ゼロスフィアの夢
第28章
第一章 ゼロスフィアの夢
眠ったはずだった。
それなのに、主人公は目を閉じた瞬間から、これはただの夢ではないとわかった。
暗いわけではない。
明るいわけでもない。
上下も、前後も、左右も曖昧な空間に、自分だけが静かに浮かんでいた。
空気の感触はない。
けれど、何か巨大な構造物が、ゆっくりと、そして確実にそこに存在している気配だけはあった。
やがて、視界の中央に光が灯る。
最初は一点だった。
それが線になり、輪になり、重なり、立体になる。
現れたのは、球体だった。
ただの球ではない。
淡く透ける、仮想実体のような球。
その表面を、幾重もの円環が傾きながら巻いている。
円環はそれぞれ別の角度で回転し、ときどき球面に触れ、ときどき離れ、全体として一つの巨大な星儀のような姿をつくっていた。
「……何だ、これ」
思わず呟いた声が、空間の中へ静かに沈む。
次の瞬間、球体の表面に文字が走った。
いや、文字というより、記憶文章だった。
読んでいるのではない。
見た瞬間、意味が頭の内側へ直接流れ込んでくる。
理解しようと力まなくても、夢の中では不思議と内容がわかる。
球面には、ワールドストーリーの時代設計が刻まれていた。
伝説時代
超古代
古代
中世
現代
近未来
超未来
七つ。
ワールドストーリーは七段階の時代層で構成されている。
そのうち、超未来と超古代は離れて存在しているのではなかった。
球面上では、二つは細い接続線によって直接結ばれていた。
時代の始まりと終わりが、一本の輪でつながっている。
主人公は息を止める。
「……超未来と、超古代が……?」
球面の文字が明滅する。
超未来は超古代へ接続する。
超古代は超未来を神話として受信する。
夢の中なのに、その意味だけは異様にはっきりしていた。
時系列では遠いはずの二つが、構造上では隣り合っている。
だから古代遺跡に、未来めいた技術の匂いがある。
だから逆に、未来の極限が神話に見える。
次に、別の文章が流れ込む。
伝説時代 通常侵入不能
超古代 正規鍵または特殊接続を要する
古代 到達可能
中世 到達可能
現代 到達可能
近未来 条件付き到達可能
超未来 単独接続禁止
主人公は低く呟いた。
「……伝説時代は、まともに行くことすらできない」
言った途端、球面のもっとも深い部分が暗くなった。
そこには、ほかの時代とは違う濃度があった。
伝説時代。
神獣と原型法則が支配する領域。
行けないというより、行こうとすれば観測者のほうが耐えられない。
そういう感じだった。
行けるのは、古代、中世、現代、近未来。
つまり、今の主人公たちが触れられる層は限られている。
そして古代ダンジョンに潜れたこと自体が、かなりぎりぎりの線なのだと、夢の中の自分は当然のように理解していた。
そのとき、球面の別の場所に新しい文字列が浮かんだ。
地
風
火
水
雷
氷
光
闇
時
虚
聖
運
無
十三属性。
主人公はその文字列を見つめた。
それはこの世界の人工文字のようでもあり、分類表のようでもあり、呪文の核のようでもあった。
どの文字も、ただのラベルではない。
意味の塊というより、意味が発生する前の骨格のように見えた。
そして奇妙なことが起きた。
主人公が心の中で、雷と想像した瞬間。
球面の上に刻まれた「雷」にあたる部分が、黄色く点滅した。
「……っ」
次に、光と想像する。
今度は「光」の部分が、淡い黄色で明滅する。
他の文字は黙ったままなのに、こちらが想起した概念だけが反応する。
「……何だよ、これ」
十三属性が何を基準にした数字なのかはわからない。
なぜ十三なのか。
なぜこの並びなのか。
なぜ夢の中で、それがこんなに当然のように現れるのか。
わからないことだらけだった。
だが、夢の中にそれが出てくるということは、何か隠れた意味があるはずだった。
球体の外側を巻く円環には、さらに無数の言語が刻まれていた。
日本語。
英語。
見たことのない古代語。
