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詠姫 ~土地が錆びる時、姫は歌を詠む~  作者: 斎詠清淀
第二柱:寄り道の、大和詣で
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第二柱ノ壱:始まりの宮、揺らぐ礎

吉野の山を後にして、天鳥船は裏日本の土の道を北へと向かっていた。

後部座席では、澪緒が窓の外を流れる景色を真剣な眼差しで見つめている。守人として覚醒し、自らの故郷を旅立つと決めた彼女の横顔には、もう昨日までの儚さはない。不安と、しかしそれ以上に強い決意が、その蒼い瞳の奥で静かに燃えているようだった。


運転席の旭は、そんな彼女の様子をバックミラーでちらりと確認し、ハンドルを握り直す。

ふと、自分の左腕に巻かれた包帯に視線が落ちた。吉野での戦いで負った深い傷。普通の傷ならば、まだじくじくと熱を持っているはずだった。しかし、この不思議な車の中にいると傷の治りが、ありえないほど早いのだ。痛みはもうほとんどない。

(この車、やっぱりただのキャンピングカーじゃないんだ……)

そういえば、あれだけ走り続けているのにガソリンのメーターがピクリとも動いていないことにも、彼女は気づいていた。


ダッシュボードの上では、三本足の烏がしたり顔で道案内をしている。

「よし、このまま北上し、近江の国、伊吹山を目指す。二人目の巫女は、かの山の麓にいるはずじゃ」

カーナビの画面には、烏が示した目的地が赤い光点で示されていた。


吉野の険しい山道を抜け、天鳥船は広々とした平野へと出た。大和盆地だ。どこまでも続く平らな土地に、小さな町や集落が点在している。ここが、この国の全ての始まりの場所。車窓から見える景色は、これまでの深い山々とは全く違う、穏やかでどこか懐かしい空気をまとっていた。


「見て、旭さん。山の形が、面白いです」

澪緒が指さす先を見ると、広大な盆地の中にぽつ、ぽつ、と、まるで誰かが置いたかのように形の良い三つの山が、かなえの足のようにそびえ立っていた。

「大和三山じゃな」

ダッシュボードの上の烏が、静かに言った。

「天から見下ろす神々のための、古き道標よ。あの山々に、この国の始まりの記憶が眠っておる」


烏の言葉に、旭はごくりと喉を鳴らした。

やがて一行は橿原の町へと入っていく。そこは現代的な建物と広大な史跡公園が、不思議な同居をしている場所だった。かつて、この国で最初の壮大な都があったのだという。今はもうその礎石しか残っていないだだっ広い野原が町のあちこちに広がっている。その何もない空間が、かえってここに存在したであろう都の壮大さを旭に想像させた。


「すごい……。町のすぐ隣に、こんな場所が……」

「この辺りは、どこを掘っても歴史が出てくるんですよ」

澪緒が、少しだけ誇らしげに言った。


烏の導きと、旭が感じ取る清浄だがどこか硬質な「気」を頼りに、一行は大和三山のひとつ、その麓に鎮座する始まりの宮を目指した。

広大な駐車場に天鳥船を停め、三人はその荘厳な神域へと足を踏み入れる。


そこは、どこまでも広く、そして整然としていた。伊勢や熊野の、自然と一体化した古社とは違う、人の手によって完璧に計算され、築き上げられた「秩序」の空間。白砂利が敷き詰められた、どこまでも真っ直ぐに続く参道。寸分の狂いもなく植えられた木々。そして、その先にそびえ立つ、青空を切り取るかのような巨大な白木の鳥居。

その全てが、この国が始まった場所としての「威厳」を雄弁に物語っていた。


「すごい……。空気が、ぴんと張り詰めてる……」

旭は、そのあまりに清浄で厳格な雰囲気に圧倒される。


「少し、休憩しませんか?」

その緊張感を察したのか、澪緒が参道脇にある趣のある茶屋を指さした。

「ここのお店が美味しいって、昔、本で読んだことがあります」

「いいね、そうしようか」

旭も、その提案に笑顔で頷いた。


二人は茶屋の縁台に腰を下ろした。店先からは、きな粉の香ばしい匂いが漂ってくる。

ほどなくして運ばれてきたのは、鮮やかな深い緑色をした名物の草餅だった。ほんのりと温かく、鼻をくすぐる爽やかなよもぎの香り。きめ細やかなきな粉がたっぷりとまぶされている。


