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氷室を拘束した三角達は、正面の出入口から堂々と出た。小火騒ぎを実際に起こして火災報知器を鳴らし、避難する客や従業員に混ざって身を隠すのは、彼女らの常套手段だ。
人混みに混ざりながら、進路上に居る旭真会の構成員をナイフで刺殺し、素手で無力化しながら、三角は西谷が乗るクラウンの後部座席に、素知らぬ顔で乗り込む。助手席に小林が乗り、クラウンの後方に停めたランドクルーザープラドに、氷室を押し込んだのを認めた西谷が、車を走らせようとした直前に、彼女らは予期していた足止めをくらう。
「そこの車、止まれ!」
「全員降りてこい!」
京城府警察の文字が入った制服警官が、車両の前で行く手を阻む。左右には抜き身の拳銃を持った機動隊や、私服警官の姿もあった。
「やっぱりこうなる……」
苛立ちを隠さない小林のため息に、西谷は申し訳なさそうにしながらも、同様の心境のようではる。
「まあまあ、イラつかないで」
「そうそう。短気は損よ。私みたいに広い心で寛大に」
他人が苛立っていると、自分は冷静になれるのだから不思議なものだ。
「嘘いえ。誰が寛大だ」
「……話付けるから待ってて」
険しい顔でドアに取り付き開けようとする警官に、窓を割って無理やり開けられても困ると、三角は自らドアを開けた。
警官の動きは早い。開いたドアを手で無理やり全開にして、三角を取り囲むようにドアの前を数人で囲む。
堂々と警官の前に姿を晒した三角は、真鍋達に手で待機する様に指示しようとして、その真鍋が店側に立つ警官に向けて銃口を指向していることに、一瞬キョトンと思考が停止した。
車内から、真鍋が射撃した。
何をバカな事を。
わざわざ後部座席の窓を半分だけ開けて、射撃した真鍋の銃声は、辺りに刹那の静寂を呼び寄せ、一瞬の狂乱を与える。警官は瞠目して、撃たれたモノが何かと探し、同時に衆人の保護に伴う武器使用のために、真鍋達に拳銃の砲先を向ける。
三角の反応は警官よりも早かった。
無意識のうちに、目の前でドアを抑えた警官を前蹴りし、反動で倒れ込むように後部座席に逃げ込み、同時に左のショルダーホルスターからM9拳銃を抜き、ドアを囲んだ警官が腰のニューナンブM60拳銃に手を向ける以前には、威嚇していた。
「西谷!出せ!」
小林が吠えた。
西谷がアクセルペダルを踏み込み、急発進する。
緊張も露な小林は、射殺した構成員から鹵獲した短機関銃を、いつでも撃てるよう、床尾を脇に当てている。
「何で撃ったわけ!?信じらんない!」
「警官の奥に構成員が居たからだと思いますよ」
「三角狙ってたし」
「マジでっ!?お礼言わなきゃ!」
「テンション高……」
「てか、どうすんですか?警察とか面倒ですよ?」
「そうなんだよねー。流石に警察は撃ったらややこしくなるし……」
「釼持さんに連絡して警察何とかしてもらえないんですか?」
「釼持さんも、警察とは揉めたくないって感じ出してたしなー。それは無理かも」
「SISは?」
「剱持さんが無理だからなー。流石に剱持さん飛び越して、直接SISに言うわけには行かないだろ」
言うは安だが、やるしかない。
京城府警察の規制線が狭まっていくのは時間の問題だ。普段金食い虫の警察は、こういう時だけ仕事が早い。警察無線を傍受した無線機を車載したクラウンの中には、けたたましい程に、至る所に規制線が張られる情景が中継されている。
「後方から追跡車両!」
「旭真会?」
「それはないはず!」
三角の見立てでは、旭真会はしばらくは大きく動くことができないはずだ。系列のクラブ内で銃撃戦を派手にやった上に、射殺された組員やその場に居合わせている組員の大半が銃器を所持していたのだ。現行犯逮捕により旭新会の組員の多くが拘束されていることだろう。裏組織がどれだけ警察に袖の下を渡していようとも、買収し辛いのが日本の警察の美徳だ。現場では機動隊や公安警察が掌握し、旭真会の行動を制限していることだろうし、今後しばらくは、警察との話し合いで旭真会は大忙しのはずだ。
