第七話 波乱の夜
酒場を出た直後だった。
通りの向こうから、悲鳴と怒号が風を裂いて届いてくる。
「……何かあったみたいね。行きましょう!」
「はい!」
「は、はい!」
三人は駆け出した。
駆けるごとに音は大きくなり、街の一角に着くと、目に飛び込んできたのは──
「やめてえええええええっ!!」
石畳の広場で、巨大な二足歩行の魔物が一人の男を片手で持ち上げていた。
男の背後では、若い妻が小さな女の子を庇いながら泣き叫んでいる。
「急がないと!」
アリシアが歯を食いしばる。
「俺様の敷地内の花を取ったのはお前だろ? あぁ? 誰が許したってんだコラァ!」
魔物の声は地響きのように響き渡る。
「ち、違うんだ! 娘が……花の図鑑を見てて、その……その花が綺麗だって言ったんだ!
だから……つい、一本だけ……軽率だった、悪かった!
だ、だから、頼む! 命だけは……!」
「うるせぇ!」
魔物は男の首を掴み、握力を込め始める。
男の顔がみるみる紫に変わり、身体が痙攣を始めた。
妻と娘はただ泣き叫ぶしかない。
「今だッ!」
アリシアの詠唱と共に、鋭い魔法の閃光が魔物の腕に命中した。
「ぐがぁっ!!」
魔物が咄嗟に手を広げ、男が宙を舞う。
「クリス!」
「任せてください!」
男が地面に激突する寸前、クリスが飛び込む。
重みを受け止めながら、必死にその身体を抱きとめた。
そのまま男を支え、泣き崩れる妻と娘のもとへと運ぶ。
「安心してください、すぐに治します。」
クリスは静かに祈りの言葉を唱えた。
「カロ・ナーレ!」
淡い光が男の体を包み、顔色が徐々に戻っていく。
妻は泣きながらクリスに何度も頭を下げた。
その間にも、アリシアは剣を抜き、魔物に立ち向かっていた。
アリシアの剣は素早く、正確だった。
魔物に的確にダメージを与えていく。
しかし魔物もただ者ではない。
重い一撃を振るいながら、アリシアに隙を狙ってくる。
「くっ、決定打が……!」
アリシアは距離を取りながら叫んだ。
「ポチンコフ! 援護お願い!」
──しかし、振り返った彼の姿にアリシアの目が見開かれる。
「ご、ごめんなさいっ……やっぱり、さっきの話は……なかったことに……」
ポチンコフは脚を震わせたまま、逃げるようにその場を後にした。
「えっ……」
その一瞬の隙。
魔物の拳がアリシアの脇腹を捉えた。
「……ぐっ!」
鈍い音とともにアリシアの身体が吹き飛び、膝をつく。
口元から血が垂れ、目が霞む。
魔物は勝ち誇ったように笑い、止めを刺そうと迫った。
「アリシア様ーーーッ!!」
──その時だった。
遠くから叫ぶクリスの声と同時に、
鋭い金属音が空気を切り裂く。
ドシュッ──。
魔物の腕が、肘から先ごと吹き飛んだ。
「ぐあぁっ!?」
続けざまに、横一文字の斬撃。
魔物の胴体が、綺麗に真っ二つに断ち切られる。
上半身と下半身がズレるように崩れ落ちる。
そこに立っていたのは──
長い髪をなびかせ、鋭い目で魔物の亡骸を見下ろす一人の剣士だった。
クリスは魔物の残骸を踏み越えて、アリシアのもとに駆け寄った。
すぐさま治癒魔法を施す。
「カロ・ナーレ……!」
淡い光がアリシアの傷を癒していく。
彼女はゆっくりと目を開けた。
「……助かったわ、ありがとう……」
ふらりと立ち上がったアリシアは、目の前の剣士をまじまじと見つめた。
「あなたは……?」
風が吹いた。
剣士の髪がなびく
その瞳は、獣のように鋭く──
けれどどこか、孤独を宿していた。