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綾香ちゃんのお話

作者: 宴屋ハル

 僕の隣の白い家には、綾香ちゃんが住んでいる。



「正太郎くーん」

 お日さまが眩しい、日曜日のお昼。玄関の向こうから、女の子の声がした。


 綾香ちゃんだ!


 テレビを見ていた僕は、ゆっくりと立ち上がる。昼ご飯の片づけをしていたお母さんが、遊びに行くのと聞いてきた。僕は頷いてから、玄関に急いだ。後ろでお母さんが、気をつけてねと声をかけてくれた。


「綾香ちゃん、こんにちは」

「こんにちは、正太郎君」


 僕がドアを開けると、門の前で待っていた綾香ちゃんが、にっこりと笑った。


 綾香ちゃんの名前は、森下綾香。僕より一つ上の、七歳の女の子だ。僕とは生まれた時からずっと仲良しで、日曜日のお昼になると、こうして僕のことを迎えに来る。

 

「遊ぼうよ、正太郎君」

「うん。いいよ」

 僕が言うと、綾香ちゃんは嬉しそうにまた笑った。僕もつられて一緒に笑う。

 綾香ちゃんと居ると、何だかすごく笑いたくなる。



 僕達はいつも、家の近くの公園で遊ぶ。地面は綺麗な緑色をした芝生。そこにはすべり台もブランコも砂場もない。あるのは、白色のペンキがちょっと剥がれてきた古いベンチだけだ。だから、僕達と同じくらいの子供は全然居ない。おじいさんやおばあさんが、のんびりお話をしているくらい。

 僕だって、綾香ちゃんとじゃなければこんなところには来ない。綾香ちゃんと一緒だから、いつもここで遊ぶんだ。

 

 だって、綾香ちゃんと遊ぶのには、すべり台もブランコも砂場だっていらないから。


「そうだ。綾香ね、今日もお話を考えてきたの」

 来た!と思った。綾香ちゃんが、鞄の中から出した黄色いノート。それを見た時、僕の中にワクワクとハラハラの気持ちが生まれた。


 綾香ちゃんは、お話を作るのが上手だ。いろいろなお話を作っては、僕に聞かせてくれる。僕は、綾香ちゃんのお話が好きだ。それには二つの理由がある。

 まず、綾香ちゃんのお話は面白い。ドキドキするお話ばっかりだ。お母さん達が読んでくれる本よりも、ずっとずっと面白い。

 そしてもう一つ。綾香ちゃんのお話には不思議なところがあるのだ。


「今日はね、透明人間のお話なの。正太郎君、透明人間って知ってる?」

「知ってるよ。体が透明なんだ。見えなくなっちゃうんだよ」

「うん。その透明人間が、男の子にイタズラするお話…」


 それから綾香ちゃんは、長い長いお話をしてくれた。僕は欠伸一つしないで聞いていた。

 綾香ちゃんのお話の中で、透明人間は楽しそうにイタズラをしていた。男の子の髪の毛を引っ張ったり、アイスクリームを食べてしまったり、足を引っ掛けて転ばせたり。男の子はその度にいっぱい泣いて、近くに居た透明人間は濡れてしまう。するとそこへ、トラックがやってくる。スピードを出したトラックが、前の日の雨で地面に出来ていた泥の水溜りの上を通るものだから、男の子と透明人間に泥水がかかってしまう。

 泥まみれになった透明人間は、透明ではなくなってしまい、男の子にイタズラがばれてしまうのだ!


「それで、透明人間は男の子に怒られちゃうんだよ」

「透明人間は人間なの?人の形をしているの?」

「当たり前だよ。だって、透明人間だもん。人間ってつくでしょ?」

「そっか」

 僕がそう言ったところで、夕焼け小焼けの音楽が聞こえた。五時になったのだ。

「帰らなきゃ」

 綾香ちゃんが黄色いノートを鞄にしまった。僕は立ち上がって、綾香ちゃんの手を握った。 そのまま二人で、家まで走った。



「ただいま」

 綾香ちゃんとさよならをした僕が家に帰ると、カレーの匂いがした。台所からお母さんが、リビングからお姉ちゃんが、お帰りなさいと言った。

「綾香ちゃんとデートですかい?」

「デートじゃないよ!」

 お姉ちゃんが、にやにやしながら聞いてきた。僕は慌てて言い返す。高校三年生のお姉ちゃんはいつもそうだ。でも、僕が機嫌を悪くすると、制服のポケットからお菓子をくれる。

