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境界現象

第一章 強制ログアウト


ログインの光が視界を包んだ、その瞬間だった。


いつもの浮遊感。

いつもの切り替わり。

ワールドストーリーの空気に身体が馴染んでいく、あの感覚。


なのに、その日は違った。


胸の奥が急にざわつく。


息が浅くなる。

視界の端が白く滲む。

心臓だけが、やけに大きな音で鳴り始める。


「……っ」


草原が見えるはずだった。

テトラが待っているはずだった。


けれど、景色が安定しない。

空が歪む。

地面が割れたように見える。

現実の部屋と仮想世界が、何枚も重なってちらつく。


テトラの顔。

タクトの顔。

病室の天井。

父の遺書。

ワールドストーリーの空。


全部が同時に押し寄せてきた。


「何だよ、これ……!」


喉が詰まる。


その瞬間、システム音が鳴る。


警告:サイコスキャン異常値を検知

認知負荷過剰

強制ログアウトを実行します


「待て、まだ……!」


言い終わる前に、世界が真っ白に飛んだ。


次の瞬間、自分は現実の部屋に戻っていた。


ソリトンホラフィックデバイスが床に落ちる。

呼吸が荒い。

指先が震える。


「……何だよこれ!!」


部屋の静けさに向かって叫ぶ。


現実とゲーム。

どっちが本当で、どっちが大事なんだ。


テトラの笑顔が浮かぶ。

タクトの声が浮かぶ。


胸の奥がぐちゃぐちゃになる。


「俺、どうすればいいんだよ……」


震える指で、システムメニューを開く。

そこに、小さく残っている機能。


作者へのメール送信 残り4回


気づけば、もう選んでいた。


送信先。

U


本文は、ほとんど叫びだった。


なぁゆう。どうなってるんだよ。



第二章 作者からの返事


返信は、すぐに来た。


画面が淡く光る。

文字がゆっくり浮かぶ。



やあ。大丈夫だよ。


ついてるよ。


君は一人じゃない。


なんて言ったって作者だからね。



「……」


その軽さに、一瞬だけ力が抜ける。


だが、次の文で息をのんだ。



でもね。


こうして作品を改変してしまうのは、どういうことだか君はわからないの?


君、根源位の魔法と繋がってしまってるね。



「……は?」


画面を凝視する。



それは作者と繋がっている。


現実と仮想現実、どっちが上とか下とか、そういう話じゃない。


もっと面倒だ。


混合レイヤーの三すくみみたいな状態なんだよ。



文字が続く。



現実。


仮想世界。


そして作者層。


君はその全部に足をかけ始めてる。



胸の奥が冷える。


「そんな……」



しかも君は、無意識に根源位へ触れてる。


初回だから、ちゃんと教えるよ。


わかるようにね。



主人公は、画面に向かって小さくつぶやく。


「わかるようにって……全然わかんねえよ……」


そのとき、また新しい文章が現れた。



赤の女王仮説って知ってる?