それを見越して、警察に対外情報局の名を出して、逃走を正当化しようとしたのだが。
結果的に助かったからいいけど、やっぱり真鍋は余計な真似をした。
「警察じゃないの?」
「いや、警察って感じはしないぞ?」
「ってか、めっちゃ窓から銃出してるし」
「やっぱり旭真会じゃねえの!?」
「まっさかー」
三角が背後を振り返って追跡してくる車両を確認すると、ほぼ同時のタイミングで追跡車両の黒いヴェルファイアの窓から突き出された自動小銃が、連発で硝煙を咲かせた。
AR-15系列の劣化コピーと思われるそれから放たれた5.56ミリの被覆鋼弾が車体に穴を穿ち、リアウィンドウを突き破って頬の真横を真空を残して行き過ぎた三角は、少々の冷や汗を額に浮かべ、心臓の拍動数を増やす。
「やっぱり旭真会だろ!」
「まさかそれほどの組織力とはね……絶対来ないと思ってたけど、予備戦力を用意してるなんて思わないわよ……」
「左側方から新手!」
「もう何なのよ!」
小林が短機関銃を発砲し、三角も拳銃でけなげな抵抗を見せる。真鍋たちの車両からの短機関銃による猛烈な砲火が敵を襲うが、恐らく防弾であろう車両は9ミリ弾をことごとく弾いてしまう。このままでは無意味な抵抗となってしまうだろう。
「この車武器とか無いの!?」
「ひじ掛けの中にMP7があります!」
三角の悲鳴に、西谷が間髪入れず答えた。
「確認!弾倉は!?」
それまで畳んであったひじ掛けを下ろすと、そこには縦向きに収納されたMP7短機関銃が弾倉とともに収納されていた。三角はそれを取り出すと、すぐさま初弾を装填して、光学照準器が乗っていない純粋な備え付きのアイアンサイトで後方の敵を狙った。
「装填された20連が一本と予備二本」
「なんで40連にしないのよ!」
「40連だと隠せないんだから仕方ないんすよ!」
舌打ちしつつ、三角は発砲する。
拳銃弾ほどしかない薬莢の4.6ミリ弾は、人体に対しては有効な弾薬だが、防弾車両を貫通するほどの威力はない。三角は苦手な精密射撃で、わずかに窓から顔を覗かせる敵の人体に対して、揺れる車体から狙いを定めて撃つことを強要された。
こんなの当たるわけがない。
いや、篠崎優や鷲見裕のような射撃技術を持っていれば、或いは揺れる車内から正確に敵を狙撃することも可能かもしれない。だが、三角ではできない。
「そこ左!」
「無理!右行く!」
交差点の直前で指示した三角。西谷は一瞬だけ左にハンドルを切ったが、進行上に民間人を認めて、慌てて急ハンドルで右折した。左に振ってからの右折につられた真鍋は左へ、追手の黒いヴェルファイアは三角たちを追って右へ。
「クッソ!マジクッソ!!」
「ある意味好都合じゃねえの!?このまま真鍋さんたちは帰ってもらおう!俺らで敵を引き付ければ、少なくとも氷室を安全に拉致できる」
「それ、真鍋さんに伝えて!」
小林の提案をそのまま採用して、苛烈な砲火の中、怯えながらも照準して、単発で射撃する。
「前方敵車両!」
「伏せろっ!!」
西谷の注意喚起に続いた小林の警告に、乗員は誰もが身をかがめて座席に伏せる。
直後に車体が振動するほどの銃弾が、フロントとリアの両側から、板挟みに打ち込まれる。リアシートの中に仕込まれている防弾板がかろうじて銃弾を受け止め、フロントに詰まった車両の内臓が正面からの銃弾を減速させ、受け止める。
同時にエンジンを破壊され、ステアリングを千切られ、ファンベルトを切断されたクラウンは、御者の意思に反して、ふらふらと左右に揺られ、ついに街路の店先に突っ込んだ。
交差点の角に面したZARAのショーウィンドウを突き破り、衣類の多くを下敷きにして、煙を吐きながら停車したクラウンの車内は、ミキサーにかけられたように組んず解れつな有様だった。西谷の上に覆いかぶさるようにして倒れた小林の頭が三角のタイトスカートの中にまで突っ込まれ、三角の肘が西谷のみぞおちにめり込み、西谷の膝が小林の股間を打っていた。
「……生きてる?」
「何とか……」