「ごめんごめん」

 今日は日曜日で制服を着てなかったから、お菓子はもらえなかった。


 お母さんが、お風呂に入りなさいと言うので、僕はお風呂場に行った。小学生になってからは、一人でお風呂に入るようになった。

 熱いお湯の入った湯船で、僕は綾香ちゃんのお話を思い出していた。


 綾香ちゃんのお話の不思議なところは、そのお話と同じようなことが僕の周りで起きるということだ。

 たとえば先週の日曜日。僕は綾香ちゃんから、お月様が結婚相手を探すお話を聞いた。金色のお月様は、夜道を仲良く歩く人間の家族を見て羨ましくなる。それで、自分も結婚して家族が欲しいと思ったのだ。

 お月様は、太陽や雲、風にプロポーズをする。でも、太陽は夜は眠っているし、雲はお月様が眩しすぎて嫌だと言う。いろいろな所を旅する風は、ずっと一緒にいてくれない。

 悲しくなったお月様が泣いていると、周りからたくさんの優しい声がした。お月様が辺りを見回すと、数え切れないくらいのお星様が!

 一人じゃないと気づいたお月様は、今日も元気に地球を照らす。

 そんなお話だ。

 

 そして、お話を聞いた僕が家に帰ると、お月様のように金色の髪をした男の人が、お姉ちゃんと一緒に座って、お父さんとお話をしていた。

 お月様みたいな男の人は、お姉ちゃんと結婚したいらしかった。


 綾香ちゃんのお話を聞くと、こんなことが必ず起こる。僕はそれを綾香ちゃんには教えない。教えたら、お話を作らなくなってしまうかもしれないからだ。

 僕は綾香ちゃんのお話を聞くのを、怖いと思うし、楽しみだと思っている。


 お風呂から出た僕は、パジャマに着替えながら、これから何が起こるかを想像する。

 

 もしかしたら、透明人間は風のことかもしれない。いや、地震かもしれない。ひょっとするとお化けかもしれない。

 イタズラをするのだろうか。晩ご飯が無くなっているかもしれない。部屋の中がぐちゃぐちゃになっているかもしれない。いきなり電気が消えてしまうかもしれない。


 わくわくしながらお風呂場を出ると、お母さんが叫ぶのが聞こえた。

 いよいよ来たか!!

 

 僕の頭の中に、綾香ちゃんが作った宇宙人のお話が浮かんだ。真っ黒の宇宙人が、地球にやってきて悪さをするのだ!

 お話を聞いた日の夜、僕の家にたくさんのゴキブリが現れた。虫は嫌いと言って、お母さんがパニックになって大変だった。


「どうしたのお母さん!」

 慌てて台所に向かった僕の目の前で、お姉ちゃんとお母さんが大笑いしていた。

「あ、正太郎。聞いてよ!お母さんったら、間違えて枝豆を塩じゃなくて砂糖で茹でたの!」

 お姉ちゃんが渡したあつあつの枝豆を食べてみる。凄く甘かった。

「ごめんね〜。お母さん七時から見たいテレビあって、慌ててたのよ」

「しっかりしてよ、お母さん」

 その通りだ。お母さんが間違えただけじゃ、透明人間のイタズラにはならないのに。

 僕はこっそり溜め息をついて、冷蔵庫からオレンジのアイスを出した。

 もうすぐ七時。たぶん、お母さんの見たい番組までに、晩ご飯は出来上がらない。

 

 お父さんは、一週間くらい前から出張に行っている。名古屋に行っているらしい。

 お母さんがどうしてもテレビを見たいって言うから、今日の晩ご飯に枝豆は出なかった。カレーは美味しかったから、僕は満足だった。

 お姉ちゃんは、ご飯の後に勉強をする。今日も、お菓子をたくさん持って自分の部屋に上がっていった。

 

 僕がお母さんと一緒にテレビを見ていると、二階からお姉ちゃんが叫ぶのが聞こえた。

 いよいよ来たか!!


 僕の頭の中に、綾香ちゃんが作った寒がりの女の子のお話が浮かんだ。寒がりの女の子が、地球の暖かい物を、全部盗っていってしまうのだ!

