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『撤収する。車を回せ』
「出していいぞ」
剱持が無線に報せるのと、優がSUVに乗るのとは、ほとんど同時だった。ダッシュボードのMICH2001ヘルメットをかぶり、助手席に乗った優がドアを閉めたのを認めてから車を出す。
左ハンドルのSUVを、剱持が居る民家の前に止める。SISや他の国境警備隊の車両も現れると、ぞろぞろと各車に皆が乗り込む。 車列の最後尾に位置する巴は、居並ぶ車両に乗り込む人数をカウントし、揃ったのを認めて、優の合図でアクセスを踏んだ。
廃村の出口で国境警備隊の隊員達を拾い、同じ要領で一之瀬と小林も回収する予定だ。
「警戒を怠るな。死人が生き返るかもしれない」
煙を上げる金龍だったモノ達の横を抜ける。離合の際に、優が窓からSR-25の銃口をつき出して、死体を警戒する。死人が動くことは常識的では無いが、イラクでは良くあった。イラク派遣を経験した隊員の多くは、死者に対しても生者同様に警戒するし、射撃する。
「冗談だろ?」
岸は苦笑して、松岡も信じていない様子だったが、優は至極真面目に死体と合わせて周囲の警戒に抜かりがない。
「冗談だよな?」
「……」
無言の優に、半信半疑になった岸が巴に視線を向けるが、彼女も左手でハンドルを握りつつも、視線を周囲に向けて、真面目に仕事しているため、岸と松岡も真剣な眼差しで真摯に警戒し始めた。
『監視位置周辺にて視線を感じる』
『了解。各車警戒を継続しつつ前進』
監視位置で回収待ちの一之瀬の報告に、剱持がすかさず注意喚起する。
「金龍?」
「越境した中国軍かも」
「このタイミングで国境警備隊の増強警備を撒いてか?」
「現実的じゃないですね」
今会合に際して、SISは国境警備隊に対して警備態勢の強化と即応戦力の増員を要請している。独自調達として歩兵戦闘車や装甲人員輸送車を配備している国境警備隊は、装備と練度のみを見れば、陸軍の機械化歩兵連隊の中隊に匹敵する。通常編成として常に国境に展開する戦力が中隊規模であるが、それが増強中隊規模に変わり、更に即応戦力として大隊規模が即応待機している現状は、中国軍すら機微に感じているだろう。その状況で越境するのは、中国軍にとってデメリットが過ぎる。
中国軍も馬鹿ではない。
国境警備隊との小競り合いの背後には、大日本帝国陸軍が誇る機甲師団が控えていることは理解している。無理な越境はしないはずだ。
「金龍なら撃っていいんですかね?」
「交戦規定に変更はないから駄目だろ。撃ちたいの?」
「撃たれる前には」
当たる当たらないに関係なく、誰しも撃たれたくはない。巴に共感は出来るが、悲しいかな、今日の彼らに自主裁量の余地はないのだ。
「視線を感じないですか……?」
デイバッグに荷物を詰め込む手を止めた小林に、一之瀬は手を止めないように促した。
「少し前から見られてる。気付いてないふりをしろ。監視に気付いた素振り見せたら攻撃してくる」
「何で言ってくれないんすか」
「お前嘘つくの苦手だろ?」
使用した器材の撤収は、交代で警戒しつつ行っていた。一之瀬は自分がバッグに荷物を詰め込んでいる途中で、複数の視線を感じていた。一瞬手を止め、銃に手を伸ばしかけてから、それを思い止まるのには勇気が必要だった。
「LP周辺にて視線を感じる」
『了解』
正直者の小林が気が付いたため、隠す必要もなくなった。無線で報告すると、剱持は直ぐに部隊に警戒態勢の引き上げを命じた。
視線の詳細な数はわからないが、概ねの位置は把握している。暗視装置越しにそれとなく確認するが、やはり姿は確認できない。
「合流地点へ移動する」
『了解。撒けるか?』
「難しいですが、やってみます」
音もなく歩きだした二人は、敵を探しながら目的地に向けて移動する。会合場所からLPまでは、明るい昼間ならば車で十五分程。暗闇で無灯火の中では、昼間よりも時間がかかる。合流場所は、直線距離で一キロ無いが、それでも徒歩では時間がかかる位置。足音を殺して索敵と警戒をしつつの移動は、時間的余裕が少ない。
「見えるか?」
「わかりません」
