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特殊戦闘作戦部対外作戦班。それが新しい職場の名前だった。
転属内示をもらった時、その役職の意味するところは全く理解できなかったが、市ヶ谷の陸軍参謀本部庁舎内にある特殊戦闘作戦部内の事務方の部署だろうと当たりを付けて、しばらく上機嫌で周囲に薄気味悪がられながら過ごしていたが、今思えば如何に自分が道化に見えたことか。
蓋を開ければ、そこは事務方等ではないし、そもそも所在地は陸軍参謀本部から遠く離れた横須賀駐屯地だったし、職場の実態は殺伐とした工作員の集まりだった。
前提からして確かに可笑しくはあったのだ。内示で示された勤務地が横須賀だったことに、ああ横須賀に所在する特殊作戦支援隊に携わる事務職なのかと、勝手な解釈をしたことが、まず間違いだった。
軍籍を偽装され、世界中のそれこそ国内外を訪わない活動地域で、超法規的な諜報や工作等の作戦行動をとる。部隊の存在そのものが曖昧で、参謀本部でもその存在を知るものが限られる、実在しない扱いの部隊。そもそもの部隊名すら、それらしい名前を当てただけで、実際には名前などない。
転属から最初に説明されたのは、たったのそれだけだった。いくつもの内容を確認することすら億劫な同意書を書かされ、当初の必要物品の購入費用として二百万円を帯付きの現金で手渡され、現在駐屯地に行る隊員達に紹介されると、その後は放置であった。
後から聞いた話だが、この訳もわからぬ部隊──そもそも部隊の旗すらないため部隊と名乗ることすらおこがましい組織は、個人の武器や装具や被服やら、必要なあれこれを全て自費で購入しなければならないらしい。政府は部隊の作戦行動に一切の関与を否定することになっているため、軍が貸与した物品は一切使えないのだ。一般の隊員よりも多額の俸給が支払われるのは、それで装備品を調達しろということだろう。
篠崎優2等軍曹は、この部隊の特異性に良い意味でも悪い意味でも馴染んでいた。もともと、そういう仕事に馴れていたと言うのが大きいのだろう。着隊から二年。二年間だけでも、彼は五つの作戦に関与した。拉致、暗殺、監視、破壊工作。どれも世間に露見すればたちまち内閣は総辞職して政権がひっくり返り、国際社会からは非難の雨霰になることは容易に想像できる内容だが、優はその何れもを完璧にこなした。ロシア連邦の秘密部隊であるザスローンで特殊工作員をしていた頃の技術は、まだまだ健在だったということだ。
海軍の航空空母の母港である軍港により知名度が高い横須賀基地に併設された陸軍の横須賀駐屯地は、特殊作戦支援隊の所在地としても、その筋の人間には有名である。海軍の虎の子である正規空母が所在する関係により厳重な警備態勢が維持されている横須賀は、特殊部隊が駐屯地する上では都合が良い。海上を利用した長距離射場や、至近距離射撃や移動間射場が可能な屋内射場の埋立て地──通称出島など、場所の制約を受ける施設も、海を使えばある程度の問題解決により建設されている。海軍の滑走路により空軍の輸送機や陸軍の輸送ヘリの離着陸も可能であり、船舶の運用は海軍施設であるから問題なく可能。市内には軍需工場が点在するため公安も目を光らせているため比較的治安も良く、立地として申し分ない。唯一不便な点を挙げるならば、警察が多すぎるために交通違反の取り締まりが矢鱈と厳しい点だろうか。
波に揺られて不規則に動く五百メートル先の人形標的の頭部を.338ラプアマグナム弾が砕いた事を確認した優は、トライポッドに固定した狙撃銃から薬莢を抽出し、PELTOR製のイヤーマフを首にずり下げた。最近伸ばしすぎて、常に一つでまとめてバレッタで留めた長い頭髪を解いて手櫛で整えた優は、大きくため息を漏らして、空になったL115A3の弾倉を抜き、傍らに置く。
