トリオパーティの真価
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第20章
奔る双壁、裂ける光
右の通路へ入った瞬間、主人公は背筋の奥が少しだけ冷えるのを感じた。
左側の区画より静かだった。
だが、それは安全という意味ではない。
むしろ音が少ないぶんだけ、何かがこちらを見ている気配が濃かった。
双壁回廊ラグナ=ヴェイルの右側通路は、左よりさらに細かった。
二本の細長い通路は相変わらず平行して走っているが、そのあいだの裂け目は深く、暗い。ところどころに浮いていた接続板も減り、代わりに壁際の足場と、半透明の特殊壁が増えていた。
前へ進むだけでなく、盤面を読めと言ってくる地形だった。
テトラが低く言う。
「この先、変則種が出ます」
「また新顔か」と主人公。
「はい。ヴェイルハウンドより面倒です」
タクトはヒーラー用の補助ウィンドウを展開しながら、少しだけ真顔になった。
「慣れたころに嫌なものを出してくるんだな」
「中級ダンジョンって、だいたいそうです」
テトラの言葉が終わると同時に、前方の通路の空気が歪んだ。
最初は薄い残像みたいだった。
そこに何かが“いる”という輪郭だけが、先に滲み出てくる。
次第に、その輪郭へ甲殻のような線が通り、細長い脚が生え、花弁と刃を混ぜたような頭部が形を結んでいく。
現れたのは三体。
胴は獣に近い。
だが四脚の関節は途中で不自然に折れ、背中には葉のような刃片が何枚も重なっていた。
頭部中央には発光核があり、そこから細い筋が全身へ走っている。
歩くたびに、背中の刃葉が擦れて、しゃり、しゃり、と乾いた音を鳴らした。
敵名表示が浮かぶ。
フェルザグニア
タクトが読み上げる。
「フェルザグニア……」
「グネイファドラス系の変則魔獣です」とテトラが説明する。
「正面から殴るだけだと崩せません。止めるか、乱すかしないと厄介です」
フェルザグニアは真正面から突っ込んではこなかった。
一体が中央。
残り二体が、左右の通路へ分かれて位置を取る。
しかも背中の刃葉が揺れるたびに、こちらのUIへ微細なノイズが走った。
タクトが眉をひそめる。
「視界補正がぶれる……」
「ジャミングです!」とテトラ。
「感覚系の補助を削ってきます!」
主人公は剣を握り直した。
龍派生武器の刃の縁で、龍の影がうっすらと絡んでいる。
だがまだ、育ちきってはいない。
中央のフェルザグニアが跳んだ。
主人公は《二重回避》で一段目を切り、軌道をずらす。
二段目はまだ使わない。
まずは攻撃だ。
通常攻撃二連。
三連。
金ゲージ上昇。
ドラゴンゲージ上昇。
だが斬り込んだ感触は浅かった。
表面の殻は裂けても、中心の発光核まで届いていない。
「硬いな」
「だから補助が必要なんです!」
テトラが前へ一歩出た。
彼女の足元に魔法陣が幾重にも展開する。
地、水、風、草、光。
属性の色が次々に入れ替わり、指先へ集まっていった。
「縛ります!」
次の瞬間、通路の床から無数の草蔓が噴き上がった。
ただの植物ではない。
光を帯びた蔓が生き物みたいにうねり、フェルザグニアの脚へ絡みつく。
一体の動きが完全に止まり、もう一体も片脚を取られて体勢を崩した。
タクトが思わず声を上げる。
「すご……」
「まだです!」
テトラは続けざまに別の魔法陣を開く。
今度は空気が震えた。
目には見えないノイズが、フェルザグニアの頭部まわりへまとわりつく。
しゃり、しゃり、と鳴っていた刃葉のリズムが一気に乱れた。
「感覚撹乱の逆位相ジャミング!」
「相手の補正だけを少し崩します!」
主人公は口元を上げる。
「そういうのを待ってた!」
補助が通った瞬間、フェルザグニアの動きが鈍る。
主人公はそこへ踏み込んだ。
通常攻撃。
通常攻撃。
通常攻撃。
金ゲージが目に見えて伸びる。
ドラゴンゲージも追う。
一人のDPSでは届かなかった圧が、テトラの補助ひとつで一気に通り始める。
盤面が開く。
それがわかった。
「いける!」
だが、その瞬間だった。
右通路の死角にいた一体が、主人公の右側へ低く滑り込んだ。