 お話を聞いた日の夜、僕の家のシャワーが壊れて水しか出なくなった。冷たくて体が洗えないと言って、お姉ちゃんがパニックになって大変だった。


「どうしたのお姉ちゃん!」

 慌てて二階に向かった僕とお母さんの目の前で、お姉ちゃんがぴょんぴょん跳ねていた。

「ちょっと、何してんのよ?」

「足の小指…タンスに…痛い…」

 お姉ちゃんはそう言いながら、左足の小指を撫でた。すごく痛いと思う。

「携帯見ながら、ボーっと歩いてたんでしょ?気をつけなさいよ」

 その通りだ。お姉ちゃんがボーっとしてただけじゃ、透明人間のイタズラにはならないのに。

 僕はこっそり溜め息をついて、テレビを見ようと一階に行こうとした。

 後ろでお姉ちゃんが、絆創膏持ってきてと言った。


 僕は大体、九時くらいには寝てしまう。お母さんも一緒に寝る。

 今日も、僕はお母さんと一緒に、九時には二階の寝室で寝ていた。お姉ちゃんだけが、部屋で勉強をしていた。左足の小指には、ちゃんと絆創膏が巻かれていた。


 僕がウトウトし始めたとき、誰も居ないはずの一階から物音が聞こえた。

 いよいよ来たか!!


 僕の頭の中に、綾香ちゃんが作ったクマさんのお話が浮かんだ。はちみつを食べたかったクマさんが、友達の家にこっそりはちみつを盗みに行くのだ!

 お話を聞いた日の夜、僕の家に泥棒が入った。はちみつ色の封筒に入っていたお小遣いが盗まれたと言って、お父さんがパニックになって大変だった。


 隣で寝ているお母さんを起こさないように一階に向かった僕の目の前で、紙袋をたくさん持ったお父さんがびっくりした顔で立っていた。

「何だ、正太郎。まだ起きてたのか」

 すぐに、お姉ちゃんが二階から下りてきた。小指が痛いのか、ちょっと歩き方が変だった。

「お帰り、お父さん。それお土産?」

「そうだぞ。買いすぎて重たかった」

 紙袋の中身をのぞきながら、お父さんとお姉ちゃんが話している。

 ちょっと後に、お母さんも下りてきた。

「お帰りなさい。あら、正太郎起きちゃったの?」

「お父さんが起こしちゃったか?ごめんな」

「もうちょっと静かに帰ってきてくださいよ」

 その通りだ。音を立てたのがお父さんじゃ、透明人間のイタズラにはならないのに。

 僕はこっそり溜め息をついて、寝室に戻ろうとした。

 でも、お父さんがお土産を見せてくれると言ったので、みんなと一緒にリビングにいることにした。


 結局その日、僕の家に透明人間は来なかった。

 一週間たっても、来なかった。



 日曜日。空はちょっと曇っていたが、綾香ちゃんの声はちゃんと聞こえた。


「遊ぼうよ、正太郎君」

「うん」


 二人でいつもの公園に行く。今日は何だか、散歩をしている犬が多かった。茶色い犬と白い犬がケンカしていたので、ちょっと離れたところに座ってお話をした。

 綾香ちゃんのお母さんが焼いてくれたクッキーを食べていると、いつものように綾香ちゃんが鞄の中を探り出した。


 でも、今の僕は、綾香ちゃんのお話があまり楽しみではなかった。透明人間は、僕の家に来てくれなかったのだから。不思議なことは起こらなくなってしまったのだ。


「今日も、お話を考えたの?」

「うん、そうだよ。楽しみにしててくれた?」

 綾香ちゃんが笑って聞いたので、僕はちょっと迷ってから嘘をついた。

「もちろん」


 黄色いノートが、綾香ちゃんの鞄から出てくる。いつもは輝いて見えたノートが、今日は普通の黄色いノートにしか見えない。


 こっそり溜め息をついた僕の横で、綾香ちゃんが楽しそうに言った。


「実はね、この間の透明人間のお話の続きなの。まだ透明人間と、男の子が仲直りしてないでしょ?」


「あのお話、あれで終わりじゃなかったんだよ」


 

 最後まで何が起こるか分からない。

 お話は、ちゃんと終わらないとお話にはならない。

 中途半端だった綾香ちゃんのお話の中の透明人間は、お話が終わるまで僕の家には来られない。


 今日、家に帰るのが楽しみで、僕の顔に、綾香ちゃんと同じ笑顔が浮かんだ。



読んでいただき、ありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言]  リズム感のある文章で正太郎君のドキドキ感が伝わってくるようでした。次に何が起きるのかを期待させる展開も面白かったです。  ただ、漢字を多用してることで、語り部が"6歳の少年"というリアリテ…
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