お父さんの手掛かり
第一章 追跡の夜
2040年1月。
年が明けてから、世界はどこか浮き足立っていた。
街の上空では広告ドローンが光の帯を引き、道路脇のホログラム看板には新年仕様の祝祭エフェクトがまだ残っている。商業区の高層ビルには巨大なカウントアップの名残が流れ、空中歩廊を行き交う人の波も、どこか明るい。
それなのに今、主人公の視界はまるで祝祭とは逆の色で満たされていた。
ルームミラーの奥で、赤と青の閃光が何本も伸びている。
「……なんでだよ」
思わず漏れた声は、エンジン音に半分かき消された。
助手席のタクトが振り返る。
後方の車列を見た瞬間、その顔が引きつった。
「警察!?」
「見ればわかる!」
「いや、わかるけど、なんで追われてるんだよ!?」
それは主人公も聞きたかった。
都心外縁を走る多層高速道路の一角。
主人公たちのスーパーカーは、青白いネオンの筋に縁取られた夜のレーンを切り裂くように走っていた。ボディは低く、黒曜石みたいな光沢を持ち、フロント下部では薄い金色のラインが呼吸するように明滅している。
そして、その心臓部には。
「タキオン凝縮型エンジン、ほんとに積んでたのかよ……!」
タクトの声は、呆れと恐怖と、ほんの少しの興奮が混ざっていた。
主人公はハンドルを握ったまま短く答える。
「積んでる」
「いや、なんでそんなもん持ってるんだ!?」
「ある日プレゼントで一景ユニットもらって」
「は?」
「念のため買った」
「その説明で納得できる人類がいると思うなよ!」
後部座席でシートベルトをきつく握っていたテトラが、妙に真面目な顔で言った。
「一景ユニットをもらったから念のためタキオン凝縮型エンジン搭載車を買う、という発想がすでにおかしいです」
「お前まで冷静に突っ込むな!」
主人公は前方のカーブへ車体を滑り込ませた。
低い重心が路面を噛み、タイヤの悲鳴の代わりに、車体底部のフィールド制御層が細く唸る。
タキオン凝縮型エンジン。
それは人工的に不安定真空を生成し、その凝縮遷移で解放される真空エネルギー差を、推進力、発電、時空制御へ変換する機関だった。
不安定な真空から、より安定した真空へ落ち込む。
その落差を、力にする。
もちろん一般人が日常で使うような代物ではない。
普通は研究機関か軍事系の閉鎖設備でしか名前も出てこないような機関だ。
なのに今、それが高速道路の上で唸っている。
「でも、警察のほうもおかしいです!」
テトラが後方を見て叫ぶ。
主人公は舌打ちした。
たしかにおかしかった。
後方から追ってくる警察車両は、ただのパトカーではない。白黒の塗装に法執行局のエンブレムを載せたそれは、車輪で路面を走っているというより、周囲の空間ごと押し広げながら迫ってきていた。
「……アルクビエレドライブかよ」
タクトが息を呑む。
主人公は歯を食いしばる。
アルクビエレドライブ。
時空の前方を収縮させ、後方を膨張させることで、自分自身は局所的に静止したまま、空間の泡ごと移動する超光速理論由来の推進方式。
要するに、車そのものが速いというより、車の前の空間を縮め、後ろの空間を伸ばして進む。
本体は局所慣性系の中にいて、外側の時空が動く。
「いや待て」とタクトが言った。
「アルクビエレドライブって、ブレーキどうするんだよ」
「知らない!」
「いや知っとけよ!」
「こっちもいま気づいてる!」
それがまさに問題だった。
理論上、アルクビエレ型の移動は前方の情報を直接取り込みにくい。しかも一度ワープバブル的な状態へ入ると、通常の意味での「減速」や「停止」は厄介になるはずだ。
なのに。
「追いついてきてるぞ!」
タクトが叫ぶ。
「なんでブレーキ効くんだよ!?」
主人公は本気でそう思った。
背後の警察車両は、速度を殺さず、しかも曲線レーンで的確に進路を調整してくる。荒っぽく突っ込んでくるのではなく、こちらを逃がさない距離を正確に保っている。
まるで、理論のほうが現場に頭を下げたみたいだった。
主人公はアクセルを踏み込んだ。
タキオン凝縮層が一段深く反応し、車体の周囲で空気が薄く震える。視界の端で、道路脇のイルミネーションが線になって流れた。
だが次の瞬間、前方上空に一台の警察車両が滑り込む。
「前!?」
主人公は反射的にハンドルを切った。