主人公が気づいた時には遅い。
フェルザグニアの前脚が、刃葉を伴って斜め上へ振り抜かれる。
がつん、と鈍い衝撃が右肩へ入った。
仮想痛覚補正のせいで、現実の激痛ほどではない。
だが軽いとも言えない。
肩の中で何かがずれて、上腕の軌道が一瞬だけ狂う。
右手に持った龍派生の剣が、振り抜きの途中でほんのわずかに外へぶれた。
「っ……!」
主人公は踏みとどまったが、その一瞬の乱れをタクトは見逃さなかった。
「止まれ!」
「まだ動ける!」
「動けるかどうかの話じゃない!」
タクトの前に損傷モデルが立体展開する。
肩の断面図。
骨、靭帯、関節の模式図。
補助表示が赤く点滅した。
「肩鎖関節が不安定だ!」
主人公が顔をしかめる。
「何だそれ!」
タクトは早口だが、驚くほど明確に言う。
「肩鎖関節は、肩峰と鎖骨をつなぐ関節だ!」
「肩峰は肩のいちばん外側にある骨の出っ張り、鎖骨は胸の上を横に走る骨!」
「そこを支える肩鎖靭帯と、さらに深い位置で鎖骨を下から安定させる鳥口鎖骨靭帯がやられてる!」
主人公は痛みの芯を探るみたいに右肩をわずかに動かし、すぐに理解した。
「だから軌道がぶれてるのか」
「そうだ!」
「肩峰と鎖骨まわりの支持が崩れてる! 右腕の振り出しがズレる!」
テトラが中央の個体を拘束しなおしながら叫ぶ。
「主人公、少し下がって!」
「下がったら押される!」
「でもその肩じゃ火力が落ちます!」
タクトがすぐに補助ヒールを切り替えた。
今度は全体回復ではない。
右肩へ集中する。
関節安定、靭帯補正、局所鎮痛、運動補助。
複数の術式が一気に肩鎖関節へ重なる。
「肩鎖関節は肩の先端の要だ! そこがぐらつくと剣の軌道が狂う!」
「今はそこだけ戻す!」
光が右肩へ集まり、関節のブレが静かに締まる。
主人公は一度だけ剣を振り直した。
ぶれが消えている。
「……戻った」
タクトは短く言う。
「応急処置だ。無茶は続けるな」
主人公は思わず笑った。
「ナイスタクト」
「褒めてる場合か」
「いや、これは褒めるだろ」
主人公は剣を肩へ担ぎ直し、半歩前へ出る。
「さすがは校内トップの医者の卵だ」
タクトは一瞬だけ照れたように目を逸らしたが、すぐに表情を戻した。
「まだ卵だよ」
「医学の知識だって全然足りない」
それでも胸の奥では別の熱が灯っていた。
ヴァーチャルアシストの精度。
補助表示の深さ。
さっき頭の中へ流れ込んだ、色つきの化学式の洪水。
薬理、反応機構、構造式。
美しくて、理解しきれなくて、それでも意味のある光景。
やっぱり医者を目指してよかった。
タクトは心の底で、そう思っていた。
もしこの先、こういう知識で誰かの命を救えるなら。
それが仮想世界を起点にしていても、無意味ではない。
「まだまだだな……」と彼は小さく呟く。
「何か言ったか?」と主人公。
「いや。治療続ける。前見ろ」
その間にも、テトラはほとんど無傷で立ち回っていた。
草の拘束。
逆位相ジャミング。
速度低下。
狙いの散らし。
彼女は一撃もまともにもらっていない。
「お前、無傷かよ」と主人公が言うと、テトラはさらっと返した。
「立ち回りです」
「上級者か」
「ある程度は」
その返しが少し腹立たしく、それ以上に頼もしかった。
補助が入るたび、主人公の攻撃はさらに通る。
一人のDPSでは開かなかった盤面が、テトラの補助とタクトのヒールで一気に広がる。
トリオになった意味が、はっきり見えていた。
やがて最後のフェルザグニアが崩れ、刃葉がほどけ、発光核が砕けた。
だが、休む暇はなかった。
ラグナ=ヴェイル全体が、低く唸るように震えたのだ。
次の瞬間、二本の通路が高速で動き始めた。
平行していた通路が、前後へずれ、滑る。
裂け目の位置が変わる。
浮いていた接続板が入れ替わる。
特殊壁が移動する。
盤面そのものが生き物みたいに組み変わっていく。
「何だこれ!?」とタクト。
「ボス戦です!」とテトラ。
「可動中枢区画! ラグナ=ヴェイルの山場です!」
右の通路に一体。
左の通路に一体。
別々の巨影が、同時に出現した。
