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密着一日目(2)

 我々が乗る飛行機がホノルル空港に到着した。ここで飛行機を乗り継ぎ、キラウエア火山があるハワイ島のヒロ国際空港を目指す。だが、ヒロ国際空港行きの飛行機の搭乗時刻は、およそ三時間後。それまでターミナル内で暇を潰さなければならないが、予算に余裕がない我々にできることは限られている。立ち並ぶハワイアンレストランや寿司バーなどのメニューはどれも安いとはいえず、気軽に入ることはできない。土産屋なら金を使わずに入れるが、様々な名産品が購買意欲を掻き立ててくる。


 空港の中ですら、我々を誘惑し精神を揺さぶる。これがハワイの洗礼なのか。空港内を歩くことさえ危険だ。誘惑に負け、予算がショートすれば、探検の「た」の字を口にする前に帰国せざるを得なくなる。


 あらゆる誘惑を断絶するべく、我々は搭乗口近くのソファに座り、河丘が持参したトランプでポーカーに興じることにした。もちろん賭ける金はない。勝ち負けは無意味。勝敗が決まれば、また次のゲームが始まるだけだ。これを三時間繰り返す。


河丘「はい、ロイヤルストレートフラッシュ。俺の勝ち」

イングリッシュ「隊長、またですか。ロイヤルストレートフラッシュがそろうの、これで四回目ですよ。こんなことあり得ます?」

ラジコン「イカサマしてませんよね?」

河丘「まさか。俺は何かとツイている男なんだ。それに、『真剣勝負』こそ俺のモットー。たかが暇潰しのゲームでも絶対にズルはしない」


 始めたばかりのうちは、こんな風に盛り上がっていた。だが、時間が経過するにつれて、ゲームとしての楽しさは薄れていく。三時間が経つころには誰も口を利かなくなり、そろったカードを見せ合うだけの作業になっていた。




 ホノルル空港からヒロ国際空港までのフライト時間は五十分ほど。ごく短い時間で到着してしまうが、探検隊全員、飛行機のシートに座ったと同時に眠りについた。深い睡眠に入っているのだろう、誰一人としてピクリとも動かない。永遠のように感じられたポーカーは、想像していた以上に我々の心身を蝕(むしば)み、疲弊(ひへい)させていたようだ。灼熱猿人・ラバフットを捕獲するための厳しい探検は、すでに始まっているのである。




 我々が飛行機を降りて、ハワイ島・ヒロの地を踏んだ時刻は午後十一時。空は真っ暗で、うっすらと見える雲の隙間から満月が顔を覗かせている。キラウエア火山があるハワイ火山国立公園は二十四時間入園できるが、現地までは車で一時間弱。その車を調達しようにも、空港周辺のレンタカーショップはすでに閉まっている。タクシーで行けなくもないが、帰りの足がなくなってしまう。ラバフット捜索は、明日の朝までお預けだ。


河丘「旅の疲れもあるからな。今夜は体を休めて、明日に備えよう」


 河丘が先導し、宿泊場所へと向かう。どのホテルを予約しているのか、我々は聞かされていない。河丘の後をただついていく。


 空港から徒歩数分程度の場所にあるホテルに泊まるのだと思っていたが、なかなかたどり着かない。もう四十分以上は歩いている。我々は中心街から外れ、街灯の少ない、くすんで寂(さび)れたエリアに入った。さっきまでは水色や桃色のカラフルな建物が道路を挟んで並んでいた。今も人が使っている元気な建物が街を形作っていた。しかしこのエリアにあるのは、閉業してから何十年も放置されているであろう飲食店やホテルだった建物ばかり。周囲に人の気配はなく、車の一台も通らない道路を痩せた野良犬が横断しているだけ。「ゴーストタウン」という言葉がお似合いだ。ヒロの街は観光地ではあるが、街の隅々まで観光客を歓迎しているわけではないようである。


河丘「よし、ここにしよう」


 そう言い、足を止める河丘。我々の目の前にあるのは、かつてホテルだったと思われる四階建ての建築物。どの階の窓にも明かりが点(つ)いていない。両開きの大きな入口扉は開かないよう取っ手にチェーンが巻きつけられ、「KEEP OUT」と書かれた看板が垂れ下がっている。見るからに廃墟だ。


河丘「ラバフットを捕獲するまで、ここが俺たちの宿だ」


 なんと、河丘はこの廃墟で寝泊まりすると言い出したのだ。ホテルを予約していたわけではなかったのである。これも予算削減の影響なのだろう。我々の予算は、営業中のホテルに宿泊できないほどカツカツだったのだ。


イングリッシュ「隊長、不法侵入になってしまいますよ。まずいんじゃないですか?」


 河丘に進言(しんげん)するイングリッシュ隊員。彼の言うことはもっともである。誰も使っていない廃墟といえど、持ち主がいるはずだ。その持ち主の許可なく入ることなど、ここが自由の国アメリカの領土であっても許されまい。


