古代の壁画と秘密
第26章
第一章 古代ダンジョンの口を開ける
「……古代のダンジョン?」
タクトがそう言ったとき、主人公はもう半分その気になっていた。
ナノカが拾い上げた履歴断片。
アストラ。
グネイファドラス。
父との接触記録。
そして、“見えない側の語根”という不穏な表現。
ただの検索では届かない。
ただの開発記録でもない。
なら、今ある手掛かりはひとつしかなかった。
「言葉の出どころを追う」
主人公ははっきり言った。
「グネイファドラスって語が、ただの検索ワードじゃないなら、どこかに根がある」
テトラが静かに頷く。
「あります」
「ワールドストーリーの初期生成時、翻訳不能語が大量に生まれた区画群がいくつかあって、そのうち今はほとんど閉じてる古いダンジョンがあります」
「運営も、たぶん全部は整理しきれていないはずです」
「整理しきれてないダンジョンに行くのか」
タクトが嫌そうに言う。
「字面からして怖いんだけど」
「でも、そこにしかない可能性が高いです」
テトラの声は珍しく迷いがなかった。
「グネイファドラスが“言語”というより、もっと古い記録形式なら、生成初期の層に痕跡が残っているはずです」
主人公は息を吐いた。
「行くしかないな」
そうして三人が向かったのは、ワールドストーリーでもほとんど話題に上がらない古代ダンジョンだった。
名称は、深古遺府グネイ=ラクト。
入口は、普通の転送門みたいには見えなかった。
地形の一部に埋もれた半壊の円環遺構。
石とも金属ともつかない灰白色の材質でできていて、表面には見たことのない文様が何重にも刻まれている。
近づいた瞬間、それまで沈黙していた円環の内側へ薄い文字列が流れた。
翻訳不可
旧生成語群を検出
接続認証、部分通過を許可
タクトが顔をしかめる。
「今の時点でもう嫌なんだけど」
「でも通れます」
テトラが少し低い声で言った。
「主人公の芳洲、それから手紙の裏面反応、その二つに共鳴してます」
主人公は胸元を押さえた。
手紙は今も静かだった。けれど、あの裏面の沈黙が、ここでは沈黙のままでいない気配がある。
「入るぞ」
円環の内側へ足を踏み入れた瞬間、視界が暗転した。
⸻
第二章 上層、語獣の巣
着地した先は、まるで地下神殿と図書館と墓所を無理やり重ねたような場所だった。
天井は高い。
だが、高いというより深い。
暗い空洞の奥へ、逆さまの柱のようなものが何本も伸びている。
床は石造りに見えるのに、歩くたびに薄く光が走る。古い遺跡のはずなのに、どこかだけ今も動いている。
壁一面には文字があった。
ただし、一種類ではない。
上層に刻まれているのは、古代王朝語に近い、かろうじて翻訳補助が効く文字列。
その下、その影、その継ぎ目に、もう一層別の文字が絡みついていた。
そちらは意味のある単語として読めない。
線の束。
折れ。
うねり。
花弁みたいな広がり。
見ているだけで、文字というより心象の骨格を見せられている感じがした。
「……二層になってる」
主人公が呟く。
「はい」
テトラも壁に触れず、少し離れたまま見上げている。
「上は後代の記録です。下はもっと古い」
「たぶんこれが、グネイファドラス自己生成言語の系統です」
「自己生成言語?」
タクトが聞く。
「書いた人間が一文字ずつ決めたんじゃなくて」
主人公が壁を見ながら答える。
「文字体系の内側で、意味の枝分かれごと生成されてるタイプだ」
「ワールドストーリーが初期生成時に、自動で生んだ翻訳不能語群に近い」
「要するに?」
「人間向けじゃない言葉だ」
そのとき、通路の奥で乾いた音が鳴った。
しゃり、しゃり、と。
刃のこすれるような音。
薄暗い回廊の向こうから現れたのは、見たことのない種だった。
四脚。
だが獣というには、体の構造が文字に寄りすぎている。
背中には薄い板状の突起が幾重にも並び、その一枚一枚に違う紋様が刻まれている。頭部は細長く、目にあたる部分はなく、かわりに額の中央で淡い線が明滅していた。
敵名が表示される。
ズェルクナファル
主人公が思わず読む。
「……何だその名前」
テトラはすぐに説明した。
「語獣です」
「グネイファドラス系の自己生成言語から生まれた守護種」
「生き物というより、“分類された意味”が獣の形を取った存在です」
「分類された意味?」
タクトが眉をひそめる。
「たとえば、戦いとか、侵入とか、拒絶とか」
主人公は敵の背を見ながら言う。
「そういう事象カテゴリを、文字体系そのものが生態化した感じだ」
ズェルクナファルの後ろから、もう二体現れた。
一体は浮遊型だった。
