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バラバラとメインローターが機体を打ち付ける音が五月蠅いUH-60JAブラックホーク汎用ヘリの兵員室は閉鎖的で、機体後部から申し訳程度にうかがえる外の景色が僅かに和らげるが、圧迫感から気が滅入りそうになる。
帰国の途に着くまで後二週間。
ため息がこぼれた。
帰国した隊員は、半月以上の長期の休暇を与えられる。その後、再派遣される者は、2週間の教育を経て、再びこの地に送られる。それは優秀な隊員だったり、自ら希望したりと様々だが、選抜された隊員には拒否権がある。だが、その拒否権は有って無いようなものだ。自分はきっと再度派遣されるのだろう。派遣の辞令を拒否する事は出来ない。暫くの休暇と再教育を受けて、またいつ終わるかもしれないこの戦場に放りこまれる。今回で二度目の派遣だった。前回再派遣を拒否しても、強引に派遣が決められた。二度あることは三度あるものだ。
帰国は純粋に喜ばしい。個人営業のバイクショップに預けてある愛車を乗り回したいし、撮りためたドラマも観たい。旅行にも行きたいと思う。やりたいことはたくさんある。だが、それらの楽しみを満喫した後、再度派遣されると考えると、帰国もおちおち喜べるものではない。なんとしても再派遣は回避したいのだが、中隊長はそれをよ良しとはしないだろう。
「何よ?大きなため息なんかついて」
隣の席に腰掛けた高城京子3等軍曹が言った。肩に『MEDIC』と刺繍されたワッペンを張り付けた二十代後半の女だ。まだ、衛生兵としては経験が浅いが、中隊長からは将来を期待されていた。少し鼻が低く一重瞼で柔和な人相で、性格は悪くない。
「別に……」
「二週間後には帰国だよ?楽しみね。帰ったら何する?」
「そうね……取りあえず、ゆっくり休んで、ツーリングかしらね。あなたは?」
「あたしは彼氏に会いに行くわ」
「よくまあ、一年間も合わずに続くわね」
「恋愛に距離なんて関係ないわよ。国を超えた遠距離恋愛って、ちょっとロマンチックでしょ?」
「私なら耐えられないわね」
「彼氏いない巴じゃわからないかしらね~」
早瀬巴2等軍曹は、呟くように「彼氏ぐらいいたことあるわよ」とこぼすと、開けっ放しのスライドドアから外を眺め、ため息をついた。
艶やかな黒いショートのストレートヘアと挑戦的な漆黒の瞳、自信に満ちた表情は端正で文句なしに美人と言える。今は装具で伺えないボディーラインは男性を虜にするには十分で、軍人よりもモデルや女優の方がしっくりくる様な女性だ。加えて、空の精鋭たる空挺レンジャーだ。近年試験的に始まった女性レンジャー集合訓練を修了している。英語と北京語と少々の朝鮮語を解するほど語学力にも長けた、正に才色兼備のできる女だ。そして、まだ二十代になったばかりの若さである。年齢と階級が不釣り合いだが、それについて何か言うような人間はほとんどいない。
眼下に見え始めたバグダード国際空港が、機体が高度を下ろし始めると同時に拡大されていく。滑走路に立つ、豆粒程度に見えていた兵士たちの顔がはっきりと判別できるほどに拡大されると、巴は背嚢を肩から下げて、ヘリが着陸すると同時に飛び降りた。メインローターが生み出す吹き降ろしに叩かれながら早足気味にヘリから離れた巴の背後に付き従う、第2空挺団隷下の第201空挺連隊所属の衛生兵である高木京子は、少々辛そうにしながら歩く。
ヘリコプターによる航空偵察任務。それが今回の彼女らの任務だった。前哨基地での検問やパトロールといった危険を伴う任務とは違い、ライフル弾が狙って当たらない距離の上空をヘリコプターで飛行して、市街を監視する。だからと言って絶対安全とは言わないが、それでも地上を歩くよりは幾分か安心していられえるのは事実。現に、五体満足で帰ってこれたことを喜ぶ隊員たちの表情は明るいし、巴もその例にもれず顔に微笑みを浮かべていた。
帰来報告を部隊に済ませた彼女らが解散となるのはそれから一時間ばかり経過してからだった。
「連絡事項で、分隊指揮官は本日1600までに中隊作戦室に集合。明後日から予定されている作戦に関する説明がある。もちろん、衛生陸曹も参加するように」
航空偵察に同道していた中隊の情報幹部を務める中尉は、実に不愉快な連絡をよこすと、そのまま解散を指示した。
派遣期間の満了を翌週に迎えた戦闘偵察連隊。既に不要な荷物をまとめて帰国の準備を進める隊員の中にあって、優に至っては別の荷造りに追われていた。
「なんだって帰国一週間前に、俺らに任務付与されてるわけ……」