車体が急角度でレーンを跨ぎ、側壁すれすれを走る。フィールド制御が悲鳴を上げ、ダッシュボードにいくつかの警告が走った。
出力安定率 低下
局所真空差 圧縮限界接近
制御層再調整 推奨
「だめです!」とテトラ。
「挟まれます!」
左右後方、そして前方。
四台。
警察車両が、まるで網を閉じるみたいに主人公たちのスーパーカーを包み込んでいく。
主人公は一瞬だけ奥歯を噛んだ。
逃げ切れない。
それが直感ではなく、計算としてわかった。
「……くそっ」
速度を落とす。
タキオン凝縮層が静まり、車体全体の震えが鈍くなる。前方の警察車両がそれに合わせて減速し、左右後方の三台もぴたりと位置を保った。
「ほんとに止まれた……」とタクトが呟く。
「なんでだよ」
主人公も同意だった。
何でブレーキが効くんだよ。
その疑問だけが、変に頭の中へ残ったまま、車は高架下の検問スペースめいた場所へ誘導された。
祝祭の街の光が、そこだけ少し遠かった。
第二章 事情聴取
車を降ろされたとき、主人公はようやく相手の顔を見た。
先頭車両から降りてきたのは、女警官だった。
背は高めで、姿勢が異様にまっすぐだった。冬仕様の法執行局コートの下に覗く制服は隙がなく、長い髪は後ろでまとめられている。顔立ちは驚くほど整っていた。
しかも、口紅をつけていた。
主人公は一瞬だけ思う。
公務員だぞ。
そんなことを考えてしまった自分に、今この状況で何を見てるんだと少しだけ呆れた。
女警官は無駄のない足取りで近づいてきて、主人公たち三人を順番に見た。
その視線は冷たいというより、妙に精密だった。
「法執行局特務監察課です」
声まで整っていた。
澄んでいるのに、押し返しづらい。
「事情聴取にご協力いただきます」
「はあ?」と主人公が言う。
「なんで警察に追われて事情聴取なんだよ。しかもこんな大げさに」
タクトも珍しく険しい顔をしていた。
「こっちは何もしてません」
女警官は表情を変えなかった。
「ワールドストーリーについて、お話を伺いたいのです」
その一言で、主人公の背筋が冷えた。
横でタクトが小さく息を呑む。
テトラも、言葉を失ったように静かになっていた。
女警官は続ける。
「そして、アストラについても」
主人公はすぐに言い返した。
「俺たちは関係ないだろ!」
今度は少しだけ、女警官の目が細くなった。
「関係がないかどうかは、こちらが判断します」
彼女が手元のホログラフィック端末を開く。
薄い青の記録層が幾枚も空中へ展開した。
「あなた方のホログラフィックデバイスに履歴が残っていました」
主人公の心臓が、一拍だけ嫌な打ち方をした。
履歴。
あのときだ。
タクトと話す前、サイコスキャンを切ろうとしたとき。
たしかに操作を迷った。切替画面は似たようなボタンが並んでいて、焦っていた。
あの瞬間、違うボタンを押したのかもしれない。
「……そうか」
思わず漏れた声に、女警官は視線だけで反応した。
「何か思い当たることが?」
主人公は舌打ちしたい気分を押し込めた。
「サイコスキャンを切ったときだ」
女警官は端末を一度閉じ、まっすぐ主人公を見る。
「アストラについて何か知っているのでしょう」
「ワールドストーリーへ干渉し、アストラがあなたの父親を事故死させたのではないか」
「そうした疑念を、あなたは持っている」
主人公の喉が強く締まる。
「……っ」
タクトが一歩前へ出た。
「ちょっと待ってください。憶測でそこまで言うんですか」
「憶測だけでは動きません」
女警官は静かに答えた。
「だからこそ、今こうして確認しているのです」
その言葉に嘘はなさそうだった。
だが、だからといって納得できるわけでもない。
「何か手掛かりがあるなら、すべて差し出しなさい」
女警官の声が少しだけ強くなる。
「こっちは本気なのよ」
その響きだけ、急に人間くさかった。
「こちらはサイコスキャンであなたたちの心理状態を把握しています。嘘をついたら、すぐにわかる」
主人公は思わず睨み返した。
「教えることなんてない!」
それは半分本当で、半分は違った。
言えることがないわけじゃない。
ただ、言いたくないことがある。
テトラのこと。
父の遺書のこと。
あの世界のこと。
父の影のこと。
言いたくない。
言いたくない。