第三章 赤の女王


返信はさらに続く。



生き物ってさ、止まると負けるんだよ。


進化し続けないと、生き残れない。


赤の女王仮説って、そういう話。


走り続けても景色が変わらないのに、走るのをやめたら置いていかれる。



主人公は、少しだけ呼吸を整えながら画面を見つめる。



なんでホモサピエンスが一種類なのか。


なんで他が消えたのか。


それは単に強かったからじゃない。


変わり続けたから。


適応し続けたから。



言いたいことが、少しだけ見えてくる。



君も同じ。


現実だけに適応してた頃の君。


仮想だけに惹かれてた君。


そのどっちでももう足りない。


今の君は、混ざった世界に適応しなきゃいけない。



「……」


主人公は黙る。


テトラ。

タクト。

父。

現実。

ゲーム。


どっちかを捨てる話じゃないのかもしれない。



大丈夫。


初回は壊れそうになる。


でも君は一人じゃない。


親友もいる。


テトラもいる。


そして、僕もいる。



最後に、短い一文が出た。



次は、ちゃんと境界を教える。


グッドラック。



画面の光が消える。


部屋は静かだった。


でもさっきまでとは違う静けさだった。


全部わかったわけじゃない。

むしろ、わからないことは増えた。


それでも。


「……境界、か。」


主人公は小さくつぶやく。


胸のざわめきはまだ残っている。

けれど、完全な暗闇ではなかった。


少なくとも今は、

次に何かを知るべき場所がある。


そう思えた。


主人公は、しばらくその場から動けなかった。


部屋は静かだ。

静かすぎて、さっきまで自分の中で暴れていたざわめきだけが、逆にくっきり聞こえる気がした。


でも、少しずつ。


本当に少しずつだけれど、呼吸を整えようとする。


一度、息を吸う。

肺の奥まで入れるつもりで。

それから、長く吐く。


もう一度。

吸う。

吐く。


「……大丈夫だ。」


声に出してみる。

思ったより、ちゃんとした声だった。


「大丈夫だ……」


デジタルバディは何も言わない。

たぶん今は、余計な言葉を差し込まない方がいいと判断しているのだろう。


主人公はベッドの端に腰を下ろし、両手を軽く握った。


境界を見定めろ。


ゆうの言葉が頭の中で反響する。


現実。

仮想現実。

そして作者層。


混合レイヤーの三すくみ。


意味はまだ完全には分からない。

けれど、分からないままでも、今すぐ壊れる必要はない。


まずは、自分を戻すことだ。


深呼吸を続ける。


吸って、吐く。

吸って、吐く。


そのうち、少しだけ意識の輪郭がはっきりしてきた。


さっきまで視界の端に残っていた白い滲みも消えていく。

耳鳴りのようなノイズも、遠ざかる。


「……」


自分の手を見る。


ちゃんとここにある。

指がある。

爪がある。

震えも、さっきよりずっと小さい。


そのとき、妙な感覚が走った。


自分で、自分を見ている。


いや、鏡を見ているという意味ではない。

もっと変な感覚だ。


自分の目で見ているはずなのに、

その自分を、もう一つの何かが少し上から見ているような。


「……何だ、これ。」


頭の奥が、かすかにひらく。


何かに気づきかける。


たしかに、今。

もう少しで何かが繋がりそうだった。


でも。


そこで、ぴたりと止まった。


思考が、それ以上進まない。


目の前に透明な壁があるみたいに、

そこから先へ行けない。


「……っ」


主人公は額を押さえる。


答えは何だ。

何が見えかけた。

どうして止まった。


必死に考える。


現実。

仮想現実。

作者。

根源位。

境界。

混合。


言葉だけは並ぶ。

でも、式みたいに綺麗には繋がらない。


「くそ……」


立ち上がって、部屋を少し歩く。


考える。

止まる。

また歩く。


けれど、答えは出ない。


そのとき、不意に父の遺書が浮かんだ。


夢を持て。

夢は死なない。

信じることが時空の可能性を変える。


主人公は目を閉じる。


父の顔はもう思い出せない。

声も曖昧だ。


でも、言葉だけは残っている。


それでいいのかもしれない、と一瞬だけ思う。


全部を完璧に思い出せなくても。

全部を完全に理解できなくても。


今ここで、自分が何を持っているのかを確かめることはできる。


「……でも大丈夫だ。」


今度は、さっきより少しだけ自然に言えた。


タクトがいる。

テトラがいる。

それは、ただの慰めじゃない。


現実の側には、タクトがいる。

学校がある。

放課後がある。

バッジがある。


仮想現実の側には、テトラがいる。

冒険がある。

ダンジョンがある。

待っていると言ってくれる誰かがいる。


その二つがある。


なら、少なくとも自分は完全に一人ではない。


主人公は机に向かい、メモパッドを開いた。