仮面のような平たい核の周囲に、細い輪がいくつも回転し、そこから糸みたいな文字片が垂れている。
敵名表示。
ミェグラトーム
「こっちは?」
タクトが問う。
「記録喰いの補助種です」
テトラが低く答える。
「意味を削って、読み取りを乱してくるはずです」
「嫌な能力しかないな」
主人公は剣を抜いた。
ここは普通の遺跡じゃない。
古代文明の残骸というより、言語そのものがまだ半分生きている層だった。
上層の戦闘は、予想以上に厄介だった。
ズェルクナファルはただ突っ込んでくるだけではない。
背中の文字板を震わせるたびに、周囲の通路へ意味のノイズが走る。方向感覚が少しだけ鈍り、敵の位置が半拍遅れて認識される。
ミェグラトームはさらに厄介で、視界の端へ浮かびながら、こちらの補助表示そのものへ薄いジャミングをかけてきた。
「また視界系か!」
タクトが声を上げる。
「古いダンジョンほど、物理より認識を削ってきます!」
テトラが即答する。
だが、今の三人はもう、昔の三人ではなかった。
タクトはヒーラー補助で視覚と認知の補正をかけ、意味ノイズを無理やり安定させる。
テトラは逆位相の魔法で文字振動を乱し、敵の自己生成リズムを崩す。
そして主人公は、そのわずかな隙へ踏み込む。
一体。
二体。
三体。
語獣たちは光の破片ではなく、文字の崩壊みたいにほどけて消えた。
最後に残ったのは、床へ落ちた小さな文字核だけだった。
タクトが息をつく。
「……古代文明、嫌な趣味してるな」
「でも、たぶんまだ入口です」
テトラはそう言って、奥へ視線を向けた。
そこには下へ続く階段があった。
黒く、深く、途中から見えなくなっている。
主人公はそこを見て、嫌な予感と同時に妙な確信を覚えた。
「二層目だな」
⸻
第三章 唐突な浮遊砲台
第二層へ入った瞬間だった。
主人公たちが着地するより早く、空間の奥で低い駆動音が鳴った。
「……え?」
タクトが言った、その次の瞬間には、もう戦闘が始まっていた。
広い円形の空間。
中央に巨大な機影が浮いている。
足はない。
代わりに下半身の周囲に、ゆるやかな反重力輪が幾重にも回転していた。
人型に近いシルエットだが、肩幅は異様に広く、胴体は古代機械じみた装甲に覆われている。
右腕は完全に砲台化していた。
太い円筒が三重に重なり、その内側で青白い光が脈打っている。
左腕は逆に、細すぎるほど細長い。骨のように見える歪なフレームの先端が、槍とも指ともつかない形に分岐していた。
敵名表示が浮かぶ。
浮機守将ヴァル=グラディオ
「いきなりボス戦!?」とタクト。
「聞いてないぞ!」
主人公も思わず叫んだ。
だがボスは待ってくれなかった。
右腕砲台が開く。
内部で青白い液相が回転する。
次の瞬間、砲口から一直線に冷たい光が走った。
「伏せて!」
主人公が叫ぶより先に、タクトの横を何かが掠めた。
直後、背後の石柱が凍りつき、表面が白く弾ける。
タクトの顔色が変わる。
「何だあれ!?」
主人公は砲口を睨む。
「……超流動氷結弾」
「は!?」
「普通なら空中で霧散するはずだ」
主人公の声が低くなる。
「維持できるわけがない。熱と乱流で崩れる」
「なのに形を保って飛んだ」
テトラが、ボスの周囲に走る魔力線を見て叫ぶ。
「待って!」
「あのボス、自分に冷却維持魔法をかけてます!」
「砲身から弾まで、冷却相を無理やり固定してる!」
「解除できるか!?」とタクト。
「無魔法なら!」
テトラの足元に暗い透明の魔法陣が開いた。
派手な光ではない。むしろそこだけ、光が抜けるような静かな陣だった。
「無相剥離!」
伸びた無の線が、ヴァル=グラディオの右腕砲台へ絡みつく。
魔力の編み目が一つ、二つと断ち切られた。
次の氷結弾が発射される。
だが今度は違った。
砲口を離れて数メートルも行かないうちに、弾は形を崩し、白い霧になって空中へほどけた。
「効いた!」
主人公が前へ出る。
そのときだった。
ヴァル=グラディオの動きが、一瞬だけ乱れた。
明らかに“想定外”を踏んだ挙動だった。砲台の角度がぶれ、反重力輪の回転数が細かく上下する。
「……慌てた?」
タクトが思わず呟く。
主人公は目を細める。
「変なAI積んでるな、こいつ」
言った直後、ヴァル=グラディオは右腕を下げた。
そして今度は、あの異様に細い左腕を持ち上げる。
先端が開く。
赤熱光。
次の瞬間、左腕から扇状の火炎流が噴き出した。
「うわ、今度はそっちか!?」とタクト。
「切り替えが速い!」主人公も叫ぶ。
「冷却維持が剥がれたら、熱で押し切るつもりだ!」
ボスは砲台だけの鈍重機ではなかった。
相手の対策に応じて武装を切り替える、半自律戦闘体だった。
