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陸軍の市街地戦闘訓練場は、全国に複数個所設置されているが、中でも大宮島と硫黄島の市街地戦闘訓練場は、住民が居住していた廃墟や廃村を流用しているため、実状況に則した大規模な施設となっている。本土の施設ならば東富士演習場や北海道の僻地にある施設が頻繁に使用されている。
今日の市街地戦闘訓練場の建物内は酷く暗い。点灯する照明は少なく、小銃の20ミリレイルに固定された各人のウェポンライトが、射撃時や据銃時に一瞬明滅する以外に、光源は極限られている。既に日も没し、残照が僅かに窓から差し込むのみ。
テロリストがプリントされたマンターゲットに5.56ミリ弾を叩き込んだ巴は、一番手として最前を歩く英次の背中を追った。
全身を私物品で着飾り、弾すらも私費で用意する四番目の幽霊の、常軌を逸した訓練にも慣れ始めた巴は、引き金に迷いはない。標的の横に生身の人間が、防弾性能皆無の戦闘服と野球帽で腕組みしながら立っていようと、彼女は躊躇なく弾を撃ち出せる。初めは躊躇していたその行為も、躊躇した度に怒鳴り散らされていれば、嫌でも躊躇がなくなるものだ。
「目標視認」
一番手の英次が呟くように言い、巴は左手でその旨を、後続にハンドサインで報せる。
訓練の状況は文面上は簡潔だ。敵勢力下における保護対象の救出。不意強襲的に保護対象を拘束する敵性組織ないし部隊を攻撃撃破した後、保護対象を回収地点へと移送及び安全地域までの離脱である。保護対象の人数のみが知らされているだけの任務であり、現地の地形、彼我の勢力図、敵の勢力と武装、天候。任務に重要な情報の多くが不明な中、状況は事前準備から始まる。偵察行動により地形と敵の人数や武装を把握し、味方の位地と安全圏までの経路を選定し、移動手段を確保。必要ならば我の部隊名を偽り、他部隊へ支援を要請し、軍の気象観測部隊から現地の詳細な天候予想を請求し、作戦のすり合わせと個人の準備を万全に実行。
想定される保護対象が監禁されているであろう建物は、その見取り図から収集して、監禁場所であろう位置を見積ってある。英次が言った目標は、その部屋のドアの事だ。
道中に見つけた部屋の全てを安全化し、彼女が撃った標的は三体。撃たれた的は、すべからく頭と体に二発ずつ撃ち込まれている。
機械的な確実性。外科手術的な射撃は、日々の積み重ねにより組上がった精密機械が作り出した芸術の一種である。
突入は数名で迅速に行う。
ドアの正面には立たず、左右に展開して突入に備え、三番手が開けたドアの隙間にすかさず二番手が閃光音響手榴弾を投げ込み、閉める。起爆し、軽い衝撃がドアを揺らした直後に、一番手が突入し、二番手、四番手と続き、最後に三番手が入り口から室外を警戒する。
素早く部屋の中の敵を制圧し、保護対象となっている人物を写真と照らし合わせ、本人しか知らないよう質問により本人確認を行う。その間、巴の自動小銃は常に対象を銃口の先に捕らえ、確認が済むまで一切離さない。
訓練は淡々と続く。
市街地訓練が終わるのは、いつも夜闇に包まれて、月が我が身を照らす頃だ。
宿泊している、富士駐屯地の女性外来宿舎に帰った巴は、自らの汗臭さに顔をしかめ、乱雑に装具を並べる。帰って来ても、やることは多い。使用した銃の整備もそうだが、自分で購入した弾薬の補充、装備品の手入れ、汚れ物の洗濯。規則違反だが外来宿舎の自室で武器弾薬を密かに保管している彼らは、全てがそこで完結できるが、消灯時刻までにそれを完了するのは厳しい。
あまりの面倒臭さにため息を漏らし、一先ず入浴と洗濯だけ終わらせ、あとは放置して売店へと向かう。身に付けていた装具は寝る前に床に広げて消臭スプレーをかければ勝手に乾くし、銃は明日も撃つのだから、軽く手入れすれば問題なく動く。弾薬は後でゆっくり用意すればいいだろう。
三型迷彩戦闘服を着用し、部隊名がなくローマ字で国籍と名前と保有する徽章が刺繍されたワッペンを左胸に貼った巴は、売店内のイートインで独りコンビニ弁当をついばむ。
ため息を漏らしては、少ない白米を摘まんだ箸を口に運び込む作業は、頭上から巴に声がかかるまで続いた。
「何食ってんの?」
「んー?親子丼」
振り返ることなく返事を返す巴の隣に、声の主──千葉英次はどっかりと腰掛け、更にその隣に鷲見裕3等軍曹が座り、自分達が買ったチキン南蛮弁当を広げる。レジ袋からは、雑誌コーナーに陳列されていたファッション誌が覗く。
「意外。そういうやつ読むのね」
「彼女がたまの休日くらいお洒落しろって煩いからな」
「色味が薄いのよ。夏なら寒色、冬なら暖色入れたら変わるんじゃない」
「早瀬だって黒よく着てるじゃん」
「黒は女を美しく見せるのよ」
それに黒ばかり着ている訳ではなく、通勤時に着ているライダースジャケットが黒いだけで、休日の私服は別である。
「早瀬2曹、今日は野菜少ないね」
