覧していた優に、一之瀬は不意に話を振る。


 険しい顔をした松岡を一瞥した。


 正義感が強い彼には、陸軍(こちら)のやり方がきっと卑劣に写るだろう。優もこの手段を肯定はしないが、手っ取り早く目に見えた成果を上げるのが目的ならば、手段としては選択するに(やぶさ)かではない。


「物が有る前提なら、催涙ガスと閃光弾で怯ませてから、ライト付きの防弾盾を先頭に非殺傷のゴム弾とか持った複数の組を投入して数で押す。無いなら被害を無視して数で押す。ただしどちらも、突入に際しては周辺に規制線を引いて隔離しなきゃ無理だから、此方の秘匿性が確保できない欠点があるけど」


「まあ、つまりだ──」


「現状の我の戦力では難しい」


「そゆこと。そりゃ、生かしとくにこしたこと無いけど、SISからは拘束対象の指名(オーダー)は無いし、無理だしな」


 物事を手っ取り早く処理するならば、力で捩じ伏せるのが最も早い。後先を考えなければと但し書きがつくが。


「まあ、やり過ぎなのは否めないけどな」


 一之瀬が締めくくりに言って、この話題は終わった。

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