父の量子手紙
第一節 くだらない神ゲー
「……何がワールドストーリーだ。」
吐き捨てる。
空に浮かぶ城。
巨大な光の竜。
無数のプレイヤーアバター。
全部が美しい。
全部が完璧だ。
物理演算。
空気の流れ。
重力の感覚。
現実とほとんど変わらない。
それでも――
「くだらねえぇ!!」
ヘッドセットを外す。
ソリトンホラフィックデバイス。
仮想世界を直接空間投影するフルダイブ装置。
それを――
ベッドにぶん投げた。
ぼすっ、と鈍い音がする。
「こんなものが」
胸の奥から言葉が出る。
「今世紀史上最大の神ゲーだって言うのかよ!」
天井を見上げる。
「ふざけんな……」
この世界は、もう変わりきっている。
2037年。
AGI。
汎用人工知能。
人々はそれを、もう機械として扱っていない。
「相棒」。
「パートナー」。
あるいは――
デジタルバディ。
生活の管理。
感情のサポート。
思考の補助。
ほとんどの人間が、それを持っている。
仮想世界ではさらに進んでいる。
デジタルツイン。
自分の人格モデル。
自分の代わりに働き、
自分の代わりに遊び、
自分の代わりに世界に参加する。
「……便利すぎるんだよ。」
ベッドに寝転ぶ。
確かに、不自由はない。
飯も美味い。
住む場所もある。
仕事をしなくても――
金は入る。
ユニバーサル・ハイインカム。
政府が支給する基本所得。
社会のほとんどは自動化された。
人間は働かなくてもいい。
「……」
ため息をつく。
「楽すぎるんだよ。」
手を顔の上に置く。
「僕の父さんはすげえよ。」
ぽつりと言う。
量子重力理論。
量子宇宙論。
その分野ではかなり有名な研究者。
ニュースでも何度か見た。
「その父さんの理論が」
ベッドの横にあるデバイスを見る。
「この仮想世界に使われてるんだと。」
ソリトンホラフィックデバイス。
その内部空間は――
単なるゲームエンジンじゃない。
父の理論。
量子重力の数式。
それを使って構築されている。
「何でも」
笑う。
「別の宇宙を作ってるとか。」
鼻で笑う。
「宇宙論の副産物がゲームかよ。」
そのとき。
ピン
通知音が鳴る。
「ん?」
視界の端にメールが表示される。
送り主:不明。
件名:
超越者方へ
「……は?」
思わず吹き出す。
「何だこのタイトル。」
古すぎる。
怪しすぎる。
「スパムかよ。」
今どきこんなのあるか?
普通なら――
デジタルバディが処理する。
サイコスキャン。
感情解析。
詐欺判定。
そしてオートブロック。
「ナノカ。」
呼ぶ。
空間に小さなホログラムが現れる。
少女型AI。
淡い銀色の髪。
柔らかい光の瞳。
それがデジタルバディ。
ナノカ。
「はい。」
穏やかな声。
「このメール」
指で空中の通知をつつく。
「ブロックされないの?」
ナノカは少し首を傾ける。
「確認します。」
数秒。
沈黙。
「……おかしいですね。」
「だろ?」
「通常のスパム判定に該当しません。」
「は?」
ベッドから起き上がる。
「AIの検知すり抜けるメールとか」
笑う。
「逆に気になるんだけど。」
手を伸ばす。
「こうなったら」
デバイスを手に取る。
「量子ネイティブの俺様が」
起動。
「このデバイスをハッキングしてやる。」
メールを開く。
次の瞬間。
画面に派手な文字が出た。
おめでとうございます。
「……は?」
さらに文字が流れる。
あなたにプレゼントがあります。
眉が上がる。
「プレゼント?」
次の行。
特別アバター
その下。
レジェンダリー武器付き
「……」
思わず笑う。
「ゲームの課金キャンペーンか?」
だが次の行で止まる。
莫大な遺産を相続しました。
「……は?」
最後の行。
一景ユニット
「はあぁぁあ!?」
声が出る。
一景ユニット。
それは――
国家予算レベルの資産。
「いやいやいやいや」
頭を振る。
「桁おかしいだろ!」
画面を何度も見直す。
「これ完全に詐欺だろ。」
「いやでも」
笑う。
「詐欺でも数字盛りすぎだろ。」
画面をスクロールする。
アバター情報が出る。
豪華な装備。
黄金の装甲。
背中に浮かぶ翼。
そして武器。
レジェンダリークラス
「……」
思わず呟く。
「ゲームの課金装備でも」
「ここまで盛らねえぞ……」