というのは鷲見3曹だ。元々は特殊作戦群の狙撃手で、セミオートマチックライフルをこよなく愛する鷲鼻の色白い男だ。図らずも、名前と役職が篠崎優2等軍曹と被る鷲見は、不幸にも度々その彼と比べられてしまう。鷲見は気にしていないように見せているようだが、実際はコンプレックスを内に秘めているのは、部隊の誰しもの共通認識だ。因みに参考までにだが、優は鷲見が元々狙撃手であったことは知っているが、ファーストネームや彼のコンプレックスについては知らないし興味がない。
「サラダが売り切れで無いのよ。仕方ないから野菜ジュースで我慢してるの」
「菜食主義は変わらないんだな」
「日本人は肉より魚、魚より野菜に適した内臓してるのよ」
「だからって野菜ばっか食うか?」
「やっぱり野菜が好きなんでしょ?」
「まあ、そうね。私は野菜好きよ。家系が割りと菜食主義者なところがあるし」
「精進料理とか合うんじゃないか?」
「あれは別物」
「ふーん。違うもんかね」
「そういえば、気になったんだけど」
鷲見はタルタルソースがべったりと着いた鶏肉を白米と共に咀嚼してから言った。食べたら胃がもたれそうなそれを、巴は見るだけでも胃が重くなる。
「早瀬2曹って、転属してきてから誰かに射撃教わった?」
「どうだったかしら」
鷲見の問に、巴は曖昧に答えた。きっと彼は、巴がハッキリと無いと言っていたならば、自分が教えようと言っただろうからだ。
射撃など、その個人のセンスと撃った弾数で変わるものであるし、射撃はグアム島の特殊戦技教育課程で散々、それこそ嫌になるほど教わった。お陰で射撃は可もなく不可もないし、最近では部隊の狙撃手や特級射手(陸軍の射撃検定における等級の最上級)の姿勢やアドバイスによって、技能は向上の一途だ。
その為だろうと聞けば、鷲見の答えは案の定だった。
「今日の訓練見てて着体頃より弾が纏まってるんで」
「確かにな。俺もよく優の観的とかコーチとかやるけど、見て真似したら弾があたるもんな」
「そうそう。私もそれで癖とか直してるからかしらね」
「優とか屋内だったらワンホール作って遊ぶしなー。やっぱり狙撃手ってスゲーわ」
「狙撃手皆が皆あの人と一緒のこと出来るって評価はやめてほしいんだけど」
確かに、射撃に関してのみ言えば、彼は超人じみた所があるのだろう。転属して、同じ執務室になって以来、彼の話を聞く機会には事欠かない。曰く、7.62ミリ弾で1400メートル越えの射撃をしたとか、飛来する落ち葉を狙撃して命中させたり、三百メートルの基本射撃で五発でワンホールを作ったとか。荒唐無稽なものばかりだが、彼ならばやって見せるような気がする。
「あ、そう言えば、篠崎2曹帰ってきたらやるっていってた鍋パーティーどうする?いつ頃?」
鷲見が言った。
「今日電話したら多分二週間後位に帰ってくるっぽい。時間はいつも通りで食材は買ってくからいいわ。場所は優の家な」
転属して一年。部隊の隊員達のプライベートを、巴はよく知らずにいる。青井美空2等軍曹とはよく遊んでいるが、それ以外の人はあまり知らない。
「ふーん。誰来るんだっけ?」
「俺と彼女と鷲見と三角。早瀬も来るか?」
ベテラン隊員や特殊な技能習得者が大多数を占める部隊の中で、巴と年の近い隊員は意外にも少ない。高等教育に同時期に通って居るくらいの歳の差がある隊員や同年など数えるほどだ。
「そうね……篠崎2曹のお宅でしょ?篠崎2曹の迷惑でないのなら、お呼ばれされようかしら」
たまには、青井以外の仲間と、職場以外で交流するのも悪くないかもしれないな。
「篠崎2曹ならいいって言うだろ」
「いや、意外と渋るんだぜ。最初に鍋パやった時も、俺が彼女呼ぶって言ったらめっちゃ渋ったし。部隊のやつ以外が部屋に入るの嫌がるんだよな」
「それは私も分かるわ。だって武器弾薬置いてあるんだから、関係ない人は入れたくないでしょ」
「いや、多分あいつの場合はもっと精神的な部分だと思うけど……」
「確かに、内向的な性格だしなー」
「話変わるけど、彼女の写真は?あるんでしょ?」
「見せろって?」
「合うかもなら知っときたいし」
どことなしに嬉しげな様子の英次に、巴は首肯して催促する。催促されずとも、彼なら喜んで携帯の画像フォルダから、近々の写真を見せてくれるだろう。
チキン南蛮を頬張りながら渡されたスマートフォンの画面には、英次とその恋人らしき女性とのツーショット写真。背景には雨ざらしで青銅色の大仏が鎮座しているから、鎌倉で撮った写真だろう。
「週末に鎌倉行った時の写真」
答え合わせの問いかけの前に、勝手に答は合わされた。
鷲見は見たことあるだろうか。
そう思って彼を探すが、鷲見はまるで最初から居なかったが如く、痕跡を除去して綺麗にその姿を消していた。巴が見つけた時には、既に売店から立ち去る後ろ姿のみ。その様はまさに脱兎の如し。
そして彼女は学ばされる。
英次に安易に恋人の話はふってはならないと。
あえて記すことがあるとすれば、彼女は翌日の用意をする時間を、まともに確保出来なかった。