「わ、美味しい!」

一口食べた旭が思わず声を上げる。よもぎの豊かな風味が口の中いっぱいに広がった。餅は驚くほど柔らかく、中に入っている上品な甘さの粒あんとの相性も抜群だ。

「本当ですね……。優しい味がします」

澪緒も幸せそうに目を細めている。


吉野での激しい戦いを終え、二人にとってはこれが初めての、心から安らげる時間なのかもしれない。

お茶を一口すすり、旭はふと、ずっと気になっていたことを尋ねた。

「そういえば、澪緒ちゃん。こうして旅に出てきちゃったけど…。学校とか、親御さんとか、大丈夫なの? 心配してないかなって」


それは、旭にとってごく自然な、当たり前の疑問だった。

しかし、澪緒はきょとん、と不思議そうな顔で小首を傾げた。

そして、悪意も悲しみもなく、ただ純粋な疑問として、こう問い返したのだ。


「……『がっこう』って、何ですか?」


「え……」

今度は、旭が言葉を失う番だった。

学校を知らない? そんなこと、ありえるのだろうか。


「それに、親はいません。私は、ずっと一人でしたから」


その、あまりに平然と告げられた言葉に、旭は胸がぎゅっと締め付けられるのを感じた。

目の前にいる、この優しくて感受性の強い友人。彼女が、自分とは全く違う、想像もできないほどの孤独の中でずっと生きてきたことを、旭はこの時初めて、痛いほどに理解した。


烏は、そんな二人のやり取りを、茶屋の柱の上でただ黙って見下ろしている。



美味しい草餅で一息ついた後、二人は再び広大な神域の奥へと足を進めた。

茶屋の和やかな雰囲気は背後に遠のき、本殿に近づくにつれて空気は再び、あの清浄で、しかしどこか息の詰まるような厳格さを取り戻していく。

どこまでも真っ直ぐに続く白砂利の参道。寸分の狂いもなく等間隔に植えられた木々。その完璧すぎるほどの秩序は、美しさを通り越して見る者に一種の圧迫感さえ与えた。


旭は、そのあまりに清浄で厳格な雰囲気に、畏敬とほんの少しの居心地の悪さを感じていた。

(すごい場所……。でも、なんだろう、この息苦しさは……)

彼女はノートを取り出すと、その複雑な感情を言葉に紡いだ。


”白砂利の 道はまっすぐ 天へと続く 清き水面に 揺らぐ影一つ”


歌を詠み終え、顔を上げたその瞬間だった。

旭は初めて、肌をピリピリと刺すような明確な「ノイズ」の気配を感じ取った。それは耳鳴りのように、低く持続する不快な音。


「……あの、声……」

隣で、澪緒が不安そうに呟いた。

耳を澄ますと、確かに少し離れた場所から、誰かの厳しく咎めるような声が聞こえてくる。


二人が声のする方へ近づくと、本殿へ続く最後の門の前で、一人の青年が小さな子供連れの家族を厳しい口調で詰問しているところだった。

年は、旭たちとそう変わらないだろうか。穢れ一つない白衣と袴を身に着けた、神職の見習いのような青年だ。その身のこなしは折り目正しく、一見すると非常に真面目そうに見える。

しかし、その瞳は睡眠不足と過剰な緊張で赤く血走っていた。


「不敬であるぞ! その場所での撮影は、神域の尊厳を損なうものと知らぬか!」

「はぁ……すみません、知らなくて……」

「知らぬでは済まされぬ! 我らが祖、国を始められたこの聖地において、作法の一つ一つには二千年以上の重みがあるのだ! それを、貴様らのようなただの物見遊山の者どもが……!」


青年の切羽詰まった、ほとんど悲鳴に近いような声が静かな境内に響き渡る。

その異常な剣幕に、父親の隣で小さなピンク色のポシェットを握りしめていた女の子が、びくりと肩を震わせた。

ぽとり、と。

女の子の手から、大切に持っていたのであろう鹿の形をしたクッキーが地面に落ちた。

次の瞬間、女の子の大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれ落ち、やがて「ひっ、ひっ……うわあああああん!」と、顔をくしゃくしゃにして泣きじゃくり始めた。その、子供の純粋な恐怖に満ちた泣き声は、どんな怒声よりも聞く者の心を締め付ける。


その様子を見て、澪緒の顔がきゅっと痛みに歪んだ。

「あの人……すごく、苦しそう……」

「え……?」

旭には、ただ一方的に怒鳴り散らしているようにしか見えなかった。しかし澪緒は、その青年の心の奥にある何かを感じ取っているようだった。

「この場所を、守らなきゃいけないって、必死なんです……。でも、その想いが強すぎて、自分で自分を追い詰めてる……」


その時、旭の肩で烏が静かに囁いた。

(……あれじゃ)

(錆は、人の強い想いに取り憑く。この場合、『敬意』や『愛国心』という、本来は尊い感情じゃ。それが錆によって、『不寛容』と『排他性』という歪んだ形に増幅されておるのじゃ)


烏の言葉に、旭は全てを理解した。

吉野で山を泣かせていたのも、この青年を苦しめているのも、元は同じ「錆」。

だが、今回は目の前に「荒魂」はいない。いるのは、歪んだ正義感に囚われた、一人の人間に過ぎない。


(どうすれば、いいの……?)

力で戦うことはできない。しかしこのままでは、彼の心も、そしてこの聖地の空気も、ますます歪んでいってしまう。

旭と澪緒は顔を見合わせ、途方に暮れるしかなかった。



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