頭をかく。
「何なんだこれ。」
第四章 2037年10月26日
第二節 完全不能死
「……何なんだこれ。」
画面をもう一度スクロールする。
アバターの詳細データが表示される。
レベル:未登録
クラス:未設定
装備:レジェンダリー一式
黄金の装甲。
背中に展開する光翼。
そして武器。
神話級武装:未解放
「……は?」
思わず画面に顔を近づける。
「こんなの、普通のプレイヤー装備じゃねえぞ。」
ワールドストーリーのトップランカーでも、
こんな装備を全部揃えている奴はいない。
「……詐欺だろ。」
もう一度言う。
「いや、でも」
首をかしげる。
「詐欺ならもっと現実的な数字にするだろ普通。」
一景ユニット。
その数字を思い出す。
国家級資産。
企業連合クラス。
「……いやいやいや」
頭を振る。
「意味わかんねえ。」
そのとき。
ピン
また通知が鳴る。
「……まだ来るのかよ。」
画面に新しいメールが表示される。
差出人:
ナノカ
「ああ。」
手をひらひら振る。
「それ、今いいや。」
「後ででいい。」
ベッドに寝転がる。
デバイスを持ったまま天井を見る。
「一景ユニットって……」
笑う。
「何だそれ。」
「これで人生遊んで暮らせってか?」
ナノカが静かに言う。
「……お伝えしなければならないことがあります。」
「ん?」
声のトーンが少し違う。
いつもより低い。
ナノカが続ける。
「父さんが亡くなられました。」
「……は?」
一瞬、意味が入ってこない。
「何言ってんだよ。」
笑う。
「そんな冗談いらないって。」
「だって」
指を振る。
「量子医療あるだろ。」
「量子コンピューターで薬作れるし。」
「ナノ医療もあるし。」
「死ぬとか、そういう時代じゃないだろもう。」
ナノカは静かに答える。
「薬の問題ではありません。」
「は?」
「強いて言えば」
わずかな沈黙。
「事故です。」
「事故?」
眉が寄る。
「どこで?」
ナノカが答える。
「研究施設です。」
そして一言。
「タイムマシーンの実験中に。」
「……は?」
思わず声が漏れる。
「いやいやいや。」
笑う。
「んなわけないだろ。」
ベッドから体を起こす。
「父さんが作ったタイムマシーンは」
指を立てる。
「プランクスケール制御だぞ?」
「安全装置も三重だ。」
「時間座標の固定も完璧だって」
「何回もニュースで言ってたじゃん。」
ナノカは黙る。
「詳細ログを送信します。」
視界にデータが表示される。
研究施設ログ。
実験番号。
時間跳躍試行。
そして――
事故発生
存在消失
喉が詰まる。
「……」
スクロールする。
医療ログ。
蘇生試行。
時間遡行。
量子バックアップ。
すべての項目の横に――
失敗
「……なあ。」
ナノカを見る。
声が少し震える。
「これさ。」
笑おうとする。
「これもヴァーチャルなんだよな?」
「仮想ニュースとか。」
「ドッキリとか。」
ナノカはゆっくり首を振る。
「違います。」
「完全不能死です。」
「……は?」
言葉の意味が理解できない。
「完全不能死?」
ナノカが説明する。
「父上は」
「時間線の崩壊に巻き込まれました。」
画面に図が表示される。
時間分岐。
多宇宙モデル。
すべての線から、一点が消えている。
「存在情報が消失しました。」
ナノカの声は静かだ。
「現在の理論では」
「すべての分岐宇宙から削除された状態です。」
頭の中が真っ白になる。
「……」
言葉が出ない。
「つまり」
ナノカが続ける。
「蘇生は不可能です。」
「時間改変も不可能です。」
「存在復元も不可能です。」
「……」
デバイスを握りしめる。
さっきのメールが目に入る。
プレゼント。
アバター。
莫大な遺産。
一景ユニット。
胸の奥から笑いが漏れる。
「……ああ。」
小さく言う。
「なるほどな。」
画面を指さす。
「これがプレゼントってわけか。」
「父さんの遺産。」
笑う。
「はいはい。」
「これで残りの人生」
「遊んで暮らせってか。」
拳を机に叩きつける。
「ふざけんな!!」
声が部屋に響く。
「俺はこんなゲーム」
「もう飽きてんだよ!!」
沈黙。
そのとき。
デバイスがもう一度光る。
新しいメッセージが開く。
差出人:
父
本文は短い。
