第10章 02
「この校舎を覚えているかね?」
教頭がいまだ薄暗い旧校舎の昇降口を、懐中電灯で照らした。
「懐かしいです。子どもの頃のまま……」
清美が木製の下駄箱をなでる。
「わたしがこの学校の出身だって、よくご存知でしたね」
「わたしもこの学校の出身者ですからな。忘れたかね? 三田 清美」
「……!」
突然消えた明かりに驚いて、清美がふり返る。
教頭は懐中電灯を持った手をだらりと垂らし、薄闇のなかに立っていた。
「わたしには忘れようとて忘れられない。きみにとっては、ほろ苦い思い出だとしも、わたしにとっては、人生を左右するほどの深い傷だった。その傷は、どんなに年月が経とうと癒えることはない……」
鋭い眼光を向ける教頭の姿に、弱々しい目つきでうつむく少年の姿が重なる。
「神崎……くん?」
「きみが犯した些細な不正をわたしは教師に告げ口した。いま思えばどうでもいいことだった。見逃せば良かったのだ。しかしわたしは、子どもの頃から曲がったことが大嫌いでね。次の日からわたしはクラスじゅうから無視されたよ。卒業するまで、ずっとひとりぼっちだった……」
「わ、わたしは何も……」
「そう。きみは何もしていない……。きみはクラスの人気者だったから、きみを慕う者は多かったからね。彼らにとって悪いのは、きみを告発したわたしなのだ……。
わかるかね? いつものように教室に入った朝、クラスじゅうに白い目を向けられる、あの衝撃が! クラスじゅうに背を向けられる、あの胸の苦しみが!」
「信じて! 本当にわたしは何もしてないの! 無視しようとか、みんなに働きかけたことなんて、一度も……」
「ああ、きみは本当に何もしなかった。何もせず、ただわたしを見ないようにしていた。まるでそこに、誰も存在していないかのように……」
教頭の目が鋭く光る。
清美は思わず、後退りした。
教頭はその顔に微かな笑みを浮かべると、静かにゆっくりと息を吐いた。
「……安心したまえ。わたしは生まれかわったのだ。些細な人間のいざこざなど、最早どうでもいいことだ。
いまは一刻も早くトモルくんを捜そう。わたしは警察に捜索願いを出してから新校舎を捜す。きみは……この旧校舎を捜してくれたまえ」
そう言い残し、教頭は清美に背を向け旧校舎をあとにした。
白々と夜が明けた空からは、ぽつぽつと小雨が降り出していた。