「小林君、ちょっと大胆過ぎない?」
「不可抗力だから……」
割れたリアウィンドウから這い出した三角は、まだグラグラと揺れる視界の中、目に映った旭真会の組員らしき男を、無意識的に撃ち殺した。MP7のセレクターがいつの間にか連射の位置にあったようで、弾倉一本分をたっぷり一人の体に撃ち込んでしまった。
「弾ってまだある?」
フロントガラスを蹴って割り、そこから這い出した西谷は、ため息をもらしながら拳銃を構えた。続いて小林も這い出す。
「MP7はもうないですよ」
「あらそう……これって西谷君の?」
「そうです」
「じゃあ返すわ」
弾倉が空になって、予備弾薬もすべて撃ち切ったMP7を西谷に渡した三角は、M9拳銃をホルスターから抜くと、店の裏口を探した。
三角が裏口に向けて駆け出した直後に、旭真会が民間人の有無もかまわず店内に向けて短機関銃を撃ち込んできた。小林と西谷が拳銃で撃ち返しながら、三角に続き裏口に駆ける。
「ところかまわずって感じですね」
「あたしらも似たようなもんだから、人のことは言えないけどね」
床に倒れ、赤い水溜まりを作った、不幸な買い物客を一瞥した小林に答えた三角も、カウンターの中に隠れる、洒落た衣装で着飾った男女の店員に、M9拳銃の煤で汚れた銃口を向けている。必要ならば人差し指が、二千グラムで調整された引き金を引くことも厭わないが、今はその時ではなかった。
「一応配慮はしてるぜ?」
「なら、減音器つけなさいよ」
小林が裏口を僅かに開けて、銃口と共に外を伺い、敵が居ないことを確認してから飛び出す。
騒ぎに巻き込まれた民衆の悲鳴と、公安職の地方公務員車両のサイレンが鳴り響く。警察と旭真会が撃ち合っている銃声もある。
「クリア」
小林が安全を保証した裏口の外は、表通りか丸見えだったが、幸いなことに警察も旭真会も居ない。
「手榴弾ある?」
「焼夷弾なら有りますよ」
「一応車両破壊しといて」
西谷が短く「了解」と答えて、ジャケットの下から、焼夷手榴弾を取り出し、引っくり返って煙を上げる車両の割れた窓ガラスから投げ込む。
「貴方達も早く逃げなさい」
今まさに、自分が銃口で脅していた男女に微笑みながら裏口から出て、小林の背中を叩く。彼はそれを前進開始の合図と受け取り、歩みを進めた。
「何処へ?」
小林が問いかけた直後、店内が弾ぜた。焼夷手榴弾がクラウンのガソリンタンクに引火し、爆発させたのだろう。最後尾で後方確認に勤める西谷の目の前で、店の裏口が吹き飛び、瓦礫が背面のビルに突き刺さる。
「危なっ……!」
思わず口をついた西谷の独り言に、三角は振り返り一瞥をくれたが、直ぐに小林の広い背中を見る。
「人混みに混ざって逃げたいわね」
「なら、駅に向かうか?」
「それがベストかも。残弾は?あたしは弾倉一本と十発」
「一弾倉と三発」
「弾倉二本と六発です」
「心もとないわね……」
一列縦隊の前進隊形で、周囲を警戒しつつ、建物の壁に寄って歩く。歩調を合わせて歩いていると、それがひとつの生き物のようである。
小林が止まった。そのまま角を曲がったら、直ぐに地下鉄へと続く大通りだ。
三角がファンデーションのコンパクトで、角の先を確認する。
「よし」
短く言って、銃をホルスターに納めながら角を出る。なるべくならば、銃は手に持っていたいのだが、そうも行かないだろう。
路地を出た三角達は、不自然にならないようにしつつ、人混みに逃げた。
一区画先では、民間人を巻き込んだ悲劇の惨状が広がっているのに、道行く人々の顔に、不安や戸惑いはあっても、危機感は感じられない。人波を縫いながら歩いていると、小林が携帯を差し出してきた。
「真鍋さんからです」
「はい、三角です」
『ああ、三角か……こっちは何とか敵を巻いた。ただ、途中のドンパチで小室が負傷した。止血はしたが、"支社"に戻ったら医者に見せる』
ようやく一息つけると言ったようすのため息と声色が羨ましい。
三角は自分の携帯を一瞥して、真鍋からの不在着信があったことに気が付き、同時に優からの着信を認め、小林に出るように手渡す。