それが頭の中で、妙に幼い言葉のまま響いた。
女警官はその沈黙を見た。
そして不思議なことに、急に声の硬さを緩めた。
「安心しなさい」
「そこまで乱暴なことはしません」
主人公は眉をひそめる。
「……は?」
「人の大切な心に無断で触れるのは、犯罪行為だとされた事例もあります」
その言い方は、まるで法文をなぞる寸前で止めたみたいだった。
女警官は少しだけ目線を落とし、考えるように続ける。
「私の憶測ですが、あなたの父親はその遺書にホログラフィック刻印を施し、量子暗号化している可能性があります」
主人公は、一瞬呼吸を忘れた。
「……何」
「普通の文章としては読めても、本来の情報は別層に埋め込まれている可能性がある、ということです」
「2040年現在、それは理論上ありえます」
タクトが横から言う。
「ホログラフィック刻印って、あの……情報全体を干渉縞みたいに埋め込むやつか?」
「ええ」と女警官。
「記録媒体の一部ではなく、全体に情報を散らして持たせる方式です。さらに量子暗号化が併用されていれば、正しい読み取り条件が揃わない限り、意味のある層は開きません」
主人公は思わず黙り込む。
父の遺書。
あの手紙。
ただの手紙じゃないかもしれない。
その可能性は、妙に嫌なほど説得力があった。
女警官は主人公の表情の変化を見て、小さく息を吐いた。
「手荒な真似をして悪かったわ」
「私には遵法精神がありますが」
一拍置いて、彼女は主人公を真っ直ぐ見た。
「あなたのは、遊びの精神なのですね」
主人公は目を瞬く。
何だそれ、と思った。
だが、なぜか妙に否定しづらかった。
ワールドストーリーを追い、父の影を追い、テトラとタクトとダンジョンへ潜ってきた自分たちは、たしかにどこかで「遊び」の形をしている。
本気なのに、遊びでもある。
遊びなのに、本気でもある。
女警官は続ける。
「私もあなたの精神を尊重します」
その言葉は、取り調べの場にしてはやけに静かだった。
「逮捕するわけではありません」
「特段の定めがある時は除く、とされています。あなたを逮捕する理由はありません。失礼致しました」
主人公は思わず思った。
なんでそんなに丁寧なんだ。
口に出してしまう。
「……それも法律に書いてあるのか?」
女警官は、ほんの少しだけ口元をやわらげた。
「いいえ。法律には書いてありません」
「私の冷静な精神の賜物です」
その瞬間だった。
主人公は気づいた。
彼女の腰元にある端末表示。
そこに、サイコスキャンの稼働光がない。
切っている。
さっきまで散々こちらの心理状態を読むと言っていた本人が、いまは自分のサイコスキャンを切っていた。
主人公がそれに気づいたのを、女警官も気づいたらしかった。
だが何も言わない。
ただ一度だけ、わずかに視線を逸らしてから戻した。
「捜査協力、ありがとうございました」
それで事情聴取は終わった。
第三章 刻まれた手紙
帰り道、主人公はほとんど喋らなかった。
タクトも珍しく黙っていた。
テトラだけが何度か何かを言いかけて、結局やめていた。
2040年の街はまだ明るい。
祝祭の残光は相変わらず宙に浮かび、人々は新しい年を生きている。
けれど主人公には、その風景が少し違って見えた。
警察に追われたことよりも。
アルクビエレドライブのブレーキが謎だったことよりも。
女警官の口紅よりも。
頭の中にはひとつの言葉だけが、しつこく残っていた。
ホログラフィック刻印。
手紙に、されている可能性がある。
父の遺書。
あれは本当に、ただの遺書だったのか。
父は何かを知っていて、何かを残したのか。
事故死だと思っていたものは、本当に事故だったのか。
アストラ。
ワールドストーリー。
父。
ばらばらだったはずの点が、どこかで同じ暗い水面の下につながっている気がした。
主人公は小さく息を吐く。
「……お父さんのこと、何かわかるかもしれない」
誰に言うでもなく漏れたその言葉に、タクトが横で静かに反応した。
「なら、調べよう」
短い言葉だった。
でも十分だった。
テトラも小さくうなずく。
主人公は夜の窓の向こうを見る。
街の光が流れていく。
そのどこにも答えは書いていない。
けれど、手紙の中にはあるかもしれない。
刻まれて、隠されて、まだ開かれていない何かが。




