第六十四話 危険な寄り道
アヴァロット王国が、ついに目前に迫っていた。
遥か遠くに見えるその城塞は、まるで天に届かんとするかのような荘厳さを湛えている。
「見えてきたわね……アヴァロット!」
アリシアが眩しそうに目を細めて声を上げる。
「はい。ここからでも、城の威厳が伝わってきますね」
隣でクリスも頷いた。
その後ろで、バーバラは無言のまま歩いていた。
アリシアはふと振り返り、気遣うように声をかける。
「バーバラ……お母さんには、もう会えそう?」
「う、うん! 大丈夫!」
はっとしたように返すバーバラ。だが、その顔はどこかぎこちない。
少し離れて歩くムサシが、黙ったまま彼女を見ていた。
クリスもまた、バーバラの様子から複雑な思いを感じ取り、そっと口を開く。
「……バーバラさん。あまりご無理はなさらないでくださいね。もし気持ちの整理がつかないのであれば、少し寄り道してからでも……」
「いや、本当に大丈夫だから! もうとっくに整理はついてるの。ただ、帰ってきたんだなぁって……ちょっと緊張してるだけ」
バーバラは照れ笑いを浮かべて首を振る。
「それに、寄り道するような場所なんて、この辺にはもう──」
そのときだった。
「……ん? なんかあそこ、変じゃない?」
アリシアが足を止め、遠くの地形を指さした。
その先には、灰色の岩が不自然に盛り上がった、まるで瘤のような小さな丘があった。
どこか空気の流れが淀み、周囲とは明らかに異質な雰囲気を放っている。
「いや! ダメダメダメ! あそこだけは、本当にやめた方がいい!」
バーバラが珍しく語気を強めて叫ぶ。
「ん? なんかあんのか?」
ムサシが目を細める。
「あそこ……前に、アヴァロットの精鋭部隊が調査に行ったことがあるんです。でも──」
バーバラの喉が詰まり、唇が震える。
「──誰一人、帰ってこなかったって……」
「それは……確かに避けた方が良さそうですね……」
クリスが思わず足を止め、慎重に言葉を選んだ。
「うん、私はもう本当に大丈夫だから、アヴァロットに──」
「行ってみましょうか!」
アリシアが満面の笑みで方向を変えた。
「面白そうだな!」
ムサシも愉快そうに笑いながら続く。
「ちょっ!アリシアちゃん!?ムサシさーん!?ねえ、本気で行くの!?信じらんないんだけど!?」
バーバラの叫びを背中に受けながら、二人はずんずんと秘境の方へ歩き出す。
「……バーバラさん」
クリスが肩をすくめて微笑む。
「諦めましょう。あの二人がああなったら……もう、誰にも止められないんです」
こうして、勇者一行は秘境へと足を踏み入れた。
*
着いた途端、空気が変わった。
先ほどまでの穏やかな平原とは明らかに異なる。
土は黒ずみ、岩はただそこにあるだけなのに、どこか鋭く、刺すような気配を放っていた。風は止み、空の色さえ鈍く曇っている。
その丘は、まるで生き物のように静かに息をしていた。
「……やっぱり、絶対やばいってここ……」
バーバラが呟きながら足を止める。肩にはうっすらと冷たい汗がにじんでいた。
「ほう……」
ムサシは剣の柄に手を添えながら、景色を楽しむように口元を吊り上げる。
「……何か、すごく禍々しい気配を感じます」
クリスは周囲を警戒しつつ呟く。
「うん……いかにも出そうね。ヤバいやつ」
アリシアは目を細めながら言った。
不死鳥の盾を得てパーティの盾役となった己の価値を試すための、強敵との戦闘への渇望がにじみ出ている。
一行がその丘の中心付近まで進んだ、その時──
ゴォォォォォオオオ──ン……!!
地の底から響くような重低音が、丘の空気を震わせた。
「…………!」
一行が反射的に顔を上げる。
黒い影が、空を覆っていた。
──それは、翼を大きく広げた巨大なドラゴンだった。
「……っ!」
アリシアが息を呑む。
その背には、一体の人影。
禍々しい鎧に身を包み、漆黒の剣を手に、黙ってこちらを見下ろしている。
風が吹いた。
その男のマントがなびき、肩飾りが鈍く音を立てる。
「……来たな、人間ども」
その声は、雷鳴のように大地を震わせた。
バーバラは、かすれる声で呟く。
「……あいつにやられたのね……」
黒騎士と巨龍。
絶望的な威圧感が、空と大地を支配していた。