周辺の警戒が必然的に西谷一人となるが、出来る限り三角も警戒は怠らない。歩きながら、通話しながら。ながら運転ならぬ、ながら警戒は、果たしてどこまで効果的なのか。
『剱持さんがそちらに支援要員を送ったらしい。篠崎と青井だ。おそらく直ぐに連絡が行くだろう』
クラブを出る前に、剱持に一報していたことが功を奏した。現場から最も近くに居るのは、確かに優達だ。
「分かりました。こちらは現在徒歩で離脱中です。真鍋さん、クラブ前の組員狙撃、ありがとうございました。助かりました」
『貸し一つだな』
「貸し一つで命が助かるなら安いもんですよ。では、また後程」
通話を終えて小林に携帯を返す。彼も手短に話を終えたらしい。優は合流地点を一方的に示して、通話を終えてしまったようだ。示されたのは、隣の地下鉄駅。
「電車で行く?」
三角の提案を、小林は即座に切り捨てた。
「無理っぽいな」
彼の視線の先には、地下鉄の入口階段付近に立つ制服警官が数名。時折人を呼び止めて、任意の聞き込みと職務質問をしている。検問も実施されているだろう。
視線を合わせないように、尚且つ自然を装いつつ道を引き返す。だが、振り替えたった先には、旭真会の構成員らしき男が数名。
明らかに構成員らしき男達は此方を認識しているようだ。
「目が合った」
二律背反なこの状況。
三人は目配せして、静かに息を整えた。
小林は腰からナイフを抜き、西谷は減音器付きの9ミリ拳銃SP2022をジャケットの中で保持し、三角は胸ポケットからボールペンを抜く。
最初に接触したのは西谷だった。
相手が拳銃を向けるより先に、腰の位置で三発発砲し、素早く男を抱き寄せ、道端に座らせ、背後から近付く短刀を持った男の切っ先を座らせた男の胸へと導きつつ、脇腹と脇に銃口を押し付けて四発撃ち、そのまま放置する。二人の男が道端で重なりあう様は、時間帯も相まって、泥酔しているようでもある。
小林は愛用のベンチメイドのナイフを順手に持ち、早足で敵に近付き、手にした銃を撃たせるより先に上から押さえてスライドを交代させてチャンバーに指を噛ませると、腹部と丹田を刺突し、ベンチメイドの鋭利な切っ先を突き立てたまま、喫茶店の屋外テーブルの椅子に座らせた。引き抜き様に刃を上方へと向けていた小林は、鳩尾までを引き抜きながら切り裂き、傷口を広げる徹底ぶりだ。
二人が三人を無力化する間に、三角も一人の女を斃さんとしていた。
女が持っていたのは、三角と同じベレッタの9ミリ拳銃だった。思わぬ武器に共感しつつ、三角は目の前を歩く民間人を、女に向けて突飛ばす。
「失礼」
サラリーマン風な疲れた中年が女にぶつかった。
自分が使う銃と同じとは運が良かった。三角はM9を気に入っているが、嫌いなところがないわけではない。
男に謝罪しつつ、女の銃を掴む。M9の安全装置は、スライド後方に、やたらと指がかけやすいレバーを下げることでかけられる。掴むと同時に安全装置を下げて、撃発防止とデコッキングをすると、間髪いれず右手に持ったボールペンを女の耳に突き立てる。すかさず左手を握り拳にして、女の口腔内へと突き刺す。前歯を何本か折っられた女は、苦痛に悲鳴を上げるが、それはくぐもったうめき声に変わる。
にわかに辺りがざわめきだす。小林か、はたまた西谷が、人混みの中で静かに殺した男達に、民衆が気付き始めたのだろう。警官も動き始めた。
女の耳に刺したボールペンを引き抜く。ぬらりとした粘着質のある血を引いているペン先。今なら赤黒い線が書けるだろう其を、彼女は女の左目に突き立て、だめ押しとばかりに掌底でペンを頭蓋に押し込む。蝶形骨を割って、脳幹近くまで達したボールペンは、最早自力では引き抜けないだろう。
左こぶしを口から引き抜き、止めに膝からくずおれた女の勁部を踏み倒すようにして折った。
死体の周囲から、ワッと人が消え、野次馬が距離を取って集まる中に、三人は溶けるようにして混ざり混むと、異変を察知した警官の脇をする違い、人波に逆らって、国道沿いの歩道を歩む。
目指すは、合流地点の隣駅。
道のりはまだ遠い。