射場の床に胡座で座り、双眼鏡で的を観測する観的役の同僚、千葉英次は、一言「命中」とだけ告げる。
自らを特殊戦闘作戦本部と謳っていたが、そんなのは全くの嘘だったようで、着隊した優を迎えたときの彼の笑顔と言ったら、さながらドッキリ大成功といったところか。優が無言で彼の笑顔に拳をねじ込むに理由としては十分すぎる、いい笑顔だった。
「撃ち終わりだ」
「お疲れさん。的を回収してくる。撤収しててくれ」
英次に無言で頷き、少ない道具の撤収にかかる。
三脚を畳んでボルトアクション式狙撃銃L115A3をナイロンのバッグにしまう。銃も三脚も狙撃に使用する資材も、どれもこれもが優の私費で購入した私物品の扱いだ。少ない荷物をバッグパックに無理やり押し込み、ナイロンのガンケースを首から下げると、ちょうど英次が的を回収して来た。二人のほかにも数名の隊員達が、私費で購入した拳銃や小銃を射撃している射場を後にして、彼らの隊舎に帰る。総勢百余名からなる彼らの部隊だが、今日はその半分の隊員も居ない。半分以上が国外で活動しているか、訓練で大宮島の演習場に行っているのだ。
隊舎に帰り、荷物を置いて、本日の射撃の成績を振り返り、データの分析と成果をまとめて今後の課題を探す。射撃後決まって行う作業だが、英次もは優の成績に舌を巻くばかりだった。
「お前ってもう改善するところないよな」
「今後の課題は射撃速度の追及だろう。初弾発射後の再装填と次段発射までの間隔を短くする」
「それだってコンマ数秒の世界だろ?誤差の範囲を脱しないぜ?」
「至短時間に高精度な狙撃がしたい」
「射撃だけはほんと優秀だよな。まあ、とりあえずデータまとめといてやるから」
「それなら、俺は武器整備させてもらう」
基本的に課業中は常に解放されている状態の武器庫の中で、使用したL115A3狙撃銃を丁寧に清掃する。
狙撃銃は繊細な精密機材だ。乱暴に扱えば、射撃の制度が取り返しがつかないほど悪くなることもある。銃身内の火薬のカスを液剤で溶かしながらこそぎ落とし、油を塗って状態を最良の維持し、ハードケースに収納して保管する。狙撃用の高倍率眼鏡には保護カバーをかぶせることは忘れない。
「整備終わった?」
武器庫の分厚い扉の隙間から顔をのぞかせた英次に、棚にガンケースを押し込みながら振り返り、頷く。
「今終わった」
「ならちょうどよかった。お前と三角に仕事だと。詳細は一之瀬のところ行って聞いてきてくれ」
「英次は?」
「家帰るわ。仕事ねえから休みだと」
特殊部隊という性質上、彼らの勤務時間は基本的に不規則だ。内地にいる限りは基本的に訓練ばかりで休みを取る暇はなく、かといって一たび任務につけば命の危機を感じながら常に仕事をしていることになる。いや、任務中の方が、待機という名目で一日何もしないこともあるため、ある意味休みをもらっているようなものなのかもしれないが。
英次のように、突発的な休みは、内地にいる限りよくあることだ。時間を少しでも持て余しているのならば、さっさと休みを取ってしまえというのが彼らなのだ。そうでもしなければ、たまった代休や有休休暇────正確な呼称は年次休暇であるがそれらがたまる一方で、使いきれずに期限切れで抹消されてしまう。
「久々の仕事だな……」
優にとって、訓練以外の任務は二月ぶりだった。
存在が曖昧な部隊ながら、三階建ての隊舎を一棟まるごと使える厚待遇さは、陸軍の細やかな心遣いなのだろう。隊員は一人一つ執務机が用意されていて、更衣室として利用している部屋は無駄に広く、私物で持ち込んだ娯楽設備があったりもする。
一之瀬明義1等軍曹は、部屋に入ってきた同僚にして後輩の篠崎優2等軍曹に、未開封の冷えたブラックのコーヒーを手渡した。更衣室の共有物品として、皆で箱買いして冷蔵庫に突っ込んだままだった残り物だ。