頭の中のイメージを、無理やりでも形にしてみる。


まず一つ目の円を書く。


現実


次に、もう一つの円。


仮想現実


その少し上に、三つ目の円。


作者


三つは完全に離れているわけじゃない。

でも、ぴったり重なってもいない。


主人公は、しばらくその図を見つめる。


「境界……」


境界とは何だ。


線なのか。

壁なのか。

膜なのか。


それとも。


幅があるのか。


「……幅。」


その言葉に、自分で少しだけ反応する。


境界が一本の線なら、越えるか越えないかだけだ。


でももし、境界に幅があるなら。


現実でも仮想でもない、

そのあいだの場所があることになる。


混ざり始める領域。

どちらでもあり、どちらでもない場所。


そこに、今の自分は足を踏み入れているのかもしれない。


だから、はっきりしない。

だから、自分を自分が見ているような感覚がある。

だから、ログインの瞬間に現実と仮想が重なった。


「……そういうことか?」


まだ確信はない。

でも、完全な闇ではなくなった。


少なくとも、問いの形が見えた。


答えはまだない。

けれど、何を考えるべきかは少し分かってきた。


主人公はゆっくり息を吸う。


そして、もう一度、長く吐いた。


意識は、だいぶはっきりしている。


怖さが消えたわけじゃない。

分からなさも消えていない。


それでも今は、ただ混乱しているだけの自分とは違う。


境界は、線ではないのかもしれない。

そこには幅がある。

揺らぎがある。

混合がある。


その先に何があるのかは、まだ分からない。


けれど主人公は、自分の書いた三つの円を見つめながら、小さくつぶやいた。


「……もう少しだ。」


何に対しての「もう少し」なのか、自分でもはっきりしない。


でも確かに、さっきより一歩だけ、答えに近づいた気がした。


メモパッドの上に描いた三つの円は、しばらく見ているうちに、ただの図ではなくなっていった。


現実。

仮想現実。

作者。


その文字を見つめるたびに、頭の中で別々だった感覚が、少しずつ輪郭を持ち始める。


主人公はペン先で、現実と仮想現実の円が近づいている部分をなぞった。


そこは、薄く重なりかけているようにも見える。


「境界に、幅がある……」


もう一度、小さく口に出す。


幅。


線ではない。

切れ目でもない。

もっと曖昧で、もっと粘り気のあるもの。


現実の出来事が、そのまま仮想現実の感情に持ち込まれる。

仮想現実の出会いが、現実の心拍を乱す。

そして作者という、さらに外側から語りかけてくる存在が、その二つの上に影を落としている。


もし境界が一本の線なら、こんなふうにはならないはずだ。


入る。

出る。

切り替わる。

それだけで済む。


けれど実際には、そうじゃない。


ワールドストーリーからログアウトしたあとも、テトラの声は心に残る。

タクトとショッピングモールを歩いていても、ワールドストーリーの更新が気になる。

父の遺書の言葉は、現実の紙切れのはずなのに、仮想世界の奥の方まで影を伸ばしている。


そして、ゆう。


作者。


あいつは、明らかに仮想世界の中だけの存在ではない。

けれど現実の誰かとも言い切れない。

もっと妙な場所から、当然みたいな顔でこちらを見ている。


「……混ざってる。」


主人公は、ようやくその言葉にたどり着いた。


そうだ。


現実と仮想は、交互に切り替わっているんじゃない。

もう、少しずつ混ざり始めている。


意識の中で。

感情の中で。

選択の中で。


だからログインの瞬間に発作みたいになった。

境界の上に立って、どっちにも完全に重心を置けなくなったからだ。


主人公は、背もたれに体を預けた。


天井を見上げる。


白い。

普通の、現実の天井。


でもその白さの向こうに、ワールドストーリーの空が重なるような気もした。

少し前なら、その感覚にまた怯えていたかもしれない。


けれど今は、ほんの少しだけ違う。


怖い。

でも、怖いだけじゃない。


「……じゃあ、どうすればいい。」


誰に向けたのでもない問いが、部屋に落ちる。


答えは返ってこない。


デジタルバディも、今は黙っている。

それがたぶん正しい。


この問いは、たぶん誰かに教わるだけじゃ駄目なんだ。

自分で立ち位置を選ばないといけない。


主人公は、もう一度メモパッドに目を落とした。


現実の円。

仮想現実の円。

作者の円。


そして、三つの円のあいだにできる空白。


そこに、小さく書き足す。


混合層


ペン先が止まる。


この言葉も、まだ仮の名前だ。

でも、何もないよりはいい。

未知のものに、仮でも名前をつけると、少しだけ距離が測れる。


主人公は、その混合層のまわりにさらに小さなメモを書き込んでいく。


感情が持ち越される

記憶が干渉する

作者が直接介入する

根源位が関係?

