終章 01 進むべき道
鰯雲が流れている。
頬を撫でる風は乾き、視界のはしで秋桜が揺れている。
メグルは河川敷に寝転んで、すっかり高くなった空を見上げていた。
遠くから名前を呼ぶ声が聞こえる。メグルは体を起こし、土手の上で大声を張り上げているトモルに手をふった。
「もう会えないかと思ったよ!」
転がるように土手を駈け下りてきたトモルは、息を弾ませメグルのとなりに座った。
「病院から突然いなくなって一週間だよ? ぼくもお母さんも心配してたんだ。いったい、どこへ行ってたのさ」
「ごめんトモル。また転校することになってね」
突然告げられた別れの言葉に、秋桜のように揺れていたトモルの笑顔が萎れていく。
「そっか……。みんないなくなっちゃうんだね。桜子先生もよその学校に赴任したっていうし、サヤカちゃんも、とつぜん転校しちゃったんだよ……」
トモルはしょんぼりとうつむき、抱えた膝に顔をうずめた。
この一週間――。
モグラは桜子先生とサヤカの『その後』の捏造に奔走した。
メグルはサヤカの亡骸を、都外の古びた団地にあるサヤカの家へと還した。
亡骸を前に泣き崩れるサヤカの母親を、メグルは吐き出す言葉も込み上げる怒りも忘れて、ただ見つめていた。
サヤカの母親は数日前に娘の捜索願いを出していた。
衰弱し動けないはずの娘が消えた部屋は、彼女の目にどう映ったのだろう?
ゴミとともに押し込め、存在さえ否定していた娘が消えた一ヶ月、彼女は何を感じて過ごし、捜索願いを出すに至ったのだろう?
そして亡骸を前に号泣する、この母親の想いは――。
「麦わら帽子……」
メグルの言葉にふり仰いだ母親の顔は老婆のようにやつれ、瞳は光なく澱んでいた。
その瞳が、心ない人々の悪意に翻弄され荒んでいた清美の瞳と重なり、メグルの胸を深く突き刺す。
「……麦わら帽子ありますか? サヤカが大事にしていたものです」
母親は戸惑いながらメグルを見つめるも、やがて奥の部屋へ行き、小さな麦わら帽子を手に戻ってきた。
「なぜだかわからないけど、この子はこの帽子が大好きだった……」
サヤカの頭をやさしく撫でながら、母親はそっと麦わら帽子を被せた。
それはまぎれもなく、愛情に溢れた『母』の仕草だった。
「サヤカが求めていたのは麦わら帽子じゃない。あなた自身です」
それだけを伝えて、メグルはサヤカの家をあとにした。
「サヤカちゃんには、ちゃんとお別れの挨拶をしたかったな……。ぼくのことで、いろいろ巻き込んじゃったし……」
抱えた膝のあいだから、トモルの鼻声がもれる。
メグルは小さくすぼめたトモルの肩に手をかけ、そっと抱き寄せた。
「サヤカもトモルのことを気にかけていたよ。ぼくたちも、いつもサヤカのことを想っていよう。どこにいても、きっと想いは伝わるよ」
顔を上げたトモルは、目にいっぱいの涙を浮かべながらも、しっかりとうなづいた。
ふたりの目の前を、音もなく川が流れている。
互いの心に深く刻まれるであろう出会いと過ごした日々をふり返りながら、ふたりはその流れを見つめていた。
怒り、喜び、悲しみ――。
すべての記憶を抱いて流れるそのさまは、戻ることのない時の流れのようであり、出会いも別れも、死さえも至極と諭すがごとく、悠然とふたりの前を流れている。
トモルはごしごしと涙を拭くと、気を取り直すように大きく息を吸ってから話し始めた。
「この前、勇気を出して教室に行ったんだ……」




