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ここ数日不眠だった彼らは攻撃ヘリコプターの兵員室で、疲労困憊の肢体をぐったりと脱力させて仮眠に徹していた。日本陸軍が採用し、国内でライセンス生産している東側の攻撃ヘリコプターMi-35ハインドは、その鈍重なシルエットに反して、軽快にイラクの首都に位置するバグダード国際空港の滑走路に進入し、緩やかに高度を落とす。
乗降口の丸い窓からそれを認めると、示し会わせたように寝ていた彼らは目をさました。欠伸であったり、背伸びであったり、それぞれの方法で眠気を払う。
着陸。
地上で待機していた陸軍の整備班が駆け寄ってきて、外部から乗降口の扉を開放した。眩しい日差しがたちまち彼らの肌を焼く。首に巻いたアフガンストールで口元を隠し、スモークグラスのシューティンググラスをかけて降り立った篠崎優は、目眩に一歩二歩とたじろいだ。
しばし膝に手を置いて頭と瞳を慣らしてから、兵員室に置いたままの小銃を掴むと、ライフルケースと一体型の背嚢を担ぐ。
「相変わらず暑いな……」
「今までが寒すぎたんだろ」
到着早々悪態をもらす仲間を一別して、優は周囲を一周見回して息をついた。
「帰って来たら緊張でも抜けたか?」
「別に」
中性的で切れ長な碧眼と、短く切り揃えられた黒いショートヘアで、細身ながら引き締まった体躯。2等軍曹の階級章が不釣り合いな青年。それが彼だ。
冷淡でありながら見つめられれば吸い込まれそうな聖人然とした碧眼で、腰に手をあてがいながら伸びをする下川1等軍曹を一瞥して、俯く。
中東諸国の一つ。ペルシャ湾に僅かに面した産油国のイラク。ここは湾岸戦争から戦乱が絶えない。内政は不安定極まり、各宗教組織の流入や、テロ活動が後をたたない。昨今に置いては、アメリカ軍撤退に伴い、入れ替わるように日本は終わりの見えないテロリストとの戦闘と復興支援及び治安維持活動に当たっている。その拠点のひとつが、ここバグダード国際空港だ。
茹だるような暑さのなか、滑走路から駐機場まで歩くだけでも彼らは汗だくだ。迷彩の下に着たアンダーアーマーのODシャツが、汗を吸って気持ち悪い。
エプロンの前で待機していた陸軍の高機動車Ⅱ型に寄りかかりながら缶コーヒーを啜る陸曹に歩み寄る。彼はこちらに気付くと、笑顔で迎えた。
「お疲れさまです。隊舎まで送ります」
そう言って、幌も扉も無い高機動車に乗り込む出迎えの戦闘偵察連隊の陸曹の江上3曹は、優と同じ本部管理中隊の陸曹だ。眠気に抗いながら荷台の椅子に腰掛け、小銃は股の間に大切に保持する。
「荷物置いたら、すぐに戦果報告に行こうぜ」
優の正面に座った、海老原大地2曹が言う。
「風呂に入ってからでもいいだろう……」
「報告は早いに越したことないだろ?お前だって、自分の戦果なんだから早く報告したいだろ」
優は答えず、無言だった。薄く苦笑を浮かべる。朝から厳しい暑さの中、重たいヘルメットを被るのは辛い。88式鉄棒の砂漠迷彩柄の鉄帽覆いを無理矢理被せたMICH2000ヘルメットの顎紐をはずした優は、そのままヘルメットを脱ぎ、足元に置いた。車両運行時は頭を保護する鉄帽や中帽の着用が義務付けられているが、そんなことなど知ったことではないと、彼は砂漠迷彩のブッシュハットをダンプポーチから取り出す。
暫く高機動車の荷台で揺られて到着したのは、イラク駐留中の陸軍が使う隊舎だった。同一の簡素な二階建ての建造物は学校の校舎や、アパート団地を思わせる。その建物群の一つ、正面の入口に『戦闘偵察連隊』と書かれた木製の立て看板の建物の前で、車両は停車する。
国防省直轄部隊である戦闘偵察連隊は、現在このイラクの地に対して二個中隊規模の部隊を派遣している。国防省直轄部隊連隊として、本国においては北方の地、樺太に所在する。前身は同じく北方に所在していた山地機動及び冬季雪中戦闘に重きを置いた山岳猟兵連隊であり、その部隊特性を踏襲した戦闘偵察連隊も、同様に山地機動と雪中戦闘については日本でも有数の実力を誇る。また、前身の山岳猟兵連隊が師団規模の空挺部隊の隷下部隊であったことから、空中機動に置ける敵中深くに浸透した偵察、及び急襲と遊撃戦闘を得意とし、今日に置ける戦闘偵察連隊の主任務は、これに砲撃及び空軍の対地攻撃誘導が加わった以外には大きくは異ならない。
