序幕 四ツ夜神
今は昔、南海のはてに、四ツ夜神あり。
ひとつ、赤き夜の神にて、名をば黄昏といふ。
昼と夜との縁に立ち、ものの影を長く引き、心の迷ひを露はす神なり。
黄昏の息のかかるところ、道は二つに分かれ、人は一つを選びて、一つを失ふ。
ひとつ、青き夜の神にて、名をば月詠といふ。
水面に月を置き、名を映しては揺らし、言葉を細うして耳に落とす神なり。
月詠の夜には、笑ひは遠のき、囁きは近づき、確かなるものほど薄くなりけり。
ひとつ、白き夜の神にて、名をば入明といふ。
闇の底より白みを引き上げ、見えぬものを見えるやうにし、見えたものを離れがたくする神なり。
入明の白さは救ひにも似て、されど救ひと見まがふ執にて、人の足を彼岸へ誘ふ。
ひとつ、黒き夜の神にて、名をば常闇といふ。
永久に変はらぬ帳を垂れ、時を止め、名を塞へ、道を閉ざす神なり。
常闇の触れたものは移ろはず、移ろはぬがゆゑに朽ちもせず、戻りもせず、ただ其処に留め置かる。
ひとたび留め置かれなば、声は声のまま届かず、名は名のまま呼ばれず、帰るべき路さへ細りゆく。
されば、四ツ夜神は互ひに争はず。
赤は裂け目を作り、青は縁を薄くし、白は向こうを照らし、黒はそれらを止めて鎖す。
裂けたるものは裂けたるまま、薄きものは薄きまま、照らされたるものは照らされたるまま、つひに動かぬ闇へと定まるなり。
人の世に夏来たりて、蝉しぐれ満ち、空蝉の木肌に貼りつき、川霧の立つみぎり――
四ツ夜神の影もまた、しのびて此岸の縁に差し掛かるなり。
その影は足音なく寄り、気づかぬうちに息を奪ひ、気づきし時には、もう半歩、向こうへ寄せてゐる。
一柱の神、楔を打ち、境を依り別けて、影の道を塞ぎたり。
その封、楠の根に残り、木の刃は今も眠りて、夏を待つとぞ。
資料番号:『地頭野民俗資料集』
分類 :口承(神話類)/水域信仰・境界譚
採録地 :神見市 地頭野地区(旧・地頭野村)
採録 :昭和六十六年六月 地頭野民俗採集会(聞き手:K・H)
語り手 :匿名(当時八十代女性)