 だが、良識あるイングリッシュ隊員の言葉を、河丘は一蹴する。


河丘「大丈夫だ。バレたら謝ればいい。というかバレない。周りを見てみろ。誰もいないだろ? 俺たちがここで寝泊まりしても、誰も気づかないし、迷惑にもならないさ」


 良く言えば究極のポジティブ思考、悪く言えば自己中心的で図々しい。それが河丘という男だ。しかし、この神経の図太さこそ、彼が数多の危険地帯を踏破できた要因なのかもしれない。人間は追い詰められるほど物事を悪いほうへと考え始め、その思考が最悪の状況を呼び寄せてしまう。どんな極限状態でもポジティブ思考で行動することこそ、苦境を打開する力となる。河丘は過去の探検を通して、そういう考え方が染みついているのだろう。持ち主不明の廃墟に許可なく侵入し宿泊することなど、河丘にとっては耳元を飛び回る蚊ほども気にならない、些細なことなのだ。


 入口扉を縛るチェーンを強引に外す河丘。チェーンがジャラジャラという金属音を立てて、歩道の上に落ちる。かなり大きな音が響いたが、誰かが近づいてくることはない。周囲は相変わらずしんとしたままだ。河丘の言うとおり、誰も気づいていない。いや、チェーンの音が届く範囲に人間がいないのだ。


 蝶番(ちょうつがい)が錆(さ)びついて動きの悪い扉を開け、建物の中に入る。一階は、ホテルのロビーとして使われていたのだろう。受付カウンターや複数人が掛けられるソファなどがある。建物の外観と同じくどれも年季が入っていて、埃(ほこり)を被っていたが、ホテルとして営業していたときのままのようだ。


 ここがホテルだったのならば、上階には客室があるはずだ。そこも当時のまま放置されているとしたら、各部屋にベッドがあるに違いない。汚れているだろうが、少し掃除すれば横になって眠れる。そう考えた我々だが、二階へ続く階段は完全に崩落していた。よじ登ることも難しい。エレベーターは電気が通っていないため動かない。我々は、ロビーだったこの一階で過ごすしかないようだ。


河丘「雨風が凌(しの)げるだけマシだな。各自、持ってきた寝袋にくるまって、床で寝るんだ。ベッドがあれば理想だったが、贅沢は言っていられない」


 廃墟での宿泊は、様々な不便が予想される。しかし、文無しの我々は文句を言える立場ではない。今は六月で、ハワイに台風が訪れ始めるシーズンだ。もし台風がハワイを襲えば、宿のない我々は豪雨と強風に当てられることになるだろう。その結果、探検隊の誰かが体調を崩せば、ラバフット捜索どころではなくなってしまう。建物の中で過ごせることだけでも、感謝しなければならない。


ラジコン「隊長、ソファがあります。このソファをつなげれば、ベッド代わりになるんじゃないでしょうか?」


 そう言い、受付カウンターのすぐ脇にあったソファを動かそうとするラジコン隊員。この提案には河丘も「そうだな。そうしよう」と賛同する。古いソファだが、まだ多少ふかふかとしており、床で寝るよりは体にかかる負担を軽減してくれそうである。ラジコン隊員のナイス判断だ。


 だがこの直後、我々は恐ろしい光景を目にすることになる。


 ラジコン隊員が少しだけ動かしたソファ、その下から無数の黒い物体が這い出てきた。物体は音もなく動き回り、床の上で円形に広がる。まるで巨大な穴が空いたかのようだ。


 物体に飲み込まれないよう、急いで後退(あとずさ)りする探検隊一行。


河丘「これは……ゴキブリか」


 ソファの下から這い出てきたそれは、ゴキブリの大群だった。人間が近寄らない廃墟、その中にあるソファの下は、狭くて暗い場所を好むゴキブリたちにとって最高の天国だっただろう。その天国をラジコン隊員が壊したことで、驚いて飛び出してきたのだ。


 ハワイのゴキブリは、まさにアメリカンサイズ。日本に生息するクロゴキブリより一回りは大きい。それが今、我々の足下で蠢(うごめ)いている。その数は、ゆうに二百匹を超えているだろう。虫嫌いな人間が見れば卒倒することは確実。


 だが、「虫のパラダイス」というべきジャングルに慣れた河丘にとって、ゴキブリの群れなど大した脅威ではないようだ。無表情のまま、胸ポケットから素早くオイルライターを取り出して火をつけると、ゴキブリが作った円の中心に放り投げた。ゴキブリたちは火を避けるように方々へ散る。そのまま壁を伝って、ガラスが割れた窓から建物の外へとすべて逃げていった。


 火が辺りに燃え移らないうちにライターを拾い上げる河丘。彼の機転で見事に黒い軍勢を追い払うことができた。ジャングルで培(つちか)った虫への免疫と、ゴキブリが火を嫌うという知識、その両方を兼ね備えた河丘だからこそできた対処である。


河丘「ゴキブリたちには申し訳ないが、この場所を明け渡してもらおう。ここにあるものは、迂闊(うかつ)に動かさないほうがいいな」


 河丘はイングリッシュ隊員、ラジコン隊員、そして自分自身に言い聞かせるように口にした。ここに潜(ひそ)んでいるのはゴキブリだけとは限らない。猛毒を持つ蜘蛛(くも)やサソリが隠れていることも考えられる。そんな危険生物を起こしてしまえば、犠牲者を出すことになるだろう。他の廃墟に移動しても、大差はあるまい。


 我々はこのフロアにある物に一切触ることなく、会話も最小限にして静かに寝袋にくるまった。

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