右通路のボスは、細長い胴と鎌脚を持つ巨獣だった。
全身を断層色の装甲で覆い、脚の節ごとに赤金の接続光が走っている。
頭部は鋭角で、口の代わりに割れた刃のような顎を持っていた。
その名が表示される。
右通路ボス:ザルグレイファ
左通路に現れたもう一体は、花弁と甲殻を幾重にも重ねた多層異形だった。
中心核を守るように刃葉が開閉し、歩くたびに花のような輪郭が変形する。
美しいのに不穏で、ひと目で厄介だと分かる存在だった。
左通路ボス:メルファディオル
「両方、倒すんですよね」とタクト。
「両方倒してクリアです!」とテトラ。
主人公は通路の移動速度を見て、逆に笑った。
「いいじゃん」
「良くないです!」と二人が同時に返す。
だが、もう迷いはなかった。
主人公は右へ。
テトラは中間から両側へ補助を飛ばす。
タクトは全体を見てヒールと鎮痛を管理する。
盤面は高速。
ボスは二体。
普通なら分断される。
だが、だからこそ主人公は前へ出た。
ザルグレイファの鎌脚が振り下ろされる。
主人公は《二重回避》一段目で軸を外し、二段目でほとんど瞬間移動みたいに肩口へ抜ける。
通常攻撃。
通常攻撃。
通常攻撃。
金ゲージが伸びる。
ドラゴンゲージが伸びる。
左ではテトラがメルファディオルへ草拘束とジャミングを重ね、ボスの花弁展開を遅らせていた。
タクトは二本の通路を跨いで流れる損傷情報を追い、必要な場所だけへ必要なヒールを飛ばす。
主人公は攻め続けた。
金ゲージ九割。
ドラゴンゲージ八割。
ザルグレイファが大きく後脚を引く。
一撃が来る。
「主人公、下がって!」とタクト。
「いや、ここだ!」
主人公は真正面から踏み込んだ。
通常攻撃をさらに二連。
金ゲージ最大。
ドラゴンゲージ最大。
刃に絡みついていた龍の影が、大きくうねる。
さらに主人公は、ここまで温存していた最大スキルスロットを開放した。
龍派生武器・現時点最大解放技。
スキル名が、視界に赤金で浮かぶ。
《龍刻崩閃・オーバードライブ》
武器全体へ龍の刻印が走る。
赤金の紋様が刃だけではなく腕元まで這い、空気そのものを震わせる。
龍の影が刃の外へあふれ、実体を持つ咆哮みたいに主人公の周囲へ広がった。
「行けぇぇッ!」
主人公は、真正面からザルグレイファの核へ最大スキルを叩き込んだ。
赤金の龍閃が通路を裂く。
鎌脚も装甲もまとめて断ち割り、ザルグレイファの中心核へ届く。
右通路の巨獣が、断末魔のような衝撃音を上げて崩れた。
同時に左通路では、テトラの拘束と補助を受けたメルファディオルの核へ、追撃が通っていた。
花弁状の装甲がばらばらにほどけ、光の粒になって散る。
二体のボスが、ほぼ同時に崩壊する。
高速移動していた通路が止まった。
裂け目に満ちていた異様な光も、ゆっくりと静まる。
ダンジョンクリア
その表示とともに、大きな報酬ウィンドウが展開した。
高レア装備素材。
龍派生武器用の希少刻印片。
補助術式強化媒体。
ヒーラー用知識断片。
中級上位職種拡張トークン。
さらに、ボス限定ドロップの特殊バッジ生成権。
「強い……」とタクトが素直に呟く。
「かなり当たりです!」とテトラも珍しく声を上げる。
主人公はその光景を見ながら、静かに息を吐いた。
勝った。
トリオで。
この山場を越えた。
疲れていた。
でも、悪い疲れではなかった。
前へ進んだ疲れだった。
主人公は二人を見た。
タクトはまだ少し夢みたいな顔で、治療ログと報酬を見比べている。
テトラは無傷のまま、けれどどこか誇らしそうに胸を張っていた。
「……悪くないな」
「悪くないどころじゃないです」とテトラ。
「かなりいいです」
タクトも笑う。
「思ったより、ずっといける」
主人公は報酬ウィンドウの向こう、まだ先へ続いていく世界の暗がりを見た。
父の影。
失われた記憶。
異常なゲーム。
親友。
NPC。
ヒーラー。
龍の刻印。
何もかも、まだ始まったばかりだった。
主人公は静かに前を向く。
壮大な冒険は、まだ始まったばかりだ。
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