第六十七話 魔法王国アヴァロット
陽が傾きかけた空の下。
勇者一行は、ついにアヴァロット城下町の門を潜った。
そこに広がっていたのは、まさに“異世界”の景色だった。
整然と区画整理された美しい街並み。
空中を浮遊するクリスタル型の街灯が、時間に応じて自動で明かりを灯す。
通りの端を滑走する自動運転馬車、ベランダに次々と洗濯物を干す家政ロボット、空には商品を掴んで忙しなく飛び回るドローンの数々。
すべてが魔法で稼働する“人工知能”によって、徹底的に整備されていた。
だがその一方で──
人間の活気のようなものは、あまり感じられなかった。
「帰ってきた……」
バーバラが呟く。
「別にそんなに経ってないけど、なんだか懐かしいなぁ」
「着いた〜!ここが、バーバラの故郷なのね!」
アリシアが笑顔で駆け出す。
「長い旅路でしたね、アリシア様。それにしてもこの街は……」
クリスが周囲を見渡しながら言う。
「なんだか、まるで異世界の都市に来たような感じがします」
「まだそんなに暗くねぇのに、全然人が出歩いてねぇんだな」
ムサシが不思議そうに眉をひそめる。
バーバラは、少し肩をすくめた。
「……きっと、ほとんどの人が家で好きなことをやってるんだと思います」
「好きなこと?」
アリシアが首を傾げる。
「うん。生活のための仕事は、全部魔法仕掛けのロボットにやらせてね。
人間は基本的に、朝から晩まで“自分のやりたいことだけをするべき”っていうのが、この国の理念なの」
「……何それ……最高じゃない?」
アリシアが素で感嘆する。
「まあ、そう思うわよね」
バーバラは、どこか含みを持った笑顔で返した。
「仕事をしない……ですか。
しかし、仕事が好きな人もいるはずです」
クリスが真面目な顔で尋ねる。
「もちろん。ごめん、言い方が悪かった。
“労働”をしない、が正しいかも」
「……なるほど」
「……さっぱりわかんねぇな」
ムサシは腕を組んでそっぽを向いた。
ムサシの故郷──農村コジーロは、まさにこの魔法都市の対極にある村だった。
人々は日々、畑を耕し、汗を流し、互いに助け合いながら生きていた。
物々交換と贈与で成り立つその村には、経済もなければ孤独もなかった。
一方のアヴァロットでは、機械が人間を“生かし”、人間は自分の快楽にだけ従って生きる。
「汗を流すような者は猿」
「他人に構う暇があるなら自分の才能を磨け」
そんな価値観が、国全体に静かに浸透していた。
しかし、両者には一つだけ共通点があった。
それは、誰も労働を"強いられていない”ということだった。
(……きっと、ムサシさんはこの国、好きになれないと思う)
バーバラが心の中でつぶやく。
(でも、そんなの関係ない。私も、嫌いだし)
「ま、とにかくさ!」
アリシアが両手を広げる。
「日も暮れてきたし、夕飯にしましょうよ!バーバラ、おすすめのお店ある?」
「えっ、私のおすすめで良いの?」
「当たり前でしょ!他に誰がいるのよ!」
アリシアが笑いながら言う。
「いや、それはそうなんだけど……この街のいわゆる“おすすめ”とは、ちょっと違う感じになっちゃうかもだけど……」
「いいから連れてけ。腹減って死にそうだ」
ムサシが真顔で言い放つ。
「あっ、はい!」
(ムサシさんが死ぬのはダメ!)
