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「時間ですね」
空を見上げて、女は言った。
陸軍の旧型迷彩戦闘服にマルチカムの装備を身に付けた女は、陸軍の者達から早瀬と呼ばれていた。本名か偽名かは分からない。立ち姿もさることながら、振る舞いや表情すら綺麗な女性だ。最初見たとき、松岡はモデルでも来たのかとすら思った程だった。
今も若干、松岡は隣に立つ早瀬に、場違いながら緊張している。公安を経験したベテラン刑事だが、浮世離れした慣れない世界に、存外調子を狂わされているのだ。普段ならば張り詰めた空気を感じて仕事に意識を切り替えるのだが、それが上手く出来ていない。
『12より放送。標的ゴールド前衛班、到着』
「12、15了解。射界に捉えた」
「17、ゴールド前衛班、武装した人員15名確認」
会合場所に指定された民家に待機する隊員の無線報告に、彼女等は端的に答える。
陸軍の使用している特殊部隊用の無線機を借りている松岡と岸も、無線のやり取りは聞いていた。簡潔で無駄の無い通話は、警察無線とは全く別の殺伐さがある。
「確認ですけど、交戦規定は武力紛争法に準ずるんですよね」
早瀬が問いかけた。
会合場所の、今は無人となっている廃村の民家から、二百メートル程の位置に建つ、古風な二階建て民家の二階の窓から、双眼鏡で敵を眺める早瀬は、部屋の中央で椅子に座りながら、テーブルに二脚を立てて狙撃銃を構える男に振り替える。
「その認識で概ね正しい。ただし、射撃を受けるか、許可が有るまで待機、ゲリラに対しては極力消極的交戦に留めろと」
警察官と言うこともあり、松岡は法律の知識はあるが、軍人が気にするような法については門外漢だ。武力紛争法とは国際法であり、軍人はこの法に乗っ取って攻撃目標を定め、交戦しなければならない。作戦前に概略の攻撃目標を説明されたが、今回に関しては些か面倒なようで、友軍が攻撃を開始した段階、又は許可が有るまでは交戦しないように厳命された。
「俺達は何を?」
「何もしなくて良いです。私達の後ろに居れば安全ですから」
早瀬の回答に、岸は納得していない表情をしたが、何も言わない。
『標的ゴールド、チェックポイント通過確認、0050』
会合場所に指定された民家に待機する隊員の報告に続いて、経路上に設けた監視位置にて待機する隊員が報告する。
「時間通りだな」
狙撃銃を構える男が呟く。京城府警察本部にSISの連絡員と名乗って現れた彼だ。名前は篠崎と言うらしい。彼等の会話から名前がわかったが、どうやら彼等は己の身分を隠すつもりが無いらしい。
「観測手は要らないんですね?」
「たかが二百メートルだ。ライフル弾なら余裕であたる」
「確かに……」
篠崎は狙撃銃を構えてから、照準器から一度も視線を外して居ない。狙撃手とは忍耐の必要な職だと聞いてはいたが、実際に目の当たりにすると、想像の上をいく精神力だ。彼の硝子玉のようなブルーの瞳は、一点を見詰めて一切ぶれない。
「来た」
篠崎が言った。双眼鏡を覗いていた早瀬も気が付いたようで、すかさず無線のPTTスイッチを押す。
「確認。17放送、標的ゴールド現着0057。狙撃準備──」
一瞬早瀬が振り返り、篠崎が小さく頷く。
「──良し」
『12放送する。標的ゴールド確認。発砲は合図するまで待て』
「早瀬も狙えるか?」
「可能です。暗視使えばですけど」
「それでいい。五発撃ったら移動する。減音器は着けてるな?」
「私は着けてますが、警察さんは持ってませんよ?」
「撃たせないからいい」
篠崎の発言は、端から戦力として換算していないという現れだ。松岡にとって、それはありがたい。警察官が犯罪者と言えど、国民を射撃するのは避けたい。職務上やむ終えぬ射撃は有るが、感情ではやはり守るべき国民を傷付けたくはない。何より、それをしてしまえば、龍山区での銃乱射事件を起こした彼等と同じではないか。
『ゴールド戦闘予定地域侵入』
「狙撃可能地域進入確認」
『12、15。狙撃目標をIRでマークする』
「15、準備よし」
『目標をマーク。先頭からゴールド1、ゴールド2、ゴールド3に指定』
「了解。ゴールド3までを確認のためIRでマークする」
『確認。その他は任意に射撃せよ』
「15、了解」
淡々とした無線でのやり取り。淡白にすぎるそれは、警察官としてベテランな松岡をして、理解し難い冷淡さだ。
「会談の最中は静かであって欲しいわね……」
「会談中に事を起こすほど、彼等も脳筋じゃないですよ」
呟きに似た早瀬の言に岸が答えた。彼女は首を振って、それに否定を示す。
「そうかしら?誰かが望む結果には、必ずそれを望まない人が居るわ。皆幸せなんて有りはしないのよ」




