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扉の向こうにいるひきこもりの魔女

目が覚めた瞬間、青い空が広がっていた。


空気が軽い。


肺の奥まで冷たい風が入ってくる。


目を開けた俺は、まず理解した。


――ここは日本じゃない。


草原が広がり、遠くに石造りの城塞都市が見える。


空には、見たこともない鳥が輪を描いていた。


「……死んだはずなんだけどな」


俺は過労で倒れた。


社会に馴染めず、努力が空回りし続けた末に。


気づけば目の前が真っ暗になって、倒れた。


そういう人生だった。


なのに今、俺は立っている。


異世界の風の中で。


突然透明なウィンドウが、視界に浮かんだ。


……浮かんだ、というか、

「見えるようになった」という方が近い。


俺は一瞬だけ目を閉じて、開いた。


消えない。


「……どこかで見た展開だな」


ゲームでも、漫画でも、

設定だけなら何度も見たやつだ。


現実感がない、というより、

納得してしまう自分がいるのが不思議だった。


「まあ……そういう世界か」


受け入れた、というより、

考えるのを後回しにした。


今は状況を整理する方が先だ。


表示された文字を、上から順に追う。


【固有スキル:才能発掘(Hidden Genius)】

世界に埋もれた“天才”を見抜く。


【固有スキル:原因鑑定(Root Cause)】

対象が動けなくなった根本原因を特定する。


【固有スキル:再起支援(Restart)】

心と環境を整え、再起動させる。


そして最後に、使命。


【使命】

この世界には“才能あるひきこもり”が無数に存在する。

彼らを救い、仲間にし、世界を変えよ。


俺は思わず笑った。


皮肉だ。


日本で救われなかった側の俺が、


異世界では救う側になるらしい。


けど――使命があるから救う、って言い方は好きじゃない。


誰かを助ける理由に、正しさの看板を立てたくない。


俺はただ、もう一度“やり直せる側”に回れたのなら、


今度は見捨てないと決めたかっただけだ。


城塞都市へ向かって歩き出す。


足元の草は柔らかく、靴はなかったが不思議と痛くない。


門をくぐると、人の声と匂いが一気に押し寄せる。


市場、露店、鎧の兵士、布を巻いた旅人。


見慣れない景色なのに、やっていることは同じだ。


人は働いて、笑って、噂して、疲れている。


酒場に入ったのは、情報が欲しかったからだ。


この世界の常識を知らないまま歩くのは危険だ。


カウンターに硬そうなパンと薄い酒を置かれ、俺は端の席に座った。


客たちは昼間から飲み、声を張り上げている。


「北の森に廃塔があるだろ?」


「魔女が住んでる」


「近づくと呪われる」


「昔は王宮付きの天才魔術師だったのに」


「今は……ひきこもりだ」


その言葉が耳に引っかかった。


ひきこもり。


異世界にも、その言葉はある。


外に出られなくなった人間は、どの世界にもいる。


けど、俺の胸を刺したのはそこじゃない。


――昔は、天才だった。


その一言だった。


才能があって、期待されて、そして今はいないことにされている。


客たちは面白がっていた。


「呪い」「魔女」「怖い」

そんな言葉で他人の孤立を消費する。


その軽さが、俺にはしんどかった。


俺は日本で、天才だったわけじゃない。


でも「使えないなら要らない」って空気の中で生きていた。


努力が足りないと言われ、


向いてないと言われ、


最後は静かに距離を置かれる。


誰も殴らない。誰も怒鳴らない。


ただ、期待だけが消える。


それが一番きつい。


噂の中の“魔女”は、たぶん俺と同じ場所にいる。


壊れたんじゃない。壊された。


スキルウィンドウが視界の端で淡く光る。


【才能発掘】

【原因鑑定】

【再起支援】


使命があるから行くんじゃない。


助けられる自信があるから行くんでもない。


ただ――放っておけなかった。


「……会いに行くだけだ」


救えなくてもいい。


動かなくてもいい。


でも、誰かが来たことだけは伝えられる。


それだけで世界が少し違って見えることがある。


酒場を出て、北へ向かった。


北の森は、思った以上に静かだった。


鳥の声がしない。


虫の羽音もしない。


生命の気配が、意図的に排除されている。


歩を進めるほど、胸の奥がざわついた。


理由の分からない不安じゃない。


はっきりとした拒絶だ。


――来るな。


そう言われている。


森の奥、木々の隙間から廃塔が姿を現した。


かつては見張り塔だったのだろう。


石積みは古く、ところどころ崩れている。


だが、完全には朽ちていない。


誰にも邪魔されず、誰にも期待されず、誰にも見られない。


そう思わせる孤立の形をしていた。


近づいた瞬間、空気が変わった。


冷たい、というより――張りつめている。


肌に触れる魔力が、刺のように尖っている。


一歩踏み出すたび、