折りたたみ式の簡易ベッドを挟んで昨日荷ほどいてしまった背嚢を急いで作り直す海老原2等軍曹は、その顔に憤りを隠さず浮かべている。ため息とともにスポッティングスコープを背嚢に外付けしたポーチに固定した海老原は、舌打ちとともに乱暴に簡易ベッドの上に背嚢を投げた。
簡易ベッドはいわゆるパイプと布でできた折り畳みベンチに似ている。寝心地は地面に雑魚寝よりかはまだまし程度だが、ある程度の疲れはとれる。余談であるが、この簡易ベッドであるが、軍官給品というわけではない。あくまで個人持ち込みの私物品だ。
「狙撃手不足だ」
安物の簡易ベッドの上で自動小銃の整備をしていた優は、ため息とともに銃口通しを乱暴に前後に動かす。
「しんどいっすね~……。狙撃手は」
隣の寝台で77式機関銃の分解整備をしていた、機関銃手の赤羽隆盛伍長のため息にもにた言葉に、その場で帰国の用意をする誰もがため息をついた。
彼が扱う77式7.62ミリ機関銃は、62式機関銃の代替機関銃として1977年に正式化された陸軍の7.62ミリ弾を使用する中での現主力機関銃だ。性能緒言としては凡そ62式と相違ないが、その性能は高く、誤発射や給弾不良は大幅に改善された。射手の操作ミスさえなければ、恐らく故障はないだろう。採用からすでに三十年以上が経過する機関銃であるが、現在も近代化改修が続けられており、現在戦闘偵察連隊に配備されている77式機関銃は初期型から数えて四度目の改修が行われた77式7.62ミリ機関銃四型となっている。四型は主に特殊作戦及び空挺部隊向けの規格だ。初期型に比べ銃身長が短く、被筒部とフィードカバー上部にピカティニーレイルを備え、銃床が僅かに短い。
小銃と比べ敬遠したくなる重量の77式機関銃を軽々と扱って見せる赤羽兵長の発言に、たちまち海老原が渋面を浮かべる。
「お前は他人事だから気が楽だよな。俺の代わりに篠崎の観測手やってみるか?」
「勘弁してくださいよ……。自分一か所で何日も潜伏とか無理っす」
「行きたくねえ……」
「これさえ終われば後は帰国待つだけっしょ。こっちでのんびり待ってるんで、早めに終わらせて帰ってきてくださいよ」
遠巻きに他人事だと眺める優は、分解していた自身の89式5.56ミリ自動小銃三型を結合させながら、いささか自分たちが酷使されすぎているように感じていた。評価を受けるのはうれしいが、それに伴って面倒ごとをすべて押し付けられるのはいかんともしがたい。
「篠崎準備終わった?」
「もう終わる」
「作戦室でブリーフィングの内容を復習しよう」
「んー」
背嚢を担いで、有倍率の照準器をレイルに取り付けた89式小銃を携える海老原に頷き、優も狙撃銃を収納した背嚢を重たげに背負い、首から小銃をぶら下げて、装具片手に居室を出ていく。二つ部屋をまたいだ隣の作戦室と書かれた部屋は、今は使用者がだれも居ない。折り畳み机が無造作に置かれているその部屋に荷物を置くと、二人は地図とコンパス、定規や分度器を持ち出して、顔を突き合わせた。
作戦説明は、すでに方面軍司令部から達せられていた。作戦の立案全般は司令部第三部が行った今回の任務は、聞いた時、その過酷さにうんざりとした。司令部第三部とは、訓練及び作戦全般を取り仕切る部署だ。連隊本部や中隊からの任務下達が本来であるのだが、今回はその限りではないようだ。
周りの仲間は帰隊に浮足立って、せっせと荷物をまとめているというのに、自分たちは戦う準備をしている。どことなく、帰隊に胸躍っていた数時間前までの自分が道化のようである。
「作戦のおさらいだ」
海老原が、メモ帳を開いていった。
「現在シリアで活動中のイスラム武装組織がイラクへと東進してくる情報を我の協力者から入手したため、その予想経路上に潜伏しての監視、及び幹部と思われる人物を認めた場合の射殺だ」
「予想される経路は三つで、そのいずれかにも狙撃手を潜伏させているんだったか」
「そうだ。俺たちが潜伏するのは想定b、国道沿いに東進すればマラマーディー、ファルージャ、バグダードまで一本で行ける。敵侵攻経路としての公算が最も高い経路だ。俺たちは前哨、後方には第201空挺歩兵連隊が一個中隊控えている」
シリア南東部から延びる国道を指でなぞり、要所となる個所に赤いマグネットを置いた海老原。優も地図上のラットバの街に、味方一個中隊の部隊符号が描かれた青色のマグネットを置いた。
「201連隊はラットバ付近にて待機。離脱は自力?」
「監視任務が終了し次第、自力でランディングゾーンに移動して、ヘリに回収されるから、その認識で問題ないだろ」
回収のために訪れるヘリのランディングゾーン────着陸予定地域として指定された座標を地図上で探し、その地域を赤ペンで囲む。オーバレイと呼ばれる透明のフィルムでコーティングされた地図には、マジックなどのペンで直接印などを書き込めるが、極力地図には情報を書き込まないことが望ましい。
