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詠姫 ~土地が錆びる時、姫は歌を詠む~  作者: 斎詠清淀
第二柱:寄り道の、大和詣で
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第三柱ノ弐:藤の龍

澪緒は、枯れ果てた藤棚の中心に静かに立った。

旭は龍脈を鎮めに、ヤタ様は錆の根源を断つために、それぞれの持ち場へと向かった。そして、自分に与えられた役目は、この地に巣食う「錆」の中心、この枯れた藤を祓うこと。


「行きます……!」


澪緒は覚悟を決めると、その身に聖なる水の力を呼び覚ます。

蒼い光が彼女を包み、瞬く間に神々しい「神衣」へと姿を変えた。その手には、清流を固めたかのような刃を持つ「水環の太刀」が握られている。


彼女は、太刀の切っ先を枯れた藤へと向けた。

「その身にまとう穢れ、この水で、祓い清めます!――浄めの奔流!」


澪緒の太刀から、凄まじい勢いで浄化の奔流が放たれる。激しい水の流れが、枯れた蔦をなぎ払っていく。

しかし、その時だった。


ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!


地面が、揺れた。

澪緒の浄化の力に反応し、藤棚の根が、まるで巨大な心臓のように脈動を始めたのだ。

大地に張り巡らされた幾千幾万の根が、土や岩を巻き込みながら一つの巨大な姿へと集束していく。

枯れた蔦がその巨体にしがみつき、禍々しい鱗となる。太い幹が裂けて巨大な顎を形成する。そして、錆に濁った二つの紅い光が、その眼窩に灯った。


それは、山そのものが怒りとなって形を成したかのような、巨大な一体の龍だった。

枯れた藤の蔦でできた、歪な龍。

「藤の龍」が、その巨体を起こし、澪緒に向かって無音の咆哮を上げた。


「そんな……!」

澪緒は息をのむ。しかし、龍は待ってくれない。

巨大な尻尾が薙ぎ払われた。凄まじい衝撃が地面を抉り、砕かれた石畳が礫となって澪緒に襲い掛かる。

「水の壁!」

澪緒は瞬時に水の障壁を展開し、かろうじて礫を防ぐ。


しかし、龍の猛攻は止まらない。今度はその巨大な顎が、鋭い牙のように並んだ枯れ枝と共に澪緒を飲み込もうと迫ってきた。

「くっ……!」

澪緒は太刀を横薙ぎに振るう。水の刃が龍の顎を打ち、甲高い音を立てて弾き返した。


一進一退の攻防。だが、澪緒はすぐに理解した。

(このままじゃ、ダメだ……! 力が、強すぎる……!)

龍の巨体から放たれる「錆」の気は、彼女の浄化の力をじわじわと、しかし確実に上回っていた。


その時、龍の紅い瞳がふと澪緒から逸れた。

植物園のその先。春日を冠する、神聖なる大社の社殿へと。

龍は、この土地で最も清浄な場所を本能で感じ取ったのだ。


グルルル、と低い喉鳴りを響かせると、龍はその巨大な身体をくねらせ、澪緒には目もくれず、一直線に社殿の方向へと凄まじい勢いで突き進み始めた。

木々をなぎ倒し、地面を削りながら進むその様は、もはや天災そのものだった。


「待って……! そっちへ行かせない!」

澪緒は後を追う。

このままでは、あの美しい社殿がこの龍の「錆」に侵され、破壊されてしまう。それだけは、絶対にさせない。


龍は苔むした石灯籠が並ぶ参道をなぎ倒しながら進む。そして、ついに朱塗りの柱が美しい大社の回廊へとたどり着いた。

その巨大な身体を、回廊の柱の一つにとぐろを巻くように絡みつかせる。柱がみしりと悲鳴を上げた。


「――やめなさいっ!」


追いついた澪緒の、魂からの叫びが響き渡る。

もう、迷いはない。守るべきもののために、自分の力の全てを、今、この一撃に懸ける。


彼女は天へと高く跳躍した。二つの月が浮かぶ裏日本の空。その光を一身に浴びて、彼女の神衣はより一層輝きを増す。

水環の太刀を天へと掲げ、彼女はその名を高らかに叫んだ。


「――水環の太-刀・奥義!」

「―――大祓のおおはらえのたき!!」


太刀の切っ先から膨大な水の力が天へと昇り、そして一つの巨大な滝となって地上へと降り注ぐ。

それは、もはや単なる水の奔流ではない。この世の全ての穢れを洗い流す、神聖なる浄化の瀑布。


ゴオオオオオオオオオッ!


凄まじい水音と共に、光の滝が龍の巨体と、それが絡みつく社殿の柱を丸ごと飲み込んだ。

「キシャアアアアアアアアアアアアアッッ!!」

龍の断末魔の叫びが響き渡る。その巨体は聖なる水に洗われ、形を保てずに霧散していく。


やがて、光と水の奔流が収まった時。

そこには、もう龍の姿はなかった。後には、清らかな水で洗い清められた朱塗りの柱が、静かに佇んでいるだけ。


「はあっ……はあっ……やった……?」

澪緒は地面に降り立ち、その場に膝をついた。力のほとんどを使い果たし、肩で大きく息をしている。

安堵の息を漏らした、その時だった。


空気が、まだ重い。

ピリピリとした「錆」の気配が、弱まってはいても、全く消えてはいない。

(……なんで……?)


澪緒が顔を上げると、信じられない光景が広がっていた。

霧散したはずの龍の残骸――地面に散らばる濡れた蔦や枯れ枝が、黒い気を放ちながら再びうごめき始めている。それらは、まるで磁石に引き寄せられる砂鉄のように一箇所に集まり、再びあの禍々しい龍の姿を形作ろうとしていた。


「そんな……嘘……」

澪緒の顔から、血の気が引いていく。

奥義を放った今、彼女の身体にはもう、次の一手を放つ力はほとんど残っていなかった。


(無理……。私一人じゃ、倒せない……)

圧倒的な力の差。再生する絶望。

心が、折れそうになる。

(でも……)

彼女は、旭とヤタ様が向かったであろう、森の奥と、空を見上げた。


(私だけじゃない。旭さんと、ヤタ様がいる……!)

(二人が、それぞれの役目を果たしてくれるまで……私が、ここで、持ちこたえる……!)


その瞳に、再び決意の光が灯る。

澪緒は、攻撃することをやめた。残った全ての力を、ただ一点、防御のためだけに。

彼女は最後の力を振り絞り、自らの身体を包む小さな水の繭を創り出した。それは、攻撃を防ぐというよりは、ただ時間を稼ぐためだけの、儚い祈りのような輝きだった。


「――必ず、戻ってきてください。二人とも……!」


再生した藤の龍が、その紅い瞳に確かな殺意を宿し、ゆっくりとこちらへ向き直る。

澪緒の、祈りにも似た声だけが、静寂を取り戻した戦場に、小さく、小さく、響いていた。



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