「帰れ」「見るな」「近づくな」


という感情が、直接頭に流れ込んでくる。


これは罠じゃない。防御でもない。


心そのものが外界を拒んでいる。


その中心に、彼女はいる。


【対象発見】


名前:リュシア

年齢:17

才能:魔術理論SSS

状態:外界拒絶


「……SSS?」


思わず声が漏れた。


この世界でそれだけの才能を持つ者が、


人里離れた廃塔に閉じこもっている。


普通じゃない。


才能が原因で、何かが壊れたとしか思えない。


塔の扉の前に立つと、魔力の圧が一気に強まった。


空気が歪む。


足元の草が逆立つ。


扉に触れなくても分かる。


これ以上近づけば、拒絶が攻撃に変わる。


俺は一歩、距離を取った。


そして――扉を叩かなかった。


叩いた瞬間、彼女の世界は「侵入」に変わる。


だから俺は、数歩離れた地面に腰を下ろした。


目線を落とし、両手を見せる。


武器がないことを示す。


沈黙が続く。


重い圧は消えないが、さっきよりは鋭さが薄い。


近づかれること自体が恐怖なのだ。


俺は扉に向けて、静かに声を出した。


「……急に来て悪かった」


返事はない。


だが魔力は、俺の言葉を測るように揺れている。


俺は続けた。


「名前は言わなくていい。聞かない」


名乗れ、というのは会話の常識だ。


けど今のリュシアにとっては、


“関係を結べ”という圧力に聞こえるはずだ。


扉の向こうで、声がした。


「……何の用」


低く、警戒した声。


年相応じゃない。


何度も人を拒絶してきた声だ。


「噂を聞いた」


「天才魔術師が、ここにいるって」


その瞬間、魔力が鋭くなった。


――やっぱり。


そう言いたげな沈黙。


そして、冷たい声。


「……それで?」


俺は正直に言った。


「会いに来ただけだ」


沈黙。


次の瞬間、拒絶が爆発した。


空気が叩きつけられる。


「嘘」


「みんなそう言う」


「会いに来ただけ、話を聞くだけ」


「その次は?」


「才能を使え、でしょ」


声が震えている。


怒りじゃない。


予測済みの恐怖だ。


「……帰って」


「ここには何もない」


「私に価値なんてない」


その言い方が、痛いほど“慣れて”いた。


価値がないと先に言っておけば、


価値を測る人間を遠ざけられる。


そうやって自分を守ってきた。


俺はすぐに否定しなかった。


否定した瞬間、


彼女は「慰め」だと判断して、さらに閉じる。


だから間を置いて、言葉を選ぶ。


「評価しに来たんじゃない」


「じゃあ何しに来たの」


「確認しに来た」


「……何を」


「まだ、生きてるかどうか」


扉の向こうで、息を呑む音がした。


予想外だったのだ。


評価されると思っていた。


利用されると思っていた。


でも「生きてるか」なんて、誰も聞いてこなかった。


沈黙が続く。


魔力の圧が、ほんの少しだけ下がった。


疑いは消えていない。


でも拒絶一色ではなくなった。


リュシアは小さく言った。


「……意味が分からない」


「分からなくていい」


「俺も、分からないまま来た」


その答えに、自分でも少し驚いた。


“救う言葉”を言ってしまいそうになるのを、必死に止めている。


ここで必要なのは、正解じゃない。


安全だと感じられる距離だ。


俺は視線を落としたまま、ゆっくり続ける。


「ひとつだけ聞かせてほしい」


「……なに」


「今、誰かに追われてるか」


また圧が戻る。


警戒の波が来る。


「……帰って。質問しないで」


俺は頷いた。


「分かった。じゃあ聞かない」


すぐに引く。


引けることを見せる。


それだけで、彼女の世界は少し静かになる。


俺は立ち上がらず、ただ座ったまま言った。


「今日はここにいるだけにする」


「帰らないの?」


「帰るよ。日が暮れる前に」


「……じゃあ、なんで来たの」


また同じ質問。


でもさっきとは違う。


怒りじゃなく、“確認”だ。


俺は少しだけ本音を混ぜた。


「昔、俺も似た場所にいた」


「似た?」


「誰にも必要とされなくなる場所」


「……それは、自業自得でしょ」


棘が混ざる。


それが自然だ。


彼女は自分を責め続けてきた人間だ。


自業自得、という言葉で世界を整理しないと、


理不尽に押し潰されるから。


俺は反論しなかった。


「そうかもしれない」


「でも、あそこにいる時って」


「誰かが来るだけで、少しだけ違う」


扉の向こうから、かすかな笑い声。


嘲笑じゃない。


乾いた、諦めの混じった笑い。


「……来た人は、みんな同じだった」


「優しい言葉」


「期待」


「仕事」


「失敗」


「捨てる」


一語一語が短い。


でも重い。


俺は、ここで初めてスキルを使うことにした。


無理に見抜くためじゃない。


“この恐怖が根拠のあるものだ”と確認するために。


◆原因鑑定:Root Cause


【原因鑑定】


表層:

