第三十六話 恋と戦略
(……は? 勇者? アヴァロット? ……ありえないんですけど……!)
と、バーバラが思うのも無理はなかった。
なぜなら──
このバーバラという魔法使い、何を隠そう、魔法王国アヴァロットの女王モルガンの実の娘である。
そして、ひとり放浪している理由は、母親による厳しすぎる魔法教育に憤慨し、家出してきたからなのだ。
母モルガンがバーバラに課したのは、自らが果たせなかった使命──
すなわち、勇者と共に大魔王を討つという運命を、娘に託すという重圧だった。
(あぁ……めんどくさいことになったなぁ……)
「バーバラ? 大丈夫?」
隣から心配そうに声をかけてきたアリシアに、バーバラは反射的に笑みを作った。
「あ、いえ……」
──本来なら、ここでバーバラは逃げていた。
「やっぱ気が変わりました〜!さよなら〜!」
と、颯爽と離脱していた。
だが、今回は違った。
(……でも……ムサシさんと、ここで一生お別れなんて……絶対イヤ。イヤよ、絶対!)
それほどまでに、ムサシという男は、バーバラにとって得難い存在になっていたのだ。
(冷静に考えましょう。つまりこれは──
私の退屈な人生を変えてくれた人と一緒に旅をするか、
私の人生を退屈なものにした母親への意地を貫くか、
そのどちらかを選ぶってこと)
彼女は恋に落ちていた。けれど、だからといって感情に溺れる女ではない。
バーバラは、戦略的で、冷静で、視野の広い女である。
なぜなら──魔法使いとは、まさにそういう職業なのだから。
戦場において、魔法使いの役割とは、広い視野で戦況を俯瞰し、常に最適な場所に最適な魔法を放つこと。
無論、この場においても──
自分自身の目的のため、最も効果的な言葉を選ぶであろう。
(結論。私はこの人たちと旅をする。なぜなら──ムサシさんのことが好きだから。
……そして、ここからアヴァロットへ向かうというのなら、モルガンの娘であることを黙っておくのは得策じゃない。後からバレたら、ムサシさんからの印象が悪くなる。親との別れ方を気にかけてくれるような誠実な人だもの……
ならば今この場で、"実はモルガンの娘で、魔法漬けの教育に嫌気がさして家出したけど、後悔している”ってことにして──
“だからこそ、あなたたちとの旅を通じて母とも向き合いたい”って言えば──ムサシさんからの好感度は最も高いに違いない)
すべての思考が整理された瞬間、バーバラはスッと姿勢を正し、礼儀正しく口を開いた。
「あなたが勇者様だったなんて……すみません、何も知らずに。失礼な態度だったかもしれません……」
アリシアが返す間もなく、バーバラは一気に畳みかけた。
「実は私、魔法王国アヴァロットの女王──モルガンの娘です。厳しい魔法教育に耐えきれず、家出して放浪していました。……でも、今は後悔しています。
こんな私でよければ……一緒に旅をさせてください。
アヴァロットへ向かうこの旅の中で、母とも向き合って、自分を変えていきたいと思います」
その言葉に、アリシアとクリスはただただ呆然。
情報量の多さに、思考が一時停止していた。
そんな中──ムサシは、ただ一言だけを返した。
「そうか。よろしくな」
(……ずるい。ずるいって……言葉足らずすぎなのよ……でも、かっこよすぎなのよ……!)
バーバラは心の中で絶叫しながら、顔に出すまいと平静を装った。
ようやく状況を飲み込んだアリシアが、顔を輝かせながら叫んだ。
「驚いたわ……あなたがモルガン女王の娘だなんて……!
クリスも目を見開いたまま、しばらく言葉を失っていたが──やがて、静かに口を開いた。
「ええ……本当に驚きました……。しかし……これもまた、神のお導きに違いありません」
その言葉に、バーバラのまつげが微かに震えた。
(……神のお導き……?)
かつての彼女なら、鼻で笑っていたに違いない。
神がいたら、なぜ世界に魔物がいるのを放置しているのか。
神がいたら、なぜ世界はこんなにも不平等なのか。
神がいたら、なぜ私は鬼のように厳しい母の下で、魔法の修行ばかりして生きてこなければならなかったのか。
神がいたら、なぜ家出して自由になっても心は満たされず、退屈を感じずにはいられないのか。
神など、いるはずない。
だが──今のバーバラは違っていた。
ムサシという名の、筋肉と本能とセクシーを凝縮したような男と"偶然"出会い、生まれて初めて、心を奪われた。
勇気を出して声をかけたあの一瞬が、自分の全てが変わる起点だったような気がした。
母との不和も含めて、過去の何かが少しでもズレていたら、あの時あの場所でひとり虚しく酒を飲みながら、あの起点を通ることもなかったに違いない。
果たしてそれを、"偶然"という言葉で片付けて良いものなのか。
わからない。
だが——少なくとも今は、そんな気にはなれなかった。
(神のお導き……確かに、そうなのかもしれない……だって、こんなことってあるかしら!)
自然と、唇がほころぶ。
「はい。……私も、神様のおかげだと思います」
その一言は、嘘でも策略でもなかった。
心からの、率直な思いだった。
だが──その言葉を聞いたクリスが、なぜかぼろぼろと涙を流し始めた。
「え……え!? 私、何か変なこと言いましたか!?」
(なんで急に泣き出すのこの人……謎なんですけど!)
バーバラは混乱するが、クリスの涙は止まらなかった。
聖職者である彼にとって、信仰を持たない人間が、自らの意志で“神”を受け入れる瞬間ほど、尊く喜ばしいことはなかった。
それは、奇跡だ。
アリシアのために“仲間を増やしたい”と願った祈りが、思いもよらぬ形で叶えられたことを、ただただ神に感謝した。
(主よ……あなたは僕の想像など遥かに超えた仕方で、僕の望みを叶えてくださった……感謝致します……)
クリスは両手を胸の前で組み、静かに祈った。
アリシアはそんなクリスの姿に少し目を潤ませながら、朗らかに言った。
「やっと仲間が四人揃ったから、きっと嬉しいのよ! もちろん、私も!」
そして、いつもの笑顔で──
「バーバラ、正直に全部話してくれてありがとう! お母さんとも、きっと仲直りできるわよ! できることならなんでもするわ! これからよろしくね、バーバラ!」
その無垢な笑顔に、バーバラは思わず吹き出しそうになる。
(なんなのこの人たち……僧侶は急に泣き出すし、勇者は真っ直ぐすぎるし……やりづらい……)
けれど──同時に、心の奥底で、静かに確信していた。
(……でも、良い人たちなのは、間違いなさそうね)
バーバラは微笑み、静かに頭を下げた。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
──こうして、ついに念願の魔法使いが、仲間に加わったのであった。