象形文字のようなもの。
幾何学的な配列。
線と点だけでできた言語。
機械語じみたもの。
そして、花弁のような文字列。
ありとあらゆる言語が、円環にびっしりと刻まれている。
それは図鑑というより、爆縮寸前の図書館だった。
一つの球体の周囲に、世界中の言葉が押し込まれている。
情報の爆弾。
主人公は、夢の中でそう思った。
そして、考える。
この球体があれば、何でもできるのではないか。
あらゆる言語は、それを通して一つに統合されるのだろうか。
異なる世界、異なる時代、異なる記述体系さえ、ここでは接続されるのではないか。
そのとき、自然に名前が浮かんだ。
「……ゼロスフィア」
誰かに教わったわけではない。
自分で考えた気もしていない。
ただ、その球体を見た瞬間から、その名がそこにあった。
ゼロスフィア。
夢の時間は長かった。
少なくとも、眠りの数分で終わる感覚ではなかった。
体感だけなら、ずっとそこで漂っていた気がする。
そして、その長い夢の中で、ふと、人のようなものが現れた。
はっきりとは見えない。
輪郭だけ。
泡でできた影のような姿。
けれど、不思議とそれは頼もしい父親のように思えた。
「……父さん?」
言いかけた瞬間、その影は泡となってほどけて消えた。
夢の中では、何もかもが安定しない。
形を結んだかと思えば崩れ、輪郭が出たかと思えば消えていく。
走ろうとしても、足は妙に遅い。
なのに一歩ごとの飛距離だけが長い。
重力らしきものが働いているのに、その重力自体が揺れている。
次の瞬間、主人公はどこかへ飛ばされた。
⸻
第二章 超未来の風景
今度は、遥かな未来だった。
主人公は、何か細長い乗り物に乗っていた。
ゴンドラに似ている。
けれど、吊られているのでも、走っているのでもない。
見えない軌道に沿って、超高速で山の中を駆け巡っている。
風景が後ろへ流れる。
岩山。
深い谷。
光る樹木。
そして、その彼方。
一本の塔が見えた。
高い。
ただ高いのではない。
空を貫き、宇宙へ届きそうなほど細長く伸びる塔だった。
塔の外壁には光が走り、その周囲を小さな軌道輪のようなものが回転している。
山麓には街があった。
そこを歩いているのは、人間のようでいて人間ではない存在たちだった。
完璧なロボット。
関節も表情も自然で、一目見ただけでは人と見分けがつかない。
歩き方も、視線の揺れ方も、あまりに滑らかだ。
主人公はその光景を見て、夢の中で思った。
「……俺の時代では、ロボットの代わりに仮想技術が発展してる」
現実の2040年では、ここまで露骨に機械の身体が街を歩いてはいない。
仮想世界、デジタルバディ、デジタルツイン、ホログラム、ソリトンホラフィックデバイス。
人類は、物理ロボットよりも仮想側の密度を上げる方向へ進んでいた。
だが、こんな未来もありえたのかもしれない。
そのときだった。
背後から声がした。
「やぁ」
主人公が振り向く。
そこに、人影が立っていた。
輪郭は定まっているのに、細部は曖昧だ。
若いようにも見えるし、大人にも見える。
笑っているようにも、ただ見ているだけのようにも見える。
「僕だよ」
その存在は気軽に言った。
「君のことなら何でも知ってる」
主人公の喉が強く締まる。
「……誰だよ」
相手は少しだけ笑った。
「超越者だからね」
その一言で、夢の空気がわずかに冷えた。
主人公は思わず睨む。
「何だ、この世界を創った創造主か」
その言葉に、相手は曖昧に肩をすくめる。
「魂まで解き明かしたんだろう?」
誰が言ったのか分からなかった。
主人公が言ったようにも、その存在が言ったようにも聞こえた。
夢の中では、言葉の主語まで不安定だった。
その存在は、主人公の問いを流すように、少しだけ空を見上げた。
「まずい」
小さく言う。
「分解が始まっている」
「分解?」
主人公は眉をひそめる。
「分解って何だ。ここは夢だぞ」
相手は、すぐに答えなかった。
そして、ぽつりと呟く。
