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超越者について

第27章


第一章 超越者という言葉


ログアウトの光がほどけたあと、主人公はしばらく動かなかった。


部屋は暗い。

窓の外では、2040年の夜の街が静かに光っている。遠くの高層ビルの壁面広告がゆっくり色を変え、空中歩廊の端を小さな移動灯が流れていく。

現実の夜だ。


それなのに、頭の中ではまだ古代ダンジョンの壁画室が消えていなかった。


王。

賢者。

グネイファドラス。

そして、あの一文。


超越者が来ることを信じていた王。

だが、彼の治世では超越者は現れなかった。


主人公はベッドの端へ腰を下ろし、額を軽く押さえた。


「……超越者」


口に出すと、その語だけが妙に浮いた。


古代の壁画に残るほどの言葉。

しかも、ただの伝説的な称号ではない。

待たれていた存在。

来るかもしれない者。

世界の外から、あるいは別の層から現れるかもしれない誰か。


そのとき、部屋の空間投影層に淡い光が立ち上がった。


銀色の髪。

やわらかな瞳。

少女型デジタルバディ、ナノカ。


「お疲れさまです」


「……疲れたよ」


主人公は素直に言った。

「古代ダンジョン、情報量が多すぎる」


「ですが、有益でした」

ナノカは静かに応じる。

「グネイファドラスが単なる検索語ではなく、古代文明圏において実在の賢者名、あるいは文字体系の根源名として扱われていたことが確認できました」


「そこも大きい」

主人公は頷く。

「でも、今いちばん気になってるのは別だ」


ナノカが主人公を見る。


「超越者、ですか」


主人公は少しだけ目を細めた。


「わかってるなら早いな」


「視線停留時間と心拍変動から、壁画室でその語へ最も強く反応していました」


「サイコスキャンって便利だな……」


ぼやくように言ってから、主人公は少し真面目な顔になる。


「ナノカ」

「超越者って、超越因子を持ってる者のことじゃないのか?」


アストラ。

テトラ。

あの二人は少なくとも、普通のプレイヤーでもNPCでもない。

層をまたぎ、現実へ干渉し、常識の枠から少しずつはみ出している。

それを支えている言葉として、超越因子というものがある。


なら、超越者とはその延長ではないのか。


ナノカはすぐには答えなかった。

ほんの一拍だけ間を置いてから、静かに言う。


「いいえ」

「それだけでは、超越者とは呼べません」


主人公は小さく眉をひそめた。


「それだけじゃない?」


「はい」

「超越因子は、世界の境界に触れやすくする性質の一つです」

「しかし、それを持つことと、超越者であることは同一ではありません」


主人公はベッドの端に肘をつき、少し前かがみになる。


「……じゃあ、何が違う」


ナノカの周囲に、薄い補助ウィンドウが一枚だけ開いた。

だが、そこに定義や辞書は出ない。

代わりに、彼女はまっすぐ主人公を見て言った。


「超越者と神は、まず区別する必要があるでしょう」


主人公は少しだけ顔を上げた。


「神?」

「そっちの話になるのか」


「なります」

ナノカは言う。

「しばしば混同されますが、本来は異なります」


主人公は黙って先を促した。


ナノカは静かな声で続ける。


「神とは、全知全能の存在として語られるものです」

「あるいは、世界の根本原理そのもの」

「宇宙を支える法則、創造の起点、絶対的な意味の中心として置かれることもあります」


「……原理でもある、か」


「はい」

「しかし、超越者はそうではありません」


ナノカの声は変わらず穏やかだった。

だがその穏やかさのぶんだけ、言葉が奇妙に重い。


「超越者とは、世界内の論理だけでは説明しきれない存在です」

「世界の外から世界へ干渉できる存在」

「あるいは、世界の枠組みそのものを一段外側から見られる存在」

「それが超越者に近い定義です」


主人公はしばらく黙った。


世界の外。

その言葉だけが、妙に引っかかった。


自分がいる。

部屋がある。

街がある。

現実世界がある。

そして、ワールドストーリーという仮想世界もある。


現実と仮想。

少なくとも今の自分は、その両方を知っている。

テトラは現実へ来られる。

アストラは裂け目を開ける。

それでも、それだけでは足りないというのか。


主人公は低く呟いた。


「……仮想世界と現実世界を行き来できるだけじゃ、超越者じゃないのか」


ナノカは少しだけ首を傾ける。


「“境界通過者”ではあります」

「ですが、まだ“層内移動”の範囲です」


「層内移動」


「はい」

「現実世界とワールドストーリーは、主人公の認識上では大きく隔たって見えます」

「しかし、より大きな見取り図から見れば、なお同一系の中にある可能性があります」


主人公はそこで、ふと息を止めた。


「……もっと外ってことか」


「そうとも言えます」


その言葉で、頭の奥にひとつの存在が浮かんだ。


作者。


あの得体の知れない存在。

ワールドストーリーの外にいるようでいて、それでいてこちらを見ているような人物。