ナノカが読み上げる。
「……○○さま。」
一瞬止まる。
「どうか目を覚ましてください。」
画面の最後の行が光る。
遺書を読んでください。
第四章 2037年10月26日
第三節 遺書
デバイスの画面が静かに光っている。
差出人。
父
その二文字を見ただけで、胸の奥が妙にざわついた。
指が止まる。
開けば、何かが決定的に変わる気がした。
それでも、画面に触れる。
メッセージが開く。
そこには短い文章が表示されていた。
⸻
遺書
愛する息子へ
私の全てをお前に託した。
お前は私の未来だ。
どうか許してほしい。
不器用な私を。
伝えたいことがある。
私がこの手紙を読んでいる頃には、
私はすべての分岐宇宙から消去されていることだろう。
これは私の冒険であり、
私の魂なのだ。
私の宇宙は私の宇宙であり、
お前の宇宙もお前の宇宙だ。
全ては繋がっている。
だから私のことを覚えていることだろう。
魂は不滅なのだから。
私は、私の妻――
お前の母を助けるために旅に出た。
妻に、不変の愛を伝えるために。
愛に勝るものがあるとすれば、何だ。
夢か。
そうだ。
お前も夢を持て。
絶対にその夢を手放すな。
夢は死なない。
これは私が信じることだ。
信じることが時空の可能性を変える。
そうして因果は結ばれる。
だからお前も、こんな現実でも生きるんだ。
生きて、
私が届かなかった世界へ行ってくれ。
すべてを託す。
父さんより。
真実は着飾らない。
⸻
「……」
読み終わる。
数秒。
部屋は静かだった。
「……何だよ。」
ぽつりと呟く。
「こんなことか。」
肩をすくめる。
「もっと……」
言葉が続かない。
もっと何か、
難しい理論とか、
宇宙の秘密とか、
時間の公式とか。
そういうものが書いてあると思った。
でも。
そこにあったのは――
ただの手紙だった。
父親が息子に書くような。
古臭くて、
不器用で、
少し恥ずかしいような言葉。
「……」
デバイスを閉じる。
ベッドに座る。
「……」
胸の奥が、妙に軽い。
軽いのに。
同時に、何かが抜け落ちていく。
ヒュン、と。
空洞ができるみたいに。
「……あれ。」
目を閉じる。
父の顔を思い出そうとする。
研究室。
白衣。
ホログラムの数式。
「……」
思い出せない。
輪郭がぼやける。
「……」
もう一度思い出そうとする。
「父さん……」
その言葉が、少し変に聞こえる。
「……あれ。」
胸の奥がざわつく。
何かがおかしい。
「父さん……」
もう一度言う。
「父さん……?」
頭の奥が白くなる。
顔が浮かばない。
声も。
表情も。
「……」
心臓が速くなる。
「ちょっと待て。」
立ち上がる。
「いや、いやいや。」
笑おうとする。
「そんなわけない。」
頭を押さえる。
「父さんは……」
言葉が止まる。
「……」
空白。
「……父さん?」
喉が乾く。
「父さんって……」
自分の声が震える。
「誰だっけ?」
その瞬間、背筋が冷たくなる。
「……」
手が震える。
「ナノカ。」
呼ぶ。
返事がない。
部屋は静かだ。
もう一度、デバイスを開く。
遺書が表示される。
そこには確かに書いてある。
父さんより
「……」
それだけは、分かる。
この手紙を書いた人がいる。
でも。
その人の顔が。
声が。
記憶が。
まるで霧の中に沈んでいく。
「……」
怖い。
思い出そうとするほど。
記憶が崩れていく。
「父さん……」
もう一度つぶやく。
でも。
その言葉は、ただの音みたいだった。
意味がない。
実体がない。
存在がない。
「……」
画面を見る。
手紙の文字だけが残っている。
父という存在は消えているのに。
言葉だけが残っている。
「……」
なぜか。
その手紙を閉じられない。
画面を見つめる。
何度も読む。
読み終わる。
デバイスを下ろす。
部屋の中を歩く。
ぐるぐる。
止まる。
また手紙を見る。
また歩く。
ぐるぐる。
それを、何度も繰り返す。
時間の感覚がなくなる。
ただ。
胸の奥が空洞になっていく。
「……」
喪失感。
でも、何を失ったのか分からない。
「……」
目の奥が熱い。
でも涙は出ない。
ただ。
心だけが。
どこかへ落ちていく。
「……」
その日を境に。
僕は。
ゲームができなくなった。




