第三十八話 他愛ある成果
活気あるシルドーニャの街並みに溶け込むように、一軒の店が静かに佇んでいた。
看板には、くるんとした文字でこう書かれている。
《マホテイン専門店 “ボディ・マジック”》
扉を開けると、そこには整然と並ぶ瓶や粉の袋、そして筋骨隆々の冒険者たち……かと思いきや、意外と魔法使いや細身の旅人の姿も多い。
バーバラとムサシが店内に足を踏み入れると、ひとりの若い筋肉質の店員がにこやかに声をかけてきた。
「いらっしゃいませ! お客さん、よく鍛えられていますね! 素晴らしいッス!」
ムサシは少し照れくさそうに、鼻の下をこすりながら答えた。
「ま、まあな」
(照れてる……かわいい……ふふふ)
「店員さん、筋力増強タイプのもので何かおすすめはありますか?」
「はい! 飲むのはお兄さんですか? それともお姉さん?」
(この可憐な魔法少女が筋力増強剤飲むか! このトンチキ店員め!)
「もちろん、こちらの剣士の方です」
「了解ッス! では、お兄さんの戦闘スタイルを教えていただけますか?」
「斬るだけだ」
一瞬、店員のまぶたがピクついたが、すぐに笑顔を戻して質問を重ねた。
「……というと、防御はあまりせず、ひたすら斬撃で攻める感じですかね?」
「ああ」
(へぇ……早く見たいなぁ、ムサシさんの戦う姿……)
「それでしたら、あまり筋肉が膨張しすぎず、敏捷性を損なわないタイプが合うと思います。今、おすすめの品をお持ちしますね」
「……ああ。頼む」
(あら、意外と良い接客ね。さっきは“トンチキ店員”なんて言って失礼しました。心の中とはいえ)
やがて店員が粉末の入った袋と、蓋付きの透明の容器を手に戻ってきた。
「こちらが爆速斬撃型・攻速特化ブレンド『ファルコン・ブレード・EX』ッス!更に、今ならこちらのマホテイン・シェイカーもプレゼントします!」
「なら、これをくれ」
「了解ッス! お会計はレジでお願いします!」
こうして、ムサシは爆速斬撃アタッカー向けのマホテインを購入し、二人は店を後にした。
「ありがとうございました〜!またお越しください!」
*
街路を歩く二人に、そよ風が心地よく吹き抜ける。
太陽は高く、空はどこまでも青い。
(短い時間だったけど、楽しかったなぁ……だって、なんかデートみたいじゃないですかこれ!)
「良いのが見つかって良かったですね! ムサシさん」
「ああ」
と、いつものように短く答えたムサシだったが──
少し間を置いて、ふいに口を開いた。
「……その……なんだ」
バーバラは足を止め、首をかしげた。
「はい?」
ムサシは、照れを隠すようにそっぽを向きながら言った。
「……ありがとうな、バーバラ」
その一言が、バーバラの胸に染み込んだ。
何の飾りもない、けれど確かな温度を持ったその言葉が、彼女の心の奥を不意に揺らした。
──バーバラの目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
「……あれ……ちょっと、何これ……涙が勝手に……」
彼女は自分でも戸惑っていた。
けれど、それは確かに“初めての涙”だった。
物心ついた頃から続いた、母・モルガンによる魔法漬けの日々。
褒められたことなど、一度もなかった。
城の人間は、王女である自分を当然の如く持ち上げる。
が、それで心が満たされることはなかった。
賞賛も感謝も、"モルガン女王の娘"に対するものでしかなかった。
何を言われても、心が動くことはなくなっていった。
だが今──ムサシに言われた「ありがとう」
これはただ不器用な男の、純粋で、素朴な感謝だった。
朝の宿屋で、ムサシが筋トレをしている姿を見ながら、彼を喜ばせるには今日何ができるかを考え、実行したことによる、成果。
この些細な成果が、彼女の魂を震わせた。
(……こんなの……知らなかったよ………)
涙が止まらないバーバラの隣で、ムサシは黙っていた。
涙の理由は、わからなかった。ただ、彼女が泣いていることだけが事実だった。
だからムサシは、何も言わず、何もせず、ただ静かに隣にいることを選んだ。
その沈黙が、バーバラにとっては、何よりもあたたかかった。
やがて、バーバラはそっと涙を拭った。
「ごめんなさい! なんだか今日の私、ちょっと変みたいです」
照れくさそうに笑う彼女に、ムサシは短く答えた。
「気にするな。泣きたい時は泣いとけよ」
その一言に、バーバラの胸がまたいっぱいになる。
(……もうっ……好き……)
そして、ふとムサシが口を開いた。
「この後は、本屋に行くんだよな?」
「はい!」
(まあ、正直それはもう、どっちでもいいんだけども……)
「ムサシさんは、この後どうするんですか?」
「俺も本屋に行く」
「えっ?」
(えっ!? なんで!?)
「他に行くとこもねぇからな。俺も行く」
(……神様……)
その瞬間だった。
「火事だ〜っ!」
「魔物だ〜っ!」
街の遠くから、騒がしい叫び声が聞こえてきた──。