そして、自分は忘れていない。


あと4回。


あのボタンのことを。


主人公は少しだけ顔を上げた。


「ナノカ」


「はい」


「もし、この世界を創った存在がいるとして」

「現実も、仮想世界も、ひっくるめて」

「たとえば本の作者みたいに、その人が外から全部を書いてるような立場だったら」


そこで主人公は言葉を切った。

少しだけ喉が乾く。


「……その人は、超越者ってことになるのか?」


ナノカは静かに答えた。


「概ね、その通りでしょう」


主人公の指先が少しだけ動く。


ナノカは続ける。


「その存在は、単なる強者でも、単なる異能者でもありません」

「世界内の常識を超えた存在であり、同時に、この宇宙の生成原理そのものにも当てはまらない」

「そうした意味で、超越者に近いと考えられます」


主人公は窓の向こうを見た。


この世界には宇宙がある。

銀河があり、星がある。

理論上、多宇宙も語られている。

泡宇宙論。

サイクリック宇宙論。

分岐宇宙。

ニュースや教養番組など見たことがある


「……この世界って、宇宙があって、多宇宙もあるんだよな」


ナノカが少しだけ目を伏せる。


「検証不可能ですけどね」


その言い方が少しだけ可笑しくて、主人公はかすかに笑った。


「いいんだよ」

「俺は物理学者じゃなくてゲーマーなんだから」


ナノカは黙って聞いている。


主人公はそのまま続けた。


「ゲーマーにとってはさ、宇宙系のゲームも、たくさんの宇宙を渡るゲームも、普通にある」

「ゲームだと舞台のことをワールドって呼んだりするし」

「そういうのをたくさん並べれば、もうそれだけで多世界みたいなもんだろ」


少し自嘲気味だった。

だが本音でもあった。


理論ではなく感覚としてなら、自分は昔から“複数世界”に触れていた。

ゲームを通して。

物語を通して。

プレイヤーとして。


そのとき、ナノカが言った。


「そこまでは辿り着いているのですね」


主人公は視線を戻す。


「……何だよその言い方」


「失踪した、とある研究者は」

ナノカは静かに言った。

「もっと広い世界像を持っていたそうですよ」


主人公の胸が小さく鳴る。


失踪した研究者。

それが誰を指すかを、ナノカはあえて言わない。

けれど言わなくても分かる。


主人公は返事をしなかった。

ナノカも無理には続けなかった。


やがて彼女は、少しだけ声の調子を変えて言う。


「ですが、今は外側ばかりを見ないでください」

「今度は自分のことを考えてください」


「自分のこと?」


「はい」

「宇宙から見れば些細なことです」

「しかし、あなたにとってはそうではありません」


主人公は少しだけ目を閉じた。


自分がある。

自分の内部がある。

外部がある。


そこで、不意に思い出した。

あのとき自分が描いた三つの円のことを。


現実。

仮想現実。

作者層。


それだけじゃない。

もっと手前に、自分の内部と外部を分ける境界もある。

自分の中。

自分の外。

世界。

そして、世界のさらに外。


円は増えていく。

重なっていく。

どこまで行っても、内側と外側が続いている。


主人公は目を開いて、静かに言った。


「……超越者って」

「さらに自分を超越した存在、ってことなのか」


ナノカがすぐに応じる。


「それも超越者の性質の一つです」


主人公は小さく息をのんだ。


自分を超える。

世界を超える。

層を超える。

書かれたものの外にいる。


なら。


「……作者って」

「いったい、どうやって……?」


その先は言葉にならなかった。


もし本当に“作者”がいるなら。

もし本当に、この世界の外からこちらへ触れているなら。

どうやって?

どの層から?

何のために?

あと4回という制限は何なのか?

なぜ自分にだけ見えているのか?


疑問が一気に押し寄せた。


アストラ。

父。

グネイファドラス。

超越者。

作者。

手紙。

ワールドストーリー。

現実。

その外。


頭の中に円がいくつも重なり、境界線が増え、外側がさらに外側を呼び込んでいく。

思考が広がる。

広がりすぎる。

追いつかない。


「……っ」


主人公は額に手を当てた。


ナノカが何か言った気がした。

「休息を推奨します」とか、「認知負荷が上がっています」とか、そういうことだったかもしれない。

でももう、その声も少し遠かった。


ベッドの端に座ったまま、主人公の視界はゆっくりと曖昧になっていく。


父の顔。

古代の壁画。

アストラの目。

テトラの光。

作者の気配。

三つの円。

その外側。


思考の輪が、眠気の中で少しずつ溶けた。


そして。


頭がいっぱいになったまま、主人公はいつの間にか眠っていた。

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仮想世界だと思っていた場所が、少しずつ別の顔を見せ始めます。 続きもよろしくお願いします。
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