・人間不信

・外界恐怖

・才能への嫌悪

・フラッシュバック


深層:

「才能を利用され、捨てられた経験」


根本:

“自分の価値=成果”にされたこと


映像が流れ込んできた。


リュシアは幼い頃から天才だった。


魔法陣を一度見れば理解した。


詠唱を聞けば再現した。


王都の魔術師たちは彼女を褒めた。


最初は優しかった。


「すごいね」


「君が未来だ」


「君がいれば国は安泰だ」


その言葉が嬉しかった。


必要とされるのが嬉しかった。


でも天才は、すぐに“人”じゃなくなる。


期待は膨らむ。


周囲の目が変わる。


休むと責められる。


疲れると怒られる。


「才能があるのに?」


「努力が足りないんじゃないか?」


「天才なら出来るだろ?」


彼女は気づかなかった。


褒め言葉が、鎖に変わっていくことに。


ある日、大魔術式が失敗した。


原因は上層部の設計ミスだった。


でも責任を取る人間が必要だった。


矛先は少女に向いた。


「リュシアが間違えた」


「天才なのに失敗するのか?」


「期待外れだ」


昨日まで笑っていた大人たちが、


今日は冷たい目を向けている。


その瞬間、彼女は理解した。


才能があるから愛される。


才能が役に立たなければ捨てられる。


それが世界の仕組みだ。


そして決定的な言葉。


魔術師団の男が笑って言った。


「君は便利だ」


「壊れても代わりはいる」


便利。


道具。


少女の心はそこで折れた。


彼女は逃げた。


廃塔に閉じこもった。


外界は敵だ。


人間は敵だ。


才能は呪いだ。


才能があるから苦しい。


才能があるから壊れる。


才能があるから利用される。


才能なんて最初からなければよかった。


映像が終わり、俺は息を吐いた。


胸の奥が重い。


怒りより先に、理解が来る。


この子の拒絶は正しい。


正しいから厄介だ。


正しい拒絶ほど、外せない。


扉の向こうで声がした。


「……帰って」


「お願い、帰って」


「私を見ないで」


「才能を見て近づく人はもう嫌」


「どうせまた利用するんでしょ」


声が震えている。


怒りじゃない。


恐怖だ。


傷が深すぎる。


俺は静かに言った。


「利用しない」


即答すると、彼女はすぐ返す。


「嘘」


「みんな最初はそう言う」


「優しい言葉から始まる」


「期待されて」


「役に立てって言われて」


「失敗したら捨てられる」


「もう嫌なの」


その言葉が痛いほど分かる。


才能は羨ましいものじゃない。


才能は期待とセットだ。


期待は失望とセットだ。


失望は切り捨てとセットだ。


だから俺は、別の言い方をした。


「外に出ろとは言わない」


「頑張れとも言わない」


「才能を使えとも言わない」


沈黙。


俺は続けた。


「壊れたのはお前のせいじゃない」


「環境が狂ってただけだ」


「骨折した足で走れないのと同じだ」


「今は動けなくて当然だ」


扉の向こうで、息を呑む音がした。


怖がっている相手にとって、


「当然だ」という言葉は、救いになることがある。


責める声にさらされ続けた人間は、


“自分が異常だ”と信じ込まされているからだ。


しばらくして、掠れた声。


「……じゃあ、どうすればいいの」


俺は答えた。


「今はまだ救えない」


「でも」


「ここに来続ける」


「お前が一人じゃないと知るまで」


沈黙が長く続いた。


扉は開かない。


でも拒絶の魔力が、少しだけ弱まった。


その弱まりは、信頼じゃない。


警戒が消えたわけでもない。


ただ――“危険が確定”ではなくなった。


その違いは大きい。


俺は立ち上がった。


日が傾いている。


今日はこれ以上やるべきじゃない。


押したら壊れる。


押さないことでしか守れない時間がある。


去り際、背中に声が飛んできた。


小さく、震えている。


「……明日も来るの?」


俺は振り返らずに笑った。


「ああ」


「約束する」


廃塔の上に、夕日が沈む。


風が森を撫で、木々が擦れる音がした。


出会いは、まだ“会えた”とは言えない。


でも――


扉の向こうの誰かと、確かに言葉を交わした。


それだけで今日は十分だった。

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