ログイン時に発作


書けば書くほど、自分が今どこに立っているのかが、ぼんやりと見えてくる。


これは、ただゲームにハマりすぎた、というだけの話じゃない。


ただの精神的ショック、でもない。


現実の傷。

仮想のつながり。

作者の介入。

全部が絡んだ結果、自分は今、この「混合層」に触れてしまっている。


「根源位……」


ゆうの言葉を思い出す。


君はその根源位を使ってしまってる。


あの時は意味が分からなかった。

今も完全には分からない。


でも、魔法には段階があった。


初級。中級。上級。高位。聖位。王位。

そして最後に、根源位。


世界そのものを動かせる、とまで言われた段階。


もし本当に、自分がそこに触れてしまっているのだとしたら。


それは単に「強い魔法を使える」という意味じゃない。

世界の根っこに、手をかけているということだ。


現実と仮想を分ける境界そのものに。


主人公の喉が少し渇く。


キッチンへ行って水を注ぐ。

冷たい水が喉を通ると、考えがまた少し現実に戻ってくる。


グラスを持ったまま、窓辺へ立つ。


夜の街は静かだった。

いくつもの部屋に灯りがともり、道路には少しだけ車が流れている。

この世界には、こういう何でもない夜がある。


タクトも今頃、自分の部屋でスマホゲームをやっているかもしれない。

あるいは参考書を開いて、途中で眠くなっているかもしれない。


テトラはどうしているだろう。

ワールドストーリーのあの家で、待っているのだろうか。

少し遅れる、と送ったまま、自分はまだ行けていない。


ふと胸の奥がちくりとした。


会いたい。


その感情は、思った以上にはっきりしていた。


でも同時に、怖さもある。


またログインして、さっきみたいな発作が起きたらどうする。

また境界が崩れたらどうする。

現実の自分も、仮想の自分も、どちらも中途半端に揺れたままだったら。


主人公は窓ガラスに映る自分を見る。


薄暗い部屋の中で、制服から着替えた自分。

まだ少しだけ疲れた顔。

でも、さっきのようなひどい混乱ではない。


自分で自分を見ている。


その感覚がまた少し戻ってくる。


けれど今度は、恐怖というより観察に近かった。


「……これか。」


鏡じゃない。

窓越しの反射でもない。

もっと内側の話だ。


自分の中に、少しだけ高い場所ができている。


感情に飲まれる自分。

混乱している自分。

会いたいと思っている自分。

怖がっている自分。


それらを、ほんの少し離れたところから見ている意識。


それがあるから、さっき完全に壊れずに済んだのかもしれない。


いや。


もしかすると。


その「見ている自分」こそが、混合層に触れたせいで生まれたものなのかもしれない。


現実の自分でもない。

仮想の自分でもない。

その間に立って、両方を見ている自分。


考えがそこまで来た瞬間、またしても何かがつながりかけた。


でも、今度は止まらなかった。


ゆっくりと。

本当にゆっくりとだけれど。


主人公は思う。


現実と仮想の境界に幅があるなら、

そこに立つための「自分」も必要なのではないか。


どちらか一方に完全に沈まないための視点。

混ざり始めたものを、そのまま受け止めるための場所。


それが、今感じているこの「少し上から見ている自分」なのかもしれない。


完全な答えではない。

でも、これはたぶん大きな一歩だった。


主人公は窓辺から離れ、机に戻る。


メモパッドに新しく書き加える。


境界に立つ自分?

観測点?

混合層における視点


字は少し乱れている。

でも、考えは前よりずっと整っていた。


「……よし。」


まだ全部は分からない。

ゆうの言う赤の女王仮説も、本当の意味ではこれからだ。

根源位のことも、作者層のことも、まだ入口に立っただけだ。


それでも今は、何を考えるべきかが見えている。


タクトがいる。

テトラがいる。

そして、自分がいる。


この三つが、少なくとも今の自分を支えている。


現実と仮想のどちらが大切か、という問いは、たぶん少し違う。

どちらも大切で、どちらももう切り離せない。

だから必要なのは、片方を捨てることじゃない。


境界の上で立ち続けることだ。


主人公は静かに目を閉じた。


深呼吸する。

吸う。

吐く。


もう一度。


胸の鼓動は、かなり落ち着いている。


それを確かめてから、端末を手に取る。

テトラとのメッセージ画面を開く。

短い文を打ちかけて、少しだけ止まる。


何と送るべきか。


さっきまでなら分からなかった。

でも今は、少しだけ違う。


主人公はゆっくりと文字を打った。


少し遅れた。今から行く。たぶん大丈夫だ。


送信。


数秒後、すぐに返事が来る。


よかった!待ってる!


その一文を見た瞬間、胸の奥がほんの少し温かくなる。


主人公は、メモパッドの三つの円をもう一度見た。


現実。

仮想現実。

作者。

その間の混合層。


全部はまだ分からない。

でも、次に進む準備はできつつある。


そして今度は、ただ流されるんじゃない。

少しは自分の足で、あの境界へ戻っていける気がした。


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仮想世界だと思っていた場所が、少しずつ別の顔を見せ始めます。 続きもよろしくお願いします。
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