第三十二話 酒場での葛藤
酒場は賑わいの真っ只中だった。
木の扉を開けた瞬間、むっとするような熱気と、酒と料理の匂いが三人を包み込む。
カウンターには常連客らしき男たちが腰を落ち着け、大きなテーブルでは陽気な職人たちがジョッキ片手に笑い合い、壁際の楽団が軽快なリュートの音を奏でていた。
天井から吊るされたランプの灯りが揺れ、ここだけ別世界のような温もりと喧騒が満ちている。
クリスがざっと店内を見渡すと、空いているのはカウンター席が2つ、そして二人用の小さなテーブルがひとつだけだった。
「うーん、三人で一緒は厳しそうね……」
アリシアがそう言うと、ムサシが即座に応じる。
「俺は一人でもいいぜ。そのうち、どっか空くだろ」
その言葉を聞いた瞬間、
クリスは気づいてしまった──
自分の中で、アリシアと二人きりで席に座れるということへの、抗えない喜びが込み上げてしまうことに。
(……これは、いけない……! 僕は、世界を救うために、アリシア様を支える"仲間"。こんなこと、あっては………それに、気遣ってくれているムサシさんにも失礼だ!)
罪の意識が芽生えながらも、実際に口から出たのは、
「しかし……ムサシさん、本当に良いのですか?」
という、喜ばしい未来へのぎこちない確認だった。
「構わねぇよ。だいたい、アリシアが無理矢理連れてきたんだしな。だったら、ちゃんと付き合ってやれよ」
脳筋剣士ムサシ、まさかの完璧な配慮。
それに心を打たれたアリシアは、思わず笑顔をこぼす。
「ムサシ……ありがとう! じゃあお言葉に甘えて……クリス、あっちの席行こっか! 違う席が空いたら、合流しましょう!」
「おう」
ムサシはひとりカウンター席へと向かっていく。
その背中を見送る中で、クリスはまた、自分の中に湧き上がる複雑な感情を見る。
(……ありがたい。でも、なんだか……悔しいな)
感謝と劣等感が入り混じった視線を送りながら、ふと、ムサシが座った席の隣に座っている人物の後ろ姿に目を止める。
高く結い上げたポニーテールに、赤茶の髪がふわりと揺れる。
そして──椅子に無造作に立てかけられた、あの独特な魔法の杖。
(……間違いない。あの時の……“彼女”だ)
リンドバーグの酒場で、酔っぱらいながらクリスの勧誘を蹴散らし、暴言を吐き散らかしたあの女だった。
(……できれば、関わりたくない……!)
そんなクリスの様子を見ていたアリシアが、不思議そうに声をかけた。
「クリスー? どうしたの? ……ひょっとして、ムサシの隣が良かった?」
「そ、そんなことはあり得ません! あり得ません! 絶対に!」
あまりにも取り乱したクリスに、アリシアは首を傾げた。
「……そぉ? じゃあ早く行こ!」
そうして二人は小さなテーブル席へと向かった。
向かい合って腰を下ろしたその席から、クリスの視界には再びムサシの座るカウンター席が入る。
そのカウンターでは──
「何かお飲みになりますか?」
酒場のマスターが、低く穏やかな声でムサシに問いかける。
「……一番うまいやつをくれ」
「かしこまりました」
マスターは後ろの棚から一本の瓶を選び、小さなロックグラスに琥珀色の液体を注いだ。
「こちら、シルド・ニッカ。街の蒸留所で造られた特産のウィスキーでございます。独特なスモーキーフレーバーと、まろやかな口当たりをお楽しみください」
鍛え上げられた前腕が、グラスを持ち上げる。
──ゴクッ。
「……あぁ、うまいな」
「ありがとうございます。お喜びいただけて何よりです」
マスターが満足げに微笑む中、ムサシは黙って二口目をゆっくりと飲み干した。
その隣では──
例の少女が、ビールのジョッキを手に、横目でムサシをちらちらと見ていた。
しかしその目は、リンドバーグでクリスを蔑んだ目とは、明らかに違った。
震えるでビールを口に運びながら、少女は想った。
(……かっこいい……どうしよう……)