優は手渡されたコーヒーに口を付けて、一之瀬の向の執務机に座る。その机が彼の執務机であり、綺麗に整頓された──と言うよりは単純に物が無さすぎる机の上には、部隊の仲間で撮った写真が、寂しげに飾られてるだけだ。一之瀬の机はそれよりはもう少し物がある。優同様写真を飾っているが、他にも仕事用のパソコンや書類が無造作に置かれている。
「仕事って聞いたけど?」
「詳細は省くが、三角と一緒に平壌に飛んでくれ。俺と青井も一緒だが、向こうでは基本的に三角と動いてもらう」
「青井って青井美空?」
「それ以外いないだろ」
今年度に新たに転属してきたばかりの隊員である青井美空2等軍曹は、確か優と同じく戦闘偵察連隊が原隊だった。小柄な愛らしい少女のような女性だが、体力は男性隊員と肩を並べるほどあり、山地機動ならば優と並びこの部隊でも比肩する者は少ないだろう。経験が浅いために実働任務にはついていなかったため、今回が初任務になる。
「青井を使うのか……」
「密輸組織相手の簡単な仕事だ。初任務には寧ろ少し張り合い無いかもしれないな」
「出発時期は?」
「明日の0530に羽田だ。武器も一緒に飛ぶからな」
「了解。準備するから休みもらってくる」
メモ帳に必要な物品をリストアップした優は、休みの申請手続きのために部屋を出ていった。
正面から見ると一瞬女性的に見えるが矢張男なのだなと分かる優の後ろ姿を見送る。
優が転属してきたのは昨年の夏。一之瀬が二年勤務し三年目の夏だった男女の判断が曖昧になりそうな造形で、他人に無関心そうな碧眼をした彼の第一印象は孤独だった。彼の着隊直前に任務中の負傷により退役した隊員が居たために一席空きがあった事務室の机を当てられた優と共に暫く仕事をしてわかったのは、彼は他人に無関心に見える眼差しで、実は良く人を見ていることだ。気遣いも人並みにできる。たた、あえて気を遣ったりしないだけなのだ。人に興味が無いわけでもなく、関わろうとしないわけでもないが、共に過ごして一年間たっても、彼の瞳に時折垣間見る孤独は消えない。
新任地に抱いた不安から来る孤独出はない。もっと深層に潜む、根深い何かなのだろう。一之瀬には、それは計り知れなかった。
休みの申請を終えて自宅に帰った優は、早速仕事の荷造りを始めた。
独身でまだ若い下士官の彼は、本来ならまだ駐屯地内で規則正しい生活を強いられている立場だが、しかしそれは異質な部隊がそうはさせない。あの部隊は、生活隊舎がないため全員が営外に住まなければならないのだ。
横須賀駐屯地から徒歩で十分程の距離にあるマンションは、一人で住むには些か広い。寧ろ当初は広すぎた。基本的に寝室しか使わない優は、独身には広い2LDKを持て余していた。
アパートを借りればよかったと後悔したが、住むに当たっての条件──駐車場があって、楽器の演奏が可能で、駐屯地に比較的近く、可もなく不可もない家賃と言う全てが合うのがここだけだった。おかげで、愛車も手放す必要はなく、数少ない趣味にして特技のピアノも置ける。
広すぎて"優が嫌いな孤独"を感じる以外は、全く文句はない。
スーツケースに着替えや雑品を押し込み、ついでに職場から持ち出した武器や弾薬もしまい込む。部隊の武器庫に格納してはいるものの、彼らの武器は全て例外なく私物だ。持ち出そうとどうしようと、軍は何一つ関与しない。それをいいことに、自宅に銃と弾薬を保管している隊員も多く、優もその例にもれない。使っていない殺風景な部屋のクローゼットには、拳銃や小銃や狙撃銃が綺麗に並び、引き出しのなかには各種弾薬や弾倉が、隙間なくしまい込まれている。
優は職場で保管していた自動小銃AKS74UNと満弾倉と予備の弾薬として小銃弾と拳銃弾をそれぞれ三箱詰め込んだ。