割り当てられた居室に帰るなり汗や埃をシャワーで洗い流した優は、その容貌と年齢に不釣り合いな徽章が左胸に三段重なった砂漠迷彩の戦闘服に着替えて、観測手として優の戦闘成績を記録していた生き証人を引き連れ、連隊本部に出頭した。連隊本部と銘打っているが、国防省直轄連隊としてイラク派遣部隊の陸軍司令部に併合された存在である彼らにとって、連隊本部とは事実上はイラク方面軍司令部に等しい。
司令部庁舎の三階に位置する戦闘偵察連隊本部の表札が掛かった部屋に入室すると、待っていたといわんばかりに、戦闘偵察連隊イラク派遣支隊の作戦計画を任されている一松中尉に呼ばれる。一松は二人を迎えると、椅子に座らせた。
「二人とも疲れただろ。よく無事で戻ったな。201連隊から正式に感謝の言葉が送られてきた時は驚いたが、他部隊からそう言った評価をもらうのは光栄なことだ。二人とも誇っていいぞ」
「ありがとうございます」
事務室はいたって少数の人員しか見当たらず、そして狭い。バグダート基地全体を見渡した中で、彼ら戦闘偵察連隊はその任務の性質に対していたって小さな部署だ。派遣隊員も小規模であり、そのため割り当てられる部屋も小さい。おそらく、事務室の大きさで言えば、彼らよりも小規模な部隊である特殊部隊の方がいささか立派で、見栄えもいいはずだ。
一松の祝辞に端的に返事をした海老原と、無言で目礼する優は、つつがなく報告する。
「確認戦果は六人。そのうちの一人は一四五〇メートル先からです。部隊の狙撃記録更新ですよ」
「そりゃすごい!個人で三日のうちに六人も狙撃して、その距離。勲章ものじゃないか?」
「すごくはないですよ。標的があと二百メートル離れていても中てることはできました」
一松の素直な賞賛に、優は表情を変えずに肩をすくめて、なんということはないというが、それは一介の狙撃手が簡単に狙える距離ではない。ある意味神業的技巧が生んだ記録だ。ましてあれが使用した狙撃銃は、大日本帝国陸軍が一般部隊に支給しているM24狙撃銃だ。いささか時代遅れともいえるその銃の弾薬は7.62ミリ。実用距離として設定しているのがせいぜい八百メートル程度であるから、それよりもさらに六百メートルはある距離を狙撃した彼は優秀すぎる人材だった。
「篠崎、謙遜は時に皮肉になる。他人からの評価は素直に受け取るべきだぞ」
「はい」
「本国はお前たちを高く評価している。近々受勲もあるかもしれないな」
一松はそう言って締めくくると、二人の調書をまとめて、退出を指示した。敬礼し、退出した二人は、無言で互いの拳を打ち付けあう。
「勲章だってよ。よかったな」
「そんなものより金がほしい」
「相変わらず、そう言うのには無頓着だな」
表情の変化に乏しい苦笑気味を浮かべつつ、優はブッシュハットを深くかぶって、スモークレンズのシューティンググラスをかけて、隊舎の正面玄関から堂々と出ていく。途中ですれ違った顔見知りの兵士が、どこから聞いたのか二人の戦功を祝う言葉に軽く手を挙げて答える。
「勲章で飯が食えるか?」
「そうやって、昇進とかに無頓着なくせに、勲章とか徽章持ってるんだからずるいよな、お前って」
「欲がないのさ」
「俺も勲章ほしいぜ」
「手っ取り早く勲章をもらう方法がある」
「どんな?」
「軍人傷痍章とか」
「アホか。確かに手っ取り早いだろうけどな……。けどまあ、記録更新もできたし、帰国したらお祝いしなきゃな」
「気持ちだけ受け取っておくよ」
約一年の派遣期間も残すところ二週間を迎えたのは、まさに戦闘中だったつい昨日のことだ。優がイラクに派遣されたのが21歳の誕生日を迎えた一週間後の春だった。帰国する頃には、ちょうど桜が開花する頃だろう。
隊舎に帰る道すがら、彼は遠く扶桑の土を思った。
帰りを待つ家族はいないが、やはりどこか懐かしむ気持ちはあるのだな。
諸事情により、最初からゆっくり書き直します。