移動していても、視線は二人に付きまとっていた。追跡者は音もなく、二人を捉え続けている。
『合流地点まで五分』
「13、了解」
殺した声で囁くように言った一之瀬は、直後舌打ちして小林を引き倒した。
同時に、暗闇の林内に淡く炎が咲いた。銃口から前方へと響き木霊する銃声と、銃弾が作り出す真空の音が頭上を過ぎる。
全身から汗が吹き出るのを感じた。
「うわっ──!」
「撃ち返すなよ」
仰向けに倒れた小林が悲鳴をあげながらも銃を構えたが、まだ許可が出ていない。
射撃は二人の側方からだった。一之瀬が直前で気付けたのは、運が良かったからに他ならない。警戒のために視線を向けた先に、自動小銃を此方に向けた人影を、双眼の暗視装置で捉えられたからだ。
敵の一発を皮切りに、後方と側方が騒がしくなる。自動小銃の銃声が木霊し、銃弾が木々に跳弾し、または真っ直ぐに伏せた二人の上を通る。
小林は転がってうつ伏せになると、側方に銃を構え、一之瀬は後方を射撃できるように姿勢を調節した。遮蔽物を選定して倒木や木の根元に這う。
「現在13は射撃を受けている。場所は合流地点から南西に100の位置」
『了解。射撃を許可するが、勢力がわからない。命中は控え、牽制に努めろ』
「了解」
「無茶苦茶だ……」
嫌味を呟いた小林だが、行動は早かった。三角が置いていって使い手不在の自動小銃を勝手に借りている彼は、安全装置を親指で単射に切り替え、単連射で打ち返す。サプレッサーで殺した銃声と、控えめに押さえ付けられた発砲炎。陸軍の主力小銃よりも強い反動を御した小林に続いて、一之瀬も短機関銃を指切り連射で不明勢力の 発砲炎付近に、命中させないように撃つ。
わざと外すのは存外難しい。
「視界を切る。スモーク投げるぞ」
「了解」
相手が此方を暗視装置を使わずに見ているのは、此方の暗視装置に微光が確認できないことから確かだろう。ならば、発煙筒で此方を視認出来ない状態にして仕切り直せば、案外距離を取って撹乱することも容易いだろう。
「合図で移動するぞ」
煙が十分に此方の姿を隠したのを認めると、一之瀬は合図と同時に牽制で射撃を開始する。
小林が駆け出し、共通認識として示している距離まで移動すると、振り替えって膝を付き、射撃で援護しながら一之瀬を呼ぶ。互いを援護しあっての交互躍進。視界を遮り煙幕に隠れた彼らを、彼我不明の敵対勢力は確実に追跡し、射撃を継続してくる。浴びせられる銃弾は、僅かも減る気配がない。
至近弾が脇を通りすぎる。
「合流地点に到着!」
木々を掻き分け道路脇に飛び出す前に無線で通報すると、木陰から三両の乗用車が、ヘッドライトをハイビームにして飛び出してきた。同時に、二人の頭上を小銃弾が無数に、敵対勢力に向けて射撃される。
「乗れ!」
一之瀬と小林の目の前に、タイヤをロックさせながら雪崩れ込んできた三両の車列のドアが一斉に開き、見知った精鋭達が援護射撃を開始した。助手席から飛び出した千葉英次が、射撃しながら手招きし、ハイエースの後部が開く。一之瀬はそれに飛び込み、小林に手を伸ばした。
彼は最後の発煙筒を敵方へと投げると、一之瀬の手を掴むこと無く、崩れ落ちた。
「一名被弾!」
小林が倒れ込むと、英次は直ぐに無線で報せ、小林のベルトを掴んで無理やり車に引きずり込む。目の前で倒れた小林を、漠然としか認識できなかった。一之瀬は訳が分からないままに、ドライバーの小室に合図した。
「乗った!出せ!」
一之瀬は吠えた。
「どこ撃たれた!?」
英次が答えて、小林のプレートキャリアを脱がす。小林が着用するCrye Precision製のAVSは着脱容易だ。脱がせて、傷を確認する。
「背面!出血無し!」
銃弾はAVSのプレートによって阻まれていた。プレートポーチに固定されていたバックパネルのナイロンは焦げて穴が開き、中身も貫通していた。
「小林!起きろ!」
「──あ、あぁ……、痛っ」
「プレートに被弾しただけだ。痛くても耐えろ!」
英次の根性論ともとれる主張に、歯を食い縛りながら体を起こした小林は文句を言いたげにしながらも、黙って従った。
間もなく車両は離脱経路に復旧し、警戒を継続しながら、帰路に着く。
後の報告に、死傷者の名前は無かった。




