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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ヤムローの背中

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 お、いたいた。大丈夫だったかい、つぶらやくん。

 ああも話し合いの場でフクロにされるって、精神的にしんどいよなあ。いつもは、ひょうひょうとしている君が、あそこまで食って掛かるというのは珍しかったがね。どこか引けない一線があったかな?

 世の中、思い通りにならないことが多い、とはいつでもどこでも耳にする。誰かの思い通りになる、というのは誰かにとっては思い通りにならない、てことだからね。

 人数、面積、世界の広さ、これらはいずれも限りがあるから、誰かが余分にとるならば誰かが我慢しなきゃいけない。いやはや、しんどいものだよ。


 ――なぐさめにきたなら、ご高説よりも面白い話を聞きたいんだが?


 やれやれ、貪欲なことで。まあ、君の場合はそれがいいのかな。

 そうだな……ひとつ、友達から聞いた「傷だらけの背中」の話をしようか。


 背中の傷は武士の恥、というのは聞いたことがあるんじゃないかな?

 逃げるときに背を向け、そこに傷を受けるのはもののふとして恥ずべきもの。そのような事態は避けるべきだと。

 しかし、それはあくまで人間たちの間での風習。それよりも次元が上の面々にはむしろ背中の傷は誇らしいものなのだとか。

「ヤムロー」という神様を、つぶらやくんは知っているかな? この神様は先に話した傷だらけの背中の持ち主とされている。彼が傷を負うのは、人の代わりなのだという。

 人々の前に身を投げ出し、暖かな表情を見せながらも背中では無数の矢傷を負っている。ひとつひとつが、一人どころか一世界を壊しかねないほどの猛攻だ。それをヤムローが受けてくれるからこそ、私たちは生きることができている。

 私たちの身に降りかかる不幸は、ヤムローが直撃を防いでくれたのち、どこか遠くへ弾かれた矢が、地をえぐるとともにまき散らされる小石のようなもの。それが当たっても一人が粉みじんになるのは簡単だ。

 すべてを守るのは、できたとしてもほんのわずかな間だけ。しかし、ヤムローも受けるばかりとは限らない。

 そのヤムローの怒りの顔は、あらゆるものを圧倒すると伝えられている。それはすわち、死。だからヤムローの背中を見ることがあれば、すみやかに離れねばならない。

 ヤムロー振り返るときは、慈悲も配慮もない。本質がむき出しになるときだから、と。


 その日の友達は、えらく落ち込んでいたらしい。

 自分が長年飼っていた、ペットとのお別れのときだったから、だとか。庭にお墓を作り終えるまでは、驚くほど淡々と物事を進めていた自分。それがすべてが終わって、部屋でどさりと横になると、どんどんと涙が込み上げてきたというんだ。

 どのような心地でいたかは、察するに余りある。そうして声もなく、泣き続けて何時間も経った後。ふとトイレに行こうと自室を出たのだとか。

 トイレは部屋を出て右手。いくらも歩かないところにある。が、ドアを開けてそちらを向こうとしたとき。友達はいまだ涙でにじむまなこを、見開くことになる。


 まずは音。

 ぽとり、ぽとりと廊下に垂れる水の音。それが部屋とトイレの間にある廊下の、わずか1メートル前から響いてきていた。

 天井にこすれるかどうかの微妙な位置にある頭。そこから下は広々とした背中が立ちはだかっている。

 そう背中だ。眼前の存在には足というものが、友達が履くような靴ほどの大きさしかなかったらしい。頭はどうにか人並み程度にはあるのが、余計にアンバランスさを醸し出している。

 その背中には大小深浅の傷跡が刻まれていた。目にする傷の数は、ぱっと見ただけでも3ケタは下らないのではないかと思ったらしい。その傷はいずれもつけられたばかりと思しく、中からダラダラと血を流している。

 その背中にとどめきれないぶんが、こうして廊下の床へしたたり、音をあげているんだ。


 友達はあっけにとられて、動けずにいた。

 どこから入り込んだのかも、もちろん疑問ではあったが、どのようにすればこれだけの傷がつくのか、こうまでしてなぜ生きていられるのか、と他の「?」も頭を占めてくる。

 けれども、次々と血を流すその背中に対して、友達のほうへ寄せてきて、身体を打つのは鳥肌を立てるほどの冷気だったそうだ。

 泣きはらして火照っていた頬が、たちまち冷えきってしまうばかりか、逆に凍てつくかと思うほどだったという。そして、それだけにとどまらない。

 ずず、と音を立てそうなくらい緩慢に、その背中が動いた。時計回りにゆっくりゆっくりと、こちらを振り返っていく。

 とたん、身体に吹き付ける冷気が痛みを帯びるほどに強まった。声を出しそうになるとともに、「離れなきゃいけない」と心の底の本能が叫び出す。


 部屋へ逃げ帰った友達。そのまま、ドアを注視していたが例の背中の持ち主が再び姿を現すことはなかったらしい。

 やがて夕飯ができたことを母親が伝えにくるも、そのときには背中の持ち主はおろか、廊下に血のあとさえ残っていなかったらしいのさ。で、その夕飯の席でヤムローの存在を知ったらしい。


「あんたの悲しみは、きっとあんた自身が思っているほど深くって、受け止められないものをヤムローが受けてくれたんだろう。こちらを向こうとしたのは、悲しむアンタに死を与えることで安らかにしようとした……なんて、人様の考えた勝手な都合。ほんとのところはどうだったんだろうね」

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