慌てて頷くバーバラ。
こうして、バーバラは三人を連れて、狭い路地に佇む一軒の喫茶店へと入っていった。
そこは──
人工知能も魔法仕掛けの装置も一切ない、古びた店だった。
店内に入ると、カウンターに腰掛けて新聞を読んでいた中年女性が、ちらりと顔を上げた。
「いらっしゃいませー。お好きな席にどうぞー」
新聞を閉じ、立ち上がってこちらを振り向くと──
先頭に立つバーバラの顔を見て、女性の表情が一変する。
「……え?……バーバラちゃん!?」
バーバラは照れくさそうに笑った。
「ママさん、お久しぶりでーす。ははっ」
「ちょっとちょっと! いつ帰ってきたのよ!?もう、みんな心配してたんだから!」
女性は慌てて店の奥に声をかけた。
「ちょっと!バーバラちゃんが帰ってきたわよ!」
奥の方に座って煙草を吸っていた男性客二人が、驚いたように顔を上げる。
「え!?……ほんとだ!バーバラちゃん!会いたかったよ〜!」
「えへへ、お久しぶりです〜」
バーバラは、こそばゆそうに笑いながらぺこりと頭を下げた。
「へぇ〜、ママさんもお客さんも良い人そうで、素敵なお店ね!」
アリシアが感心したように言う。
「はい。しかし……」
クリスが店内を見回しながら続ける。
「なんだか街の雰囲気からすると、意外なお店ですね。言い方が悪いかもしれませんが……いわゆる普通の街の、普通の喫茶店と言いますか……」
「……確かに、良さそうな店だな」
ムサシがポツリと呟いた──その直後。
ぐぅ〜〜〜
お腹の音が静かな店内に鳴り響く。
「おい、バーバラ……悪いが、先に注文させてくれ。腹減って死にそうだ」
「あっ、すみませんムサシさん!」
バーバラは慌てて笑い、ママの方を向いて叫ぶ。
「ママさん!あそこでいい?座らせてもらうね!」
「ごめんなさいごめんなさい、どうぞ座ってちょうだい〜!」
(あら……バーバラちゃん、なんだか雰囲気変わったわね)
一行は、奥の四人掛けテーブルに腰を下ろした。
「バーバラのおすすめを、大盛りで頼む」
ムサシが即決で言う。
「私も〜!」
アリシアも笑顔で手を挙げる。
「僕も、それでお願いします」
クリスも微笑みながら続いた。
「えっ、それでいいの!?」
バーバラは驚きながらも、嬉しそうに立ち上がる。
「そしたら……ママさん!ナポリタンの大盛り、四つください!あーいや、一つは特盛で!」
「はいよ〜!」
ママさんが嬉々として厨房に引っ込んでいく。
「バーバラ、ここの常連さんだったのね?」
「うん。ママさんには、お世話になってて……」
「……と、言いますと?」
クリスがそっと尋ねた。
「……母親と喧嘩するたびに、ここに逃げて、ママさんに愚痴を聞いてもらってたの」
バーバラはそう言いながら、奥の男たちをちらりと見る。
「ママさんだけじゃない、ここの常連さんみんな、本当に優しくて……」
ムサシは静かにその話を聞いていた。
「私、一応王女じゃない?だから……」
バーバラは言葉を選びながら話し始める。
「城では言うまでもないけど、街でも基本的に、肩書きでしか見てくれない人ばっかりなの。
“モルガン様の娘”ってだけで、何も言わなくても勝手に持ち上げられて、“偉い”ってことにされて、それで終わり。
本当の私は、誰にも見てもらえないの」
アリシアの瞳に、ふと影が差す。
彼女もまた、“勇者”という肩書きばかり見られて生きてきた少女だった。
「だけど、私は……」
バーバラの声が、少し震えた。
「普通の、弱い人間なんだよ……
辛かったら逃げ出したいし、嫌なことがあったら話を聞いてもらいたい、ただの、普通の人間なの」
その声は、まるで胸の奥にしまっていた何かが溢れ出すように、真っ直ぐだった。
「でも、そんな場所はどこにもなかった。
だからある日、ちょっと家出して、街をぶらぶらしてたら……やけに古臭そうなこの店が目に入って。
なぜか吸い込まれるみたいに入って……それが、最初だったの」
アリシアの目に、静かに涙が浮かんでいた。
その時、香ばしい匂いとともに、ナポリタンが運ばれてきた。




