第三十三話 あの魔法使い
クリスは、ノンアルコールカクテルのグラスを手にしながら、アリシアとの他愛のない会話を楽しんでいた──
少なくとも、外見上はそう見えていた。
だが、心ここにあらず。
視線は頻繁にカウンターの方へと逸れていた。
最初のうち、ムサシは隣の少女など気にも留めず、黙々とウィスキーを口にしていた。
その無口で、無骨で、魔物を斬る以外に興味のない剣士が、女性に声をかけるなど──あるはずがない。
そう自分に言い聞かせ、心を落ち着かせていた。
だが、事態はあまりにも予想外の形で動いた。
──女の方から、ムサシに話しかけたのだ。
(なんだ……あれは……!?)
動揺が膨れ上がる。
カクテルの味もしなくなるほど、クリスの集中力はすべてカウンターに吸い寄せられていた。
「ねぇクリス、さっき通りかかったアクセサリー屋さん、すっごく気になってるの。全部手作りらしいのよ! クリスは何か気になるお店あった?」
「はい、僕もそう思います」
「……ん? ねぇクリス、今、話聞いてた?」
アリシアの言葉に、クリスはハッとして目を見開いた。
「す、すみませんアリシア様! 少し考えごとをしていて……もう一度、お願いします!」
アリシアは眉を寄せ、不安そうにクリスを覗き込む。
「……大丈夫? 何か悩みでもあるの? 何でも話してよ?」
(くっ……なんて優しさだ……)
自らの煩悩のせいで、大切なアリシアとの会話に集中できなかった自分が情けない。
申し訳なさと自己嫌悪が胸に広がる。
(いや、落ち着け。あのムサシさんだ。もしあの人が魔法使いだと知っても──「あぁ? だからどうした?」などと言って、冷たくあしらうに決まってる)
クリスは心で静かに十字を切り、深く祈る。
(主よ……どうか、我らが脳筋剣士ムサシの脳みそに、更なる筋肉を与えたまえ)
そして息を整え、アリシアに微笑みかけた。
「アリシア様、本当に大丈夫です。ただ……お酒でご一緒できず、少し申し訳なく思っていただけです」
その言葉を聞いたアリシアは、ぱっと顔を明るくした。
「そんなこと全然気にしないでよクリス! クリスとお話できてるだけで、私すっごく楽しいんだから!」
(……神よ、なんという幸福を……)
まさに神への感謝を捧げようとしたその瞬間だった。
カウンターから、ムサシと──そして例の魔法使いが、こちらに向かって歩いてきた。
(………なんだ?何が起きている!?………無理だ……大魔王がこちらに歩いてくるようだ……!)
絶望的な表情でその光景を見つめるクリス。
アリシアが心配そうに問いかける。
「クリス? 顔色悪いよ……? 本当に大丈夫?」
「……あ、いえ……その……ムサシさんが、こちらに来るようです……」
アリシアは首をかしげ、後ろを振り返る。
「あれ? まだ席空いてないのに……」
──その時がやってきた。
ムサシが少女を引き連れ、堂々と立ち止まった。
「おい、魔法使い見つかったぞ」
ムサシの隣に立っていたのは、赤みの強い髪を高く結い上げた少女だった。
年のわりに背は低く、身体つきもまだ幼さを残しているが、立ち姿には妙な落ち着きがある。
濃い色のワンピースに太いベルトを締め、大きな魔法の杖を携えている彼女は、紛れもなく——"彼女"だった。
「初めましてー!私、バーバラと申します!魔法使いを探してるんですよね?私のこと、連れてってくれませんかー!?」
アリシアはぱあっと顔を輝かせた。
「ほんとに!?えぇもちろんよ!ムサシ、でかした!」
「おう」
一方クリスは、顔を伏せていた。
(……終わった……)
二度と会いたくなかった相手が、自ら笑顔で名乗りを上げ、しかも仲間たちが大歓迎している──
逃げ場など、どこにもなかった。
クリスは、決意を固めた。
(主よ……これが、僕への試練なのですね……)
そして——顔を上げた。
バーバラはクリスの顔を見て、にっこりと笑って言った。
「お兄さんも、初めまして! これからよろしくお願いしまーす!」
──彼女は、クリスのことを完全に忘れていた。