だが三人も、ここで崩れはしなかった。
タクトはすぐに後衛位置を変え、火炎流の軌道から外れつつ補助を再構成する。
テトラは水と無を重ね、熱線の流れを削ぐ。
主人公は《二重回避》で火炎の縁を抜け、ボスの懐へ飛び込む。
反重力輪の下。
そこが弱い。
一撃。
二撃。
テトラの魔法が支点を乱し、タクトの補助が主人公の視界を研ぎ澄ます。
最後に、主人公の龍派生武器が赤金の線を引いた。
浮機守将ヴァル=グラディオは、中央からゆっくり傾く。
反重力輪が砕ける。
右腕砲台が沈黙し、左腕の火炎も細く消えた。
そして、重い音を立てて墜ちた。
「……勝った」
タクトが呟く。
「勝ちました」
テトラも息を吐く。
報酬ウィンドウが開く。
古代機構核。
反重力片。
冷却維持術式断章。
翻訳不能文字核。
だが主人公の視線は、そこにはなかった。
「本命は奥だ」
⸻
第四章 王と賢者の壁画
ボス部屋のさらに奥には、半円形の壁画室があった。
天井はひび割れ、ところどころから細い光が落ちている。
その光の下で、巨大な壁画が静かに眠っていた。
中央には王が描かれていた。
冠を戴き、長い衣をまとい、空へ向かって片手を差し上げている。
その視線の先には、星ではなく、裂け目のような輪が描かれていた。
王の少し後ろ。
側近の位置に、一人の賢者がいた。
細身。
長衣。
片手に細い板、もう片方に文様の束。
顔立ちは簡略化されているのに、その人物だけ不思議なくらい“考えている”姿で残されている。
テトラが壁画の下の文字を読む。
「……古王アル=ヴェシア」
「そして、その側近たる賢者……グネイファドラス」
主人公の喉が鳴る。
「人の名前……なのか」
「少なくとも、ここではそうです」
テトラは壁へ近づき、下層の文字を指先でなぞるように見た。
「でも同時に、名前がそのまま文字体系になった可能性もあります」
タクトが壁の別の記述を見る。
「こっちは古王朝語に近いな」
「断片なら読める」
三人で少しずつ繋いでいく。
そこに書かれていたのは、こんな内容だった。
グネイファドラスは、ただ文字を作ったのではない。
彼はまず、事象を分類した。
落下、結合、崩壊、反射、侵食、循環。
次に、心を分類した。
恐れ、希求、祈り、執着、歓喜、喪失。
そして、心象の骨格から文字を作った。
文字は音を写すためのものではなく、
心と事象の接続を固定するためのものだった。
主人公は、壁画の一節を低く読み上げる。
「“心象より字を起こし、字より事象を縛り、事象より世界を記す”……」
「……重いな」
タクトが呟く。
テトラは別の一段を読んだ。
「古王は超越者が来ると信じた」
「王は天より来たる者、あるいは層を越えて現れる者を待った」
「だが、彼の治世に超越者は現れなかった」
そこには、希望と諦念の両方があった。
待ち続けた王。
文字を生み出した賢者。
しかし、超越者は来なかった。
主人公は壁画の賢者を見つめた。
「……じゃあ、グネイファドラスって」
「人名であり、文字体系であり、たぶんもっと大きなものです」
テトラが静かに答える。
「この賢者が、自分の名を文字へ溶かしたのかもしれない」
「あるいは、後世がその体系そのものを彼の名で呼ぶようになったのかも」
タクトが最後に、一番下の小さな刻文を見つけた。
そこには、ほとんど削れかけた文字で、こうあった。
超越者は来ず。
されど、来ぬがゆえに、我らは記す。
いつか心の向こうより来る者のために。
主人公は、そこでしばらく動けなかった。
心の向こうより来る者。
それは異世界から来る者か。
層を越える者か。
未来から来る者か。
あるいは――父の手紙を持ってここへ来た、自分たちのことなのか。
壁画室は静かだった。
さっきまでの砲撃も火炎も嘘みたいに、ただ古い時間だけがそこに残っている。
主人公は胸元の手紙へ触れた。
何かが、また少しだけ繋がった気がした。
アストラ。
グネイファドラス。
父。
手紙。
超越者。
古王。
まだ全部は見えていない。
だが、謎は謎のままではなくなってきていた。
ただ増えているのではない。
もっと古いところで、ちゃんと根がつながり始めている。
主人公はゆっくりと壁画から目を離した。
「……これ、持ち帰るべき情報だな」
タクトがうなずく。
「かなり危ないやつだな」
テトラも静かに言う。
「はい」
「そして、たぶんここはまだ入口です」
その言葉に、主人公は少しだけ目を細めた。
入口。
たしかにそうだろう。
グネイファドラスは、ようやく言葉になり始めただけだ。
本当に開くべきものは、まだその先にある。