「現地までの移動は車両でよかったのか?」
「途中までは201の車両に世話になるが、それも奴らの拠点までだ。途中からは徒歩で潜入する。潜入地点はどうする?」
「地図上でなら、ラットバから多少距離はあるがここだな」
「直線距離で五十キロ前後か……。確かに道路の交点だが、距離が空きすぎるだろ。無線が届かないんじゃないか?」
「アンテナを変えて受信距離を伸ばせば、中間地点に中継を立たせて連絡できる。だめなら衛星使えばいい」
「幹部と目される人物の資料は?」
「顔写真と名前ならラップトップにデータが入ってる」
「わかった。移動間に確認する」
「準備にあとどれくらいかかる?」
海老原のG-SHOCKの腕時計をねめつながら、二人は唸り声をもらす。
「一時間……いや、各所への調整で二時間だな」
「201連隊には二時間後には向かうって言ってある」
「一時間半で終わらせるぞ」
最近時間の経過が早い。
弾薬返納と借用物品の返納を済ませて、汗まみれだった戦闘服を洗濯機に押し込んでシャワーを浴び、物乾すれば、すでに時間は十五時半を回っていた。
おろしたての砂漠迷彩の戦闘服を着こんで、ほこりを落とした蒸れた防暑靴を履いた巴は、戦闘帽を目深にかぶって、第1中隊事務室がある十二号庁舎の中隊作戦室に足を向ける。重たい足取りで事務室のドアをくぐると、すでにパイプ椅子が人数分用意されていた。見知った中隊の分隊長以上の隊員が勢ぞろいしている作戦室。最後の一人だった巴は、最後列の空いていた椅子に腰かけた。高城京子3等軍曹が確保していてくれた椅子だ。
「遅いよー」
「洗濯してたら遅くなっちゃった」
戦闘服の胸ポケットからメモ帳を取り出しながらはにかむ。
定刻の十六時まではまだしばらく時間がある。
ここに来る途中の売店で買ってきた缶コーヒーに口を付ける巴の肩を、京子が叩いた。
「見て、有名人が居るわ」
京子の視線の先を注視する。
そこに居たのは、巴たちと同じ陸軍の砂漠迷彩を着用した、戦闘偵察連隊の隊員達だった。二人組の隊員は、巴と京子とは反対側に座っている。三十手前ほどの2等軍曹と、巴と同輩程の2等軍曹の二人組だ。そろってレンジャー徽章を身に着けているが、三十手前の2等軍曹は空挺徽章を、若年の2等軍曹は空挺徽章と遊撃徽章を身に着けている。若年の2等軍曹の徽章の数は不釣り合いで不気味に見えた。
「戦闘偵察連隊のスナイパーでしょ?あの人たち。左の篠崎2曹って結構有名だよね」
そう言えば、そんな名前だったかもしれない。
その若年の2等軍曹、篠崎優はバグダードでは有名だ。中性的に整った面に青い瞳で、男性隊員にしては頭髪が少し長いのが特徴てきた。他の追随を許さない圧倒的な狙撃スコアを持っている。
「物静かで独特の陰がある表情がいいって、結構女性兵士に人気なんだよね。まあ、巴は興味ないだろうけど」
「興味はあるわよ?うちの狙撃手が張り合ってる相手くらいにはね」
巴はそう言いつつ、自隊の狙撃手を思い出す。自分に色目を使ってくる男だ。巴の好きな異性のタイプとは言い難い。比べるならばまだそこにいる篠崎2曹の方がましだろう。
「時間になりましたので、作戦説明を始めます」
作戦説明は定刻通りに始まった。進行役の中隊情報幹部の大尉が全般説明を実施したのち、中隊訓練幹部が細部日程を説明、各小隊長が小隊の細部行動について話すといった具合だ。巴が自分の分隊の動きについて詳細にメモを取り読み返していると、最後になって件の狙撃手が紹介された。
「最後になったが、今作戦において我々の前方で監視に任ずる二名の隊員を紹介する。戦闘偵察連隊から来てくれた海老原2曹と篠崎2曹だ。両名は狙撃手として、敵状報告及び、遅滞戦闘を行い、我々の行動に寄与してくれる。知っているものも居るだろうが、彼らは昨日発生した第2中隊に対するゲリラの襲撃の際、その場に居合わせ、敵の迎撃に尽力し、味方部隊を救出してくれた」
「知ってた?」
「初めて聞いた」
室内の隊員達が惜しみない拍手を二名に送る中、当人たちは居心地悪そうに苦笑していた。いや、篠崎2曹は苦笑というよりは、渋面といえる。
こういう歓迎ムードは嫌いなのか。
英雄的功績を残す人は、英雄を憧れたり或いは英雄を自称する人に比べて謙虚なものだが、彼は前者と言える。目立ちたくない、控えめな性格なのだろう。自己紹介を促されても、やんわりとそれを拒絶するあたり、あまり此方と親しくするつもりも感じられない。
その後作戦説明は、中隊長が訓示を述べて終了した。
出発は明後日の0400。今日は早く寝て、明日の朝から準備をしよう。
作戦室を後にする人波に混ざって、彼女は人知れずため息を溢した。