「泡でできているのか、夢では」
「いや、そうじゃない」
言葉が自分に向いているのか、主人公に向いているのか分からない。
だが次の言葉だけは、はっきりしていた。
「ここは、君にとって大切なところだ」
主人公は言葉を失う。
相手は指を少しだけ動かした。
すると、遠くの塔の周囲に、螺旋状の光が走る。
「宝は螺旋の中にある」
「……宝?」
「そう」
相手は穏やかに言う。
「何かの鍵かもしれない」
主人公は息を止めた。
鍵。
球体。
時代設計。
ゼロスフィア。
全部がどこかでつながり始めている。
「……あの玉に触れられれば」
言いかけた瞬間、風景が裂けた。
塔も、街も、ゴンドラも、ロボットも、全部が薄い紙みたいに捲れ上がる。
夢の未来が崩れていく。
主人公は落ちるような感覚とともに、急に目を開けた。
⸻
第三章 午前二時四十六分
部屋は暗かった。
現実の天井。
窓の外の夜。
喉が少し乾いている。
主人公は荒い息を整えながら、すぐに時間を見た。
2:46
「……意外と早いな」
体感では、もっと長く夢を見ていた。
数十分どころではない。
下手をすれば、何時間もあの球体と未来の風景の中にいた気がした。
なのに現実では、まだこんな時間だった。
「さっきのは……何だったんだ?」
夢。
と言い切るには、あまりに情報が残りすぎている。
七つの時代。
超未来と超古代の接続。
十三属性。
あらゆる言語。
ゼロスフィア。
そして、超越者を名乗る何か。
主人公は無意識に、父の手紙へ手を伸ばした。
手紙を開く。
表ではない。
裏面だ。
そして、そこで主人公は息を止めた。
「……は?」
裏面の奥に、球体のようなものが見えていた。
もちろん、紙の上に実際の立体が乗っているわけじゃない。
だが、空白だったはずの裏面の深いところに、円環に巻かれた球状の輪郭が、はっきりと隠れているのが分かった。
さっきまで、こんなものはなかった。
主人公は手紙を持つ指に力を込める。
「……これ、夢を見たからか?」
逆に言えば。
夢を見なければ、ここにそのゼロスフィアはなかったのではないか。
主人公の背筋に、ぞくりとしたものが走る。
夢が先だった。
現実の手紙が、そのあと反応した。
なら、因果が逆だ。
夢から因果が紡がれている。
主人公はそこで、父の手紙の一節を思い出した。
お前も夢を持て。
あの言葉。
ずっと精神論か、励ましのようなものだと思っていた。
けれど今は、別の可能性が浮かんでしまう。
もし。
夢を見ること自体が条件だとしたら。
「……どうやって、そんな仕掛けができるんだよ」
夢は不確定要素の塊だ。
人によって違う。
その時々で揺れる。
何を見るか、どんな順序で出るかも安定しない。
そんなものを、条件にする?
そんなものから、どうやって記憶文章の鍵を作る?
常識で考えれば、できるわけがない。
だが、父は普通の意味で常識に従う人ではなかった。
宇宙枝。
時間線。
完全不能死。
そして記憶文章。
主人公は手紙の裏面に浮いた球体の気配を見つめたまま、小さく息を吐いた。
「……父さんの“夢を持て”の意味は、まだ僕にはわからない」
それは正直な気持ちだった。
まだわからない。
けれど、わからないままで終わる感じではなくなってきた。
夢。
時代設計。
ゼロスフィア。
十三属性。
そして、球体の中にあるかもしれない鍵。
どれも、まだ曖昧だ。
でも曖昧なまま、少しずつこちらへ寄ってきている。
主人公は手紙を胸元へ戻し、暗い部屋の中でしばらく天井を見つめた。
漠然としている。
霧の中みたいだ。
それでも、さっきまでとは違う。
これはもう、ただの考えすぎじゃない。
何かがある。
手紙の中に。
夢の中に。
父の言葉の中に。
そう思えるだけの手触りが、たしかに残っていた。
夜はまだ深い。
けれど、主人公の中ではもう、次の朝へ向かう歯車が動